*勝負!*
早朝。
それは誰もが暖かいベッドに潜り込んで、心地良い睡眠に身を委ねている時間。
まだ朝霧が晴れないデュナン湖の辺の寒空の下で、いきなり激しく打ち合う音が響いた。
「・・っ!ま、だだ!」
弾き返されバランスを崩した身体に、容赦なく追い討ちをかける黒い棍。
地面を転がるようにして何とか避けて、間合いを計るよう気を配りながら飛び起きる。
相手には、『間合い』などというものが存在しないように感じた。
それほどまでに、彼の攻撃範囲は広い。
完全に死角をついたと思っても、そこは彼自身の攻撃範疇だ。
その見えない壁のような一線を越えてしまうと、常に喉元に冷たい刃が押し当てられているような気分になる。
だから、中々近づけない。オミの間合いは、その壁の中にあるのに。
「甘いよ。少し鈍ったんじゃない?」
「〜〜〜っ!!」
つい先日までベッドの中から出られなかった相手に、ここまでコケにされると流石に腹が立つ。
力で殴りかかっても、捨て身で切り込んでも、風を孕んだ布のようにひらりとかわしてしまうから。
「体が鈍ってるから相手してくれって言ったの、セフィリオの方じゃないか!」
「うん、やっぱり少し動きづらいよ?・・・じゃあ小手調べに」
あれだけ軽々と避けておいて、それはないんじゃないかと思う。
ふっと笑ったセフィリオが、左で持っていた棍を右に握り直した。
それを見てオミは、抜けていた気を高める為にトンファーを構え直す。
「今度は、俺から行こうか」
そう言った声がオミに届く前に、気配を後ろに感じる。
慌てて上へ飛び退くと、逃げたオミを追うように棍が繰り出される。
「は、早・・・っ!」
「無駄口叩いてる暇、ないと思うよ」
何とか避けて構えを整えるより先に、再び打ち込まれる重い一打。
どう見てもオミのトンファーと比べて軽くて細い棍なのに。
片腕で受け止めると、暫くその腕が痺れて使えない。
骨までびりびりする痺れを感じていながら、オミは微かに笑った。
セフィリオは強い。それも桁違いに。
そんな相手と手合いしながら、オミは嬉しそうに唇の端を吊り上げる。
「・・・ん?」
オミの動きが、少しずつ変わり始めたのに気付いたのは、もう追い詰めたと思った瞬間。
繰り出した棍の反動を利用して、逆に打ち返してきたその時だった。
「っく・・・!」
思わぬ反撃に身体を捩るが、暫く寝込んでいた身体は軋んで言う事を聞かない。
「もらったっ!」
自分から地面に倒れるようにして一撃目を凌いだセフィリオの目の前には、再び繰り出される二撃目が。
それは、幾ら強いと言われる猛者でも、避けられるものではない追撃。
倒れ込んだ拍子に地面に転がった棍は、オミの足で押さえられてしまっている。
もうセフィリオにも逃げ道はない。オミは、嬉しそうに笑ってトンファーを繰り出す。
けれどそこに、オミの油断が生まれた。
「・・・っ!!」
派手に吹き飛ばされたのは、何故かオミ。
遠くで、水しぶきが上がった。
なんとか危機を切り抜けたセフィリオは、慌てて立ち上がる。
「オミ、オミ!大丈夫か?!」
つい本気で蹴ってしまったらしい。
オミに生まれたのは、絶対勝てると思った気の緩み。
そこを見逃すセフィリオではない。
体勢を崩して倒れ込んだ上からトンファーを振り下ろされる前に、身体を捻りながらの回し蹴りがオミの身体を蹴り飛ばしたのだ。
軽いオミの身体は、体重と回転の加わったセフィリオの蹴りにあっさりと吹き飛ばされてしまった。
「・・・・・っぅ・・!」
小さくうめきながらも、自力で湖から這い上がってきたオミは、登り切ると同時に倒れ込む。
トンファーを投げ出して横たわるオミに、セフィリオは駆け寄った。
「オミ!」
抱き起こすセフィリオに苦笑して見せて、ひらひらと手を振り、今度はにっこり笑った。
もう片方の手で腹部を押さえているが、大した怪我はないようだ。
「大丈夫、直では入ってないから・・・」
もし直で入っていたら、肋骨の数本は覚悟するべきだっただろう。
酷く冷えてしまったオミの肌に舌打ちしながらも、組み手をしていた相手がオミでよかったと思う。
いや、オミ以外にここまで追い詰められたこともないので、どれが正しい見解かは分からないが。
「それにしても、ずるい。あそこで足が来るなんて卑怯だ・・・!」
びしょびしょに濡れた身体を少し震わせて、オミは拗ねたような声を上げる。
元気そうなその姿に、本当に惨事は免れたようで、セフィリオも詰めていた息を吐いて言葉を告いだ。
「・・・まさかオミがここまでやるとは思ってなかったからね」
気を抜き過ぎていたのは、セフィリオだったのかもしれない。
オミは、明らかに相手であるセフィリオの動きを、少しずつ自分のものにしていたのだ。
セフィリオでさえ幼少の頃から積み上げたその動きを、オミはたった数時間で。
「オミは・・・城の他の人間と手合わせしても、楽しくないんじゃない?」
「・・・・」
その通りだったので、オミは口を噤む。
執務に追われる時以外は、もっぱら遠征と鍛錬に時間を割いているオミだ。
けれど、その鍛錬も相手を務める人が居ない。
元々身体を動かす事の好きな性格である為、相手が欲しい時には道場を覗いたりもする。
だが、一般兵の大半は、幾ら軍主と言えどもオミを子供だと舐めて掛かってくるのだ。
そんな隙だらけの大人など、オミにとっては造作もない相手で。
たまに、本気で向かってくる相手もいるが、それでもやはりオミが本気で組み手をやれる相手ではなかった。
だからセフィリオから言い出した手合いだったのだが、実際楽しんでいたのはオミの方だっただろう。
生半可な鍛え方をしていないセフィリオなら、加減も寸止めも自由自在に操れる。
組み手の最中に本気を出しても、怪我人がでることはない唯一の相手。
先程の蹴りは、まぁ不慮の事故ということで。
「・・・うん、楽しかった」
自分自身で納得して笑い、立ち上がったオミが、一瞬バランスを崩した。
「オミ・・・?」
とさりと差し出した腕の中に倒れ込んだオミの額に、小さな汗の粒が浮いている。
先程から、右手を添えたままの腹部。
「・・・っ!」
舌打ちと共に、地面に寝かせたオミの胴着を取り払った。
本当に、さっきの蹴りは容赦のない入り方をしていたはずなのだ。
とっさに数歩下がって衝撃を殺し、骨を折ることは逃れたものの、内蔵を圧迫していないわけがなかった。
「・・・加減きかなくてごめん、オミ」
「いえ・・・。避けられなかったのは僕ですし・・・」
笑って見せるが、それは痛みを堪えた苦笑でしかなくて。
その笑顔が余計に痛々しくて、セフィリオは眉を寄せる。
「・・・無理して笑う事はないよ。俺の前だ、繕う素振りは見せなくてもいい」
オミの腹部は肌を赤く染めていて、後には青く鬱血が溜まってくるだろう。
「・・・っ!」
すっと撫でたそれだけで、オミは小さく息を呑んだ。
青白かった空は、何時の間にか眩しい朝日が空を照らしている。
「ここまでにしようか」
「大丈夫です!まだ・・・っ!」
時間はある。確かにそうだろうが、セフィリオは首を振った。
「組み手で怪我をしていたら元も子もないよ。俺はいつでも相手になってあげるから。加減が出来るかは分からないけど、努力もする・・・し?」
そう言いかけたセフィリオの頬に、オミの手が伸びる。
「・・・っ」
オミの手が触れた瞬間、ピリっとした痛みが走った。
「・・・僕も、手加減ききませんでしたから」
頬から離れた指には、少し流れる血が。
イタズラっぽく笑うオミに、セフィリオは驚いて・・・苦笑する。
あの瞬間、セフィリオを加減が出来なるなるまで追い詰めたのは間違いなくオミなのだ。
頬の傷は、あの時かわしていなければどうなっていたかを物語っている何よりの証。
「この勝負、引き分けですね・・、いたたた・・・っ」
くすくすと笑いながら言ったオミは、笑った拍子に痛かったのか、けれどまだ笑いながら腹を押さえている。
オミのそんな言葉に、セフィリオに1つ考えが浮かんだ。
「じゃあ、こうしようか?」
何かを企むような笑いを含んだセフィリオの言葉に、オミの背筋に嫌な予感が走った。
-----***-----
「くっ!」
「まだまだ!」
「当たれぇ!」
「甘い!」
それからと言うもの、オミは軍主としての仕事が終わる度に、セフィリオと『修行』だと言って手合わせをしていた。
まれに武器を使うことを禁じて素手のみでの組み手などもやりあったりする。
組み手だと、オミの勝機は飛躍的に上がるのだが、お互いが武器を使用するとその差は急激に開く。
それはオミが幼い時から武術を嗜んでいたのに対して、セフィリオが棍の師について学んでいたからだろう。
「〜〜っ!何で!!」
案の定、武器であるトンファーを吹っ飛ばされたオミが、地面に尻餅をつきながら怒鳴る。
悔しさいっぱいの顔をして見つめてくる瞳に、セフィリオも思わず笑いが零れた。
「オミの弱点、見つけたから」
だからいくらセフィリオを追いつめても、最後で必ずひっくり返されてしまう。
それも、あの日以来オミを一切傷つける事もなく、ただ形勢だけを返してしまうのだ。
とどのつまり今の所、オミの負けっぱなしの状況だった。
「さ、今日は何にしようか?」
にっこりと笑ったセフィリオは嬉しそうに、座り込んだオミの前にしゃがみ込む。
「・・・・・・」
「拗ねても、俺の勝ちは勝ち。『賭け』・・・だもんね?」
「・・〜〜!」
黙り込んでしまったオミだが、一度決めたことは仕方がない。
頷いて、じっと目の前のセフィリオを見つめる。
オミに覚悟が出来たと見て取ったセフィリオは、小首を傾げながら囁くように言った。
「・・・そうだね。オミから、キス・・・して?」
「・・・・・・・・・・・・は?」
気合を入れた真剣な顔でセフィリオの『賭けの報酬』を待っていたのだが、一瞬思考が停止した。
「オミー?まだ易しい方だと思うんだけど、無理なら変更してあげよ・・・・?」
にやにやと笑うその笑みに、オミは1つ溜息を零して唇を塞ぎ、セフィリオの続きの言葉を飲み込んだ。
「・・・はい、終わり!」
「・・・認めない!」
「ちゃんとしたじゃないですか!ぼ、僕から!セフィリオに!」
「アレがオミにとっては『キス』な訳?甘いね」
「・・・〜〜〜!」
ああ言えばこう言う。
そう言えば、口喧嘩でも勝ったためしがないのだ。
それもそれで悔しいが、オミが『賭け』に負けたのは事実である訳で。
少々機嫌を損ねてしまったらしいセフィリオの頬に、ゆっくりと手を伸ばす。
「・・・じ、っとしてて下さいよ?手、出すの禁止ですよ?!」
ハイハイと言った様子のセフィリオは、自分の頬に触れてきたオミの手に機嫌を直したらしい。
触れてくる手に手を重ねて、座ったままオミのキスを待つ。
座り込んでいたオミはセフィリオの単純さに苦笑しながらも膝立ちになり、そっと唇を重ねた。
数えきれないほどのキスを繰り返した二人だけれど、こんな風にオミからすることは殆どなかった。
唇を濡らすように角度を変えて何度も啄ばむ。
また唇が軽く離れた瞬間、ふとお互いの視線が絡んだ。
微かな沈黙の後、ゆっくりと・・・・それが自然であるかのように、深く重なる唇。
何時の間にかセフィリオの手はオミの腰を抱き寄せる形で、地面に腰を下ろして膝を立てた間にオミを引き寄せていた。
オミもオミで腰を抱く強さを感じていながら、セフィリオの髪を指に絡めながらキスを止めなかった。
いや、・・・・止められなかった。
「オミ・・・ごめん、ココで抱・・・」
「っぅわ――――――・・・・・・っ!!!!!」
思いっきりいいムードだった雰囲気をぶち壊したのは、オミ。
それも、口の中で叫んだような小さな声と共に、セフィリオを思いっきり突き飛ばして立ち上がった。
「・・・何するんだいきな・・・!」
「後で!いいから今は離れて・・・!」
起き上がって問い詰めようとオミの腕を掴むが、オミはあっち!と目配せをした。
「・・・これはこれは。また手合いをしていたのですか?」
にっこりと微笑みながらやってきたのは、ホウアン医師だ。
この軍医には色々決定的な場面を見られているから、今更な気もするが・・・オミは耐えられないらしい。
「けれど、無理はなさらないで下さいね?」
以前のオミの怪我のことを言っているのだろう。腹部に入った蹴りの痣は、今もまだ残っているから。
あれは見た目が派手なだけで、結局内臓に支障はなかった。
セフィリオはそれには安堵していたようだが、内心酷く驚いたものだ。
あれだけまともに入って、鬱血の痣だけで済んだのだ。反射神経は並みじゃない。
だから、それからはオミに対して手を抜くことをしていない。
自分の抑制が届く範囲で、けれど本気を出して相手をしている。
オミも一度追い詰めた事があるからか、少々意地になって勝ちを狙っていた。
いや、ただ『賭け』に負けたくないからかもしれないが。
「はい、あの時はすみません。早朝なのに起こしてしまって・・・」
「いいんです。私がお役に立てるなら、幾らでもお使い下さい」
にこやかにそう言って、去っていくホウアン。その後ろには、大きな籠を背負ったトウタもいた。
ここは城から少し離れたデュナン湖だ。恐らく彼らは薬草の採取にでも来たのだろう。
「・・・絶対見られてる」
「別にいいんじゃない?彼は知ってる訳だし」
二人がどこまでいっちゃった仲なのかを、彼は医師なだけによーく理解している。
彼以外にも本来男同士のオカシイ間柄なのにも関わらず、誰も否定も批判もしないのは、
セフィリオといる時のオミが、年相応に息を抜いているからと言う事を、オミ本人以外が知っているからだ。
セフィリオはオミにとって心の薬なのだ。
常に揺れ動く心だからこそ、彼がいる時のリラックスしているオミに皆が安堵する。
幾ら軍主でも、幾ら過酷な生い立ちをしていても、オミはまだたったの15歳。・・・子供なのだ。
「人もいなくなったし、続き・・・する?」
そんな突然のセフィリオの言葉に、オミは一気に赤くなった。
慣れてない訳でもないのに、こういう台詞にはとことん弱い。
そういう初心的なところが、イタズラ心を刺激する事さえ、オミは知らないのだろう。
「それとも、こっちの『続き』する?」
こっちと言いながら上げたのは、棍を持った腕。
「・・・それなら、いくらでも」
きっぱりと言い切ったオミの目は、真っ直ぐセフィリオを射抜くようで。
この子は強くなるだろう。
セフィリオですら、簡単に追い抜いて。
自分の考えに苦笑しながらも、その瞳の輝きから目を逸らせないでいた。
「では、始めよう。ちなみに負けた分はさっきのと纏めて後払いだからね」
「え?!」
「気を散らさない!だってさっきはっきり言ったよね、『後で』って」
「あ、え、えぇ―――!?」
「・・・あれ?もう降参?」
水際に追い込まれてしまったオミは、軽く舌打ちして、何故かセフィリオの懐に飛び込んだ。
簡単に棍で防いだ筈なのに、するりと飛び込んだそれは打ち込みではなく、小さなキス。
「・・・?!」
「油断大敵・・・・ですね?」
セフィリオが驚いている合間に、オミは水際から脱出する。
「・・・やるね、中々」
くすりと、嬉しそうに笑ったセフィリオは、もう一度棍を構え直した。
オミもトンファーを構え直して、笑う。
「では、いざ尋常に・・・勝負!」
END
⊂謝⊃
はー・・・伏線が沢山ですね。こんなに纏められるのか俺・・・・っ!
はてさて、やっとこ上がりました!お待たせしましてすみません!!
77000HITのリクエスト 「くっついてる状態でのセフィリオとオミ二人の手合わせ」でした〜v
77777HITの話と、ちょろっとだけ繋がってますね。ハイ、時間だけv(殴)
期待していた方、す、スミマセン!!!(平伏)
こんなのでよければ、どうぞLAO様!お好きな様になさって下さいませ!!
しっかし、書いてて楽しい楽しい!久々の表ですしね、ちょっと気合入れました。(笑)
文中でセフィリオが思いついた『賭け』。
あえて書きませんでしたが、カンの良い皆様はお分かりでしょう。
「手合わせで負けた方が、勝った方の言う事を1つ訊く」です。
あー定番ですねーこういうの〜(笑)
最初は前半だけだったんですよ!オミが蹴られて終わりだったんですよ!
けれど、書いてるうちに賭け話にしたくて、つい長く長く終わらない〜状態に。(笑)
だって蹴られて医務室に運ばれて終わりだとツマラナイでしょう!
このサイトの定番で何回やったか・・・(苦笑)
結局はだらだらと続いた変な話になってしまいましたが、
昔の出会った頃の彼らの雰囲気狙いました。
・・・・・・・・・・・・・・連載してるセフィオミって暗いんだもん。(笑)
さて、これ以上謝罪を述べても墓穴掘るだけになりそうなので止めときます。(笑)
それでは、LAO様v
77000HITおめでとう&ありがとうございました〜!!!
斎藤千夏 2003/11/28 up!