11:混乱
「レーイ!」
呼び声がした。
普段なら、誰であろうがその名で呼ばれて振り返ることはない。
たった一人だけに呼ばれていた名前だから、他の誰にもこの名で呼ばれたくなどなかった。
けれど。
「こっち来る?風が気持ち良いよココ!」
『来いよレイ。ここは風が気持ち良いぜ』
呼ばれるまま振向いてしまった僕に、何がそんなに嬉しいのか、両手を振って叫ばれた。
太陽を背にして、兵舎の屋根の上で笑っている笑顔に、苦しいほど苦い記憶を掘り起こされる。
ここは、トランの自分の家ではない。彼が居た思い出の場所でもない。
なのに、どうして。
彼の・・・テッドの呼び声でもない声に振り返ってしまうのだろう。
その名を違う声で呼ばれたくないはずなのに、不思議と嫌とは思わない。
振り返ったそのまま、僕は一瞬だけ足を止めて溜息と共に吐き出した。
「・・・落ちても知らないから」
高い高い屋根の上から身を乗り出して僕を誘う声と笑顔は、彼に良く似たもの。
もう二度と戻らない、大切な友の面影を思い出させる辛いもの。
「わ!待って、待てってば!レイ!!ぅ・・・わぁああ!!!!!」
別に立ち去るつもりの無かった僕だけれど、歩き出した僕の後ろで、慌てる声と何か重いものが落ちる音が聞こえた。
流石に振り返れば、乗り出し過ぎてやはり落ちてしまったらしい。
「・・・ッた―――・・・・!あー流石に痛い!いててて・・・」
落ちた場所まで無事を確かめに行く間もなく、勢い良く起き上がった彼は目一杯うめいている。
「何だ今の音・・・!?」
「うわぁカナタ様!何をなさってたんですか?!頭!血が!!」
「あはははちょっとドジったゴメン。まさか落ちるとは思わなくてさー」
兵舎の屋根の上に居たものだから、音に驚いて飛び出してきた兵士達に途端囲まれる。
・・・そう、頭もさして良くない。寧ろ馬鹿の域だ。
武道はまぁそこそこの腕だろう。体力と身体能力は人外レベルだが。
カナタはただの子供だ。どの村にでも一人はいるような。
決して、軍主の器などではない。それは、僕だけじゃなくて本人よくわかっている。
全てを『諦めて』勝利の為に戦う覚悟など、彼にはないのだから。
「この屋根の上登った事ある?気持ちいいんだよなー止められないよ一回やると」
「危険ですからお止め下さいとあれほど申したでしょう!!全く貴方という人は・・・!!!」
騒ぎを聞きつけて駆けつけた軍師にいつもの如く説教を受けている。こんな光景もいつものことだ。
だが、この城の者は皆して彼を軍主と呼ぶ。ただ紋章を継承しただけの、何の力もない子供を。
全く、あれの何処がいいのか。
わからないけれど、大勢に囲まれた彼を見ていることが無性に気に入らなくて、僕はその場から立ち去ろうとした。
「あ、説教は後で聞くから今はパス!レーイー!待ってってばー!!」
帰るからと何か声をかけたわけでもない。それでも、カナタは気付いて、僕の後を追うように走り寄ってくる。
兵士達に巻いて貰っていたのか、額の包帯は巻きかけのまま。流れた血はふき取ったらしいが、それでも白い布を汚すのは、まだ止まらない血のはずなのに、痛みを感じていないような素振りで走って来る。
追いかけてくる。僕を。いつでも。
彼を引き止める声を全て振り切ってでも、僕を。僕の元へ、走ってくるのだ。
「・・・・・」
そのことに、不思議と先ほどの苛々は消えて、呼び止められるままにカナタを待つ。
走り寄って来たカナタは僕が待っていることに嬉しそうに笑って、隣に立った途端・・・盛大に腹の虫を慣らした。
「あー・・・へへへ。ねぇレイ、昼飯食べてないよねぇ?腹減ってない?」
「・・・別に」
「そう言わずにさ!オレもうぺこぺこなんだよ〜。ハイ・ヨーの料理美味いんだってマジで!ほら決まり!行こう!!」
「ちょ・・・っ」
僕の言葉など聞いてもいない。自分勝手で、単純で。
「カナタ殿!待ちなさい!まだ話は・・・!」
「カナタ様〜!せめて手当てだけでも〜!」
後ろから追いかけてくる言葉を振り切るように、僕の腕を掴んだまま走る。
「だから後で聞くってば!手当ても後でやるから大丈夫!じゃ!!」
前半は軍師に。後半は兵士達に。それぞれ言葉を投げかけて、僕の手を引いたまま食堂へと走っていった。
***
「カナタ様、こんばんは」
「カナタ君、今日も元気ねぇ」
「カナタ!また、見てかないかい?それと・・・いいや!後は次の機会にでも話すよ。またな!」
「カナ!もうどこに行ってたのよシュウさんカンカンよ!今度は何をしたの?」
どこにでもいる普通の少年だからなのか、こんな風に誰からも好かれ慕われる。
確かに、元気が良くてくるくると良く変わる表情は、嫌われるものでもないだろう。
歳相応の、子供らしい顔つきだ。
その癖に、彼が『好かれる』のはそれだけではない。
「カナタ様、あの・・・私・・・」
「ええと、前にも言ったと思うけどさ。・・・ゴメンね?」
もうこれで何度目か。
男女問わず、カナタに言い寄る者は多かった。
トランへと帰ろうとしていた僕を無理矢理連れ出して、夜釣りに行くと言い出したのは彼の方だ。
なのに、夜出歩くだけで彼を部屋へ誘おうとする者たちに掴まって、中々目的の場所へと辿り着けない。
「まーた掴まってんのかアイツ。相変わらずモテてんなぁ羨ましい」
「・・・また?」
壁に凭れてそんな光景を眺めていた僕に、偶然通りかかったシーナが声をかけて来た。
昔馴染みだから、少しは話せる相手だ。あっさりした性格も嫌いじゃない。
「あぁ?知らねぇの?アイツ、めちゃくちゃモテるって」
「・・・いや」
この城へ来て何度目かの光景だ。知らないわけじゃない。
けれど、そう言われても、カナタは普通の子供だ。言い寄られる理由が、よくわからない。
「まぁお前と会う前まではなーアイツも結構遊んでたし。未だ忘れられなくて告白する奴等が減らないってだけで」
「遊んでた・・・?」
「有名だぞー。『桜花軍の軍主は花を咲かせて散らす天才だ』ってな。ま、最近は大人しいみたいだけど」
そんな話は初耳だ。
けれどそれも昔の話で、今は違うというのに、どうして。
「案外、本気で好きな相手でも出来て、そいつに操立ててるとかな!お前、知らね?」
「・・・・」
「・・・フェイ、お前・・・顔が怖いぞ」
振り返ったシーナにそう言われて、僕は溢れかけた感情を飲み込んだ。
・・・今、僕の中に浮かんだ感情は何だ?
テッドを失ってから、僕の感情は些細な事では揺れることも無くなった。
それなのに。
「お待たせ、レイ。・・・行こっか?」
少し困ったような、申し訳ないような顔でカナタは僕に微笑む。
カナタの濃い琥珀色の瞳に、僕の顔が映り込んでいた。
今、僕にしか向けられていないこの瞳が・・・・他の誰にでも向けられていたのだと知った途端、また苛々する気持ちが抑えられなくなってきた。
「・・・レイ?」
「カナ〜。フェイの奴いつもにも増して機嫌悪いぞ。お前何かしたか?」
「えーと別に何もしてないとは思うけど嫌われたくないし!!ねぇレイ・・・オレ、何かした?」
「・・・・!」
間近で覗き込まれて、初めて彼の真顔を真っ直ぐ見た気がする。
いつもの子供っぽい表情が浮かばない彼の顔は、月光のせいかひどく大人びて見えて。一瞬、誰かわからなかった。
確かに、整った顔だと言う事は気付いていたけれど。
目が離せなくなる。僕しか映らない、映さない瞳を、誰にも渡したくなくなる。
「レイ?・・・オレの顔、変?」
「・・・ぁ・・いや」
何でもない風を装って、カナタから視線を外した。
今、僕は何を考えた?何を望んだんだ・・・・?
苛々する。感情を、かき回される。こんなの、僕じゃない。僕であるはずがない。
「・・・・帰る」
「あ、帰るって・・えぇ?!ちょっと待ってレイ今から帰るってもう夜なんだけど!」
「帰る。・・・ここに居たくない」
「それでも危ないって!釣りはまた今度でいいからさ、せめて今日は泊まって行って!お願い!!」
「・・・・」
城から出ようとした僕の腕を掴んだまま、カナタはじっと僕を見つめる。
力一杯掴まれてる訳ではない。振り払おうと思えばいつでも出来た。
でも、その掴んだ手が酷く熱くて、暖かくて、振り払えない。
自分の行動の意味を理解出来ない僕よりも、焦った声がカナタを止めた。
「・・・・ちょ、カナ・・・!その手を掴むのは止めとけって・・・!」
「何で?別にレイ、怒ったりしないよ?」
シーナの囁き声に、改めて気付く。
カナタが掴んでいるのは他人に触れられるのが怖かったはずの、右腕だと言う事に。
そう、僕は無意識に許してきた。
僕を『レイ』と呼ぶこと。話すこと、共に居ること。そして・・・右手に触れること。
「・・・・・」
呆然と、ただ腕を掴むカナタの瞳を見つめ返して。僕も・・・何も、答えられない。
「・・・レイ。ねぇ、折角来たのにさ。もっと話したいし・・・ダメ?」
自分の変化がわからない。
誰にも『レイ』と呼ばれたくなかった。
誰にも『右腕』を触れられたくなかった。
何時の間にか、それを許して受け入れてしまっている僕がここにいる。
「レイ」
ただ、僕へと向けられるカナタの感情。
僕だけへと、向けられる心が・・・・。
何故か、とても欲しいと思うのに・・・・苦しくて。
「レイ・・・、本当に、どうかした?何かあった?」
黙り込んだ僕を、右腕に触れられて振り払わない僕を不思議そうに見つめて居たシーナの瞳が、カナタの身体に遮られて途切れる。
僕はどうしてか、それだけのことに酷く安堵し、詰まっていた息を吐き出すように囁いた。
「・・・もう、休む」
「あ、うん。話は、いつでも出来るもんね。今すぐ部屋、用意するから。あ、じゃあねシーナ」
「お、おう。・・・オヤスミ。また明日な!」
いまだ不思議そうな目をしているシーナから視線を外して、僕は右手に触れたままのカナタの温度に逆らわず付いていく。
腕を掴まれたまま連れて行かれたのは、もう見慣れてしまった彼の部屋だ。
「ええと、ごめん。やっぱいきなりだったからさー、ちょーっと時間かかるかも知れなくてさ・・・」
カナタのこんな我侭は今に始まったことではない。
もちろん、頼みさえすればそう時間もかからずに僕は部屋を与えられただろう。それが突然でも、さも当然のように誰もがカナタの頼みを受け入れるのだ。
でも、誰もそれを迷惑だなんて思うこともなく、カナタが『軍主』だからでもなく、その我侭には笑いながら応えてくれる。
それは、カナタが『カナタ』だからだ。他の誰でもなくカナタだから、つい甘やかしたくなる。
・・・自分以外の誰もが気付いているその事実に、今更僕は酷く気が逆立っていくのを感じでいた。
「じゃあ、ちょっと待ってて。部屋の準備が出来るまでここで・・・・。待つの辛いならココで寝てもいいし」
「カナタ」
「必要なものはー・・・ええと、何?」
部屋を出て行きかけたカナタを捕まえて、僕は言葉を続けた。
「何が、目的・・・?」
「・・・はぇ?」
「君が僕に絡む理由。・・・どうして僕ばかり追いかける?」
正直に言えば、鬱陶しいのだ。
――誰も彼もから好かれている彼がどうして僕なんかに構うのか。
カナタの傍に居ると、自分が自分でなくなる気がして。
――そしてそれを嬉しいと、受け入れている自分がいるのか。
記憶の中のテッドが、遠くへ行ってしまいそうで。
――カナタのお陰で痛みは薄れた。けれど、忘れてはいけないのに。
それほどまでに、カナタは眩しい。
――僕は、明るい場所には出たくない。出られない。まだ、僕は僕を許した訳じゃない。
どこにでもいる普通の子供の癖に。・・・きっと、カナタに変わる人は誰も居ない。
――それでも、カナタは僕を許した。テッドのように受け入れた。だから、怖い。
「君は、いつか僕が要らなくなる。邪魔になる。僕の紋章を知っているはずだ。それなのにどうして・・・」
僕の言葉に少し悩んだ表情を浮かべ、それでもカナタは逃げることを選ばなかった。
「絡む・・・って、ええと、・・・そういえば言ってなかったよね」
少し照れたように俯いて、それでも心を決めたのか、僕を真っ直ぐみつめてくる。
テッドに良く似た濃琥珀の瞳。
真摯な瞳は、彼に良く、とてもよく似合っている不思議な視線。
「初めて会った時のこと、覚えてる・・・?ラダトでさ、ぶつかった時のこと」
覚えている。あの時こそ、彼に関わってはいけないと思った瞬間だったから。
「あの時からもう、オレ・・・レイのことばっかり考えててさ。・・・なんていうか、凄くココが苦しくて」
そう言ってカナタが押えたのは胸の上。
「今まで、色んな人と付き合って来たけど、こんなに苦しくなったの初めてでさ」
「・・・・」
「オレ、知ってると思ってたんだよ。人を好きになること、レンアイってこういうもんだって、わかった気になってた。知ってると思い込んでた」
「・・・恋、愛?」
「うん。でも、違うって気付いたよ。レイと逢ってからオレはそれがどういうものか、初めて知ったんだ。好きなんだ。オレ、レイが。友達なんかじゃ嫌だ。レイの恋人になりたい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・好、き・・・・?」
まだ、知り合ってそう時間が経った訳じゃない。
僕が、彼に何をしたって言うんだ。付きまとうなと、邪険に払っただけなのに。
ただ、外見だけで、僕が好きだって、そういうのか?
「・・・‥」
そもそも、友達にだってなる気はない。
彼と出会ったのは本当にただの偶然で、カナタが勝手に僕を連れ出して・・・。
そう、全てはカナタが勝手にやったことだ。カナタ一人のわがままだ。
けれど、それでも僕は今、彼に望まれるままここにいる。
どうしてだ?どうして、僕は彼の言葉を受け入れる?
僕はもう誰も、親しい人間を作るつもりは無いというのに!
「・・・っ」
「レイ・・・?!」
自分が分からなくなる。
誰かを相手にしてこんなに混乱するのは、始めてだ。
胸が、苦しい。頭が、痛い・・・。
「ッちょ、レイ!?」
引き止める腕を今度こそ振り切って、立てかけていた根を手に部屋を飛び出す。
カナタの部屋の警備を固めていた兵士達が、突然飛び出してきた僕に驚いた顔をするがお構いなしで、一気に階段を駆け下りた。
これ以上、ここに居たくない。
何かが、壊れてしまう気がする。
僕は、・・・許して、しまいたくなる。
カナタがくれる言葉を、両手で掴み取ってしまいたくなる。
新しい居場所なんて、要らない。大切なものなんて、もう僕には必要ないのに。
真っ暗な空の下に飛び出して、追いかけてくるカナタから出来るだけ早く離れたかった。
「・・・・・・テッド・・・ッ!」
乾いた喉から搾り出した声は。
もう居ない、僕が殺した親友の名前だった。
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⊂謝⊃
んーんーんー・・・・。年越しでお久しぶりですフェイカナです。
おーおー前回折角くっつきそうな雰囲気になったくせにもう一度引き離してみやがりましたよ。
そう簡単に物事が上手くいくと思っちゃいけねぇぜカナタくん?
・・・なんて良いながらも、今回のフェイレイさんはひたすらカナタに偏ってしまいました。
え、くっつくの時間の問題だろうって?
ええきっとその通り。(笑)でも、大人しくくっつけてはやりません。
さりげなくフェイレイから矢印が伸びましたけれども、きっとカナタは気付きません。(笑)
でもこれどう見ても坊主じゃなくて主坊・・・(吐血)
斎藤千夏 2008/08/04 up!(超年越し・・・/滝汗)