【32:誕生日】
全ての物が強く鮮やかに染まる、夏。
この季節に変わった途端、今まで息を潜めていた命あるもの全てが、その存在を示すかのように騒がしく色を変えていく。
「それにしても・・・」
「・・・暑いですよね」
空は高く高く、遠く青い。
けれど、透き通る爽やかな空色から想像出来ない程に、降り注ぐ日の光は容赦もなく強い。
「っあ!」
強くうるさいほどに鳴く虫の声に紛れて、小さい悲鳴が耳に届いた。
腕に抱えていたらしい袋は落とした拍子に破れ、中に入っていたらしい紙の束が道端に散乱する。
「ぅ・・、・・・?」
まだ幼い少女は転んだままの体勢で、擦り剥いた膝や腕の痛みに瞳を潤ませた。
けれども、強い日差しを遮るように差し出された手に驚いて、顔を上にあげる。
「大丈夫?」
「・・・う、うん」
見上げた先に、心配そうに・・・それでも微笑んでくれる顔。
綺麗な笑顔に、泣きそうになっていたことすら忘れて、少女は差し出された手を握り返した。
「よし、これで全部かな。泣かないなんて、偉いね」
立ち上がるのを助けてくれた手とは違う、大きな手のひらで柔らかく頭を撫でられた少女は、その手の主を見上げて大きな目を更に丸く変える。
手を握ってくれた人とは違う、けれど、またそれも柔らかくて優しい、笑顔だったから。
「・・・なかないもん。わたし、もう4さいだもん」
「うん、偉いよ。さすが、お姉さんだね」
立ち上がった少女の膝を清潔な布で巻きながら、賛辞を上げたのはオミ。
「はいこれ。もう落としちゃダメだよ」
破れた袋の変わりに、大きな布で持ちやすいよう端を結んで、少女に渡したのはセフィリオだ。
「おーい・・・!置いていくぞー!」
遠くから、少年が声を掛けてくる。
肩に細長い葉のついた木の枝を抱えた少年は、少女の兄だろうか。
「あ・・・っ、まって!・・・あの、ありがとう!」
その呼び声に答えるように走り出しながら、少女は2人に向かって叫ぶ。
また転びそうになりながらも何とか留めて、少女は無事兄の下へたどり着いたようだ。
小さくなった子供の背中を見送りながら、オミは小さく呟いた。
「・・・子供に愛想振り撒き過ぎですよ」
「あれ?何嫉妬してくれるの?でも、最初にあの子に走って行ったのオミだし」
「してません。・・・それは、目の前で転んだ子供、放っておけないでしょう」
そう言いつつ、荷物を置いたままにしている木陰の方へと戻っていく。
セフィリオも後ろをついて歩きながら、木陰に入ってほっと息を吐き出した。
「ふー・・・でも、まだそんなに歩いてないのにね。もう汗だくだな」
「セフィリオ、そんな暑い格好してるから・・・」
近くの町から離れて次の目的地まで歩いていた2人だったけれども、流石の強い日差しに体力を奪われ、川のせせらぐ木陰で息をついていた所だ。
「いっそのこと全部脱いで、川に飛び込みたいくらいあるね」
長袖こそ折り曲げているものの、重ねられた布に遮られて、微かに流れるそよ風すら肌を撫でてはくれない。
張り付いた髪を鬱陶しげに掻き上げて、流れる汗を手の甲で拭い取る。
たったそれだけの仕草だけれども。
離れていた期間が長すぎた所為か、どうしても視線を外せない。
さっきの子供に向けられた笑顔ですらも、目が離せなかった。
「・・・どうかした?」
無意識で見つめていたのだろう。
覗き込むように問いかけられて、オミはやっと自分の視線に気付き、慌てて取り繕う。
「な、なんでも・・・!って、暑いなら上着だけでも脱げばいいじゃないですか!」
「脱いで良いの?」
「・・・全部は止めてくださいねこんな道端で」
人が通る道から逸れてはいるものの、ここは人通りの多い往来で。
一番近くの町からでも隣にあるという町に行くまでには、運路を使わない限り、この道を通り抜けなければならないからだ。
「そりゃ俺だって多少成りと差恥はあるし全部は脱がないけど。・・・でもこれって一応礼装なんだよね」
オミの返答に苦笑して、暑いと言ったその格好を上から眺めやる。
国の象徴である徽章を縫い込んだ胸の模様は、かつて彼が好んでいた衣服と似たような造りはしているが、元は防具用のものなので生地も厚い。
確かに王の道中の供として、道行く人々への牽制と威厳を込めた礼服は、そうそう簡単に脱いでいいものでもないだろうけれど。
「僕が良いって言ってるんですから。・・・それに、せめて2人の時だけは、そういうの無しにしませんか?」
「・・・・・・・・・」
セフィリオも元々、そのつもりだったはずだった。
確かにオミは守るべき王だけれども、なにもオミが王だから守りたいのではない。
けれど、行く先々で王の顔を保たねばならないオミを守ることもまた、セフィリオの仕事なのだ。
臣下として接すること。
それは、あくまでも建前だけであったはずなのだが、知らずのうちに構えることを覚えてしまったのかもしれない。
流れた月日は長く、それは少し長過ぎた。
見た目は何も変わっていないのに、王として『成長』したオミを隣で見ていると、自分だけのものではないと改めて自覚させられて、どうにも寂しく感じるのだから。
「・・・何だか、随分と可愛くなったねオミ」
「・・・は?何をいきなり・・・っん!」
自分自身を誤魔化すように抱き寄せて、唇を軽く塞ぐ。
昔のオミなら、自分から甘えるような言葉など、滅多に言ってくれなかった。
けれど今は、きっと繕わない彼自身の言葉として、セフィリオに言ってくれたのだろう。
過ぎてしまった歳月に、変わってしまった愛しい人を前にして気を張り詰めているのは、恐らくセフィリオの方なのだ。
「・・・いきなり、こんな往来で何するんですか」
「あぁ、でももう照れてもくれないのか。睨まれるのも嫌いじゃないけど、本当は喜んで欲しいなぁ」
くすくすと笑うセフィリオに、本当に機嫌を損ねてしまったのか、オミは顔を背けてしまった。
本気で怒っていないのは分かっているけれども、怒鳴りもしないオミの態度は、なんとなく大人の余裕というものだろうか。
もう会話さえ止めたと言うようにセフィリオの方を見ようとしない身体を抱き寄せて、抱きしめた。
「ちょっと!暑いって言ってたくせに、くっつかないで下さいよ!」
「んー・・・なんとなく、置いていかれた気がして寂しくて」
「・・・?」
離れていた空白の時間を埋めることは、確かに難しい。
ましてや恋人となると、その変化が嬉しくもあり、寂しくもある。
「・・・あれ?それ、さっきの」
「ん。そういえば、もうそろそろなんだよね」
セフィリオがオミの前に差し出したのは、細長い形に切られた小さな紙。
「これ、短冊ですか?」
「そう。・・・何か願い事、書いてみる?」
くすくすと耳元で囁けば、オミは少しだけ身じろぎをして逃げようとした。
それを逃がすつもりはなく、腕の中の暖かい身体をもっと深く抱き寄せる。
「っちょ、・・・もう子供じゃないですし、今更願いごとなんて・・・」
「そういえば・・・オミももう二十歳を過ぎてるんだよなぁ・・・見えないけど」
「それは・・・セフィリオだって同じでしょう」
「でも、俺はまだ叶えたい願い、あるんだけどな。・・・子供だと思う?」
「願い・・・?」
見た目こそお互いに成長しきっていない子供だが、重ねた月日は確実に、彼らを大人へと変えてしまっていた。
七の月から数えて七日目。
高い青空に、セフィリオは抱きしめたオミの頬へと、顔を寄せて囁いた。
「今日も、またこれから先の『
今夜はきっと、漆黒の空へ綺麗に星が咲くだろう。
目の前を流れる川ではないけれども、時間もきっと、川のように2人を隔てる障害物なのだ。
それでも、たった1日の逢瀬でも、会えなくなることはない。
どれだけ遠く離れていても、必ずまた出会えるのだから。
「オミ。誕生日、おめでとう」
「・・・!あ、ありがとう・・・ございます」
一瞬驚いた顔をして見せたオミだけれども、次第に驚きは微笑みへ、柔らかく変化する。
大人になっても、嬉しいものは変わらない。
生まれてきたことを祝福するために贈ってくれた、大切な1日だから。
2人が出会えたことに感謝する、かけがえのない1日だから。
「えぇきっと・・・願いは、叶いますよ」
END