【35:幸せ】
あなたの指。
それは躊躇いながらも優しく僕に触れてくる。
肌に触れては、その体温を。
触れられて小さく溢した僕の声に反応して、指は触れる位置を変え、表情を読み取ろうと、頬に滑り降りてくる。
僕が緊張して堅い顔をしていれば、指を手の平に変え、柔らかく溶かす様に包み込んでくれる・・・。
見上げた先にある瞳は、嬉しそうな僕の表情を映してはいるけれども、その瞳に感情は映らない。
彩色をなくした深い碧の瞳は、ただの綺麗なガラス球のようにも見える。
あなたの手はこんなにも暖かいのに、感情の映らない瞳のせいで、その総てがつくりものの様に見えてしまう。
綺麗だけれど、とても儚くて、壊れやすい物のように。
こんなに近くに居て、その優しい指先で僕に触れてくれるのは、こんなにも幸せなのに。
少しだけ寂しくて・・・僕はゆっくりと目を閉じた。
***
君の肌。
躊躇う様に伸ばした指で触れた頬に感じる暖かな体温。
触れられたことに緊張している様だったけれど、柔らかい頬を手の平で包めば、ふわりと上がる体温と、浮かんだ口元の笑み。
その笑顔をこの瞳に映すことが出来ないのは残念だけれど、記憶の中で君が笑うから・・・。
見えているものが総てではない。見えないことに不自由は感じていなかった。
ただ、見えていない僕を見て君が傷付いた顔をする・・・その事だけが気に掛かるけれど。
触れた頬に力が篭った。
降ろされた瞼に、泣きそうな君の表情が蘇る。
どこまでも優しくなれる君だから、またこの見えない瞳に苦しんでいるのだろう。
君の所為ではないのに。ただ、僕が僕自身の為に行動した結果なのだから。
力のない、柔らかい頬から細い肩に手を滑らせて、引き寄せる。
小さく零れた声に驚いているのだと解ったけれど、僕は力を緩めずにその小さな身体を抱き締めた。
温かな鼓動。
春の陽の様な柔らかな香り。
緊張しているのか、少し強張った体も、優しく背を撫でればふわりと和らぐ。
大丈夫。
僕は君が腕の中に居るだけでこんなにも幸せなのだから。
そう伝えるように、優しく、抱き締めた。
? ***
肩に触れた手が、突然僕を引き寄せて、抱き締められた。
突然の行動に一瞬理解できなくて、僕は身体を堅く強張らせてしまうけれど。
あなたの腕の中はどこまでも優しく暖かで、僕は思わず泣きそうになる。
幸せなのに、こんなに胸が苦しくなるなんて思わなかった。
僕は止めていた息を吐いて、広く暖かい胸に顔を埋める。
蕩けていく緊張とは別に、成長していく切ないココロ。
こんなにも苦しいのは、僕がそれだけあなたを好きだと思うから。
もう一度触れてきた指先に、頬を撫でられ、促されるままに見上げる。
優しく微笑んだ瞳が、何も映らないガラス球を綺麗に輝かせて彩色を取り戻す。
近付いてくるその瞳を見つめたまま重なる唇は、泣きそうになるくらい優しかった。
たとえ終わりの決められた未来だろうと。
あなたを好きになって、僕はこんなにも切ない幸せを知りました。
END