*愛しいと想うもの*
広い空はどこまでも高く、青く。
穏やかな時間を、オミは一人城から離れた湖のほとりで過ごしていた。
今日は午後から会議があるというが、それ以外の時間は自由にしていて構わないと言われていたので、久し振りに出てきてみたのだ。
静かで美しい自然の中でのんびりと時を使うのは、本来ならば今のオミには決して与えられない時間であっただろう。
「平和だなー・・・」
勿論、こんな時間が長く続けば・・・それこそ永遠に続けば良いと思ってしまうのは、叶わない願いだからこそだろうか。
限られた時間であることは承知している。だからこそ、一人でこの時間を使いたかった。
城下から離れているこの場所は、人々のざわめきや喧騒からも遠く、聞こえるのは眠りを誘う木々のざわめきと鳥の囀りくらいだろう。
大きな木の幹を背にして、人気の無い静かな空気を楽しんでいたのだが、その静寂は唐突にして破られた。
「あー、やっと見つけたぞオミ!」
響いた大声はオミだけではなく辺りを驚かせ、子守唄のようだった小鳥達は我先へと飛び去っていくのが見えた。
大声の元を辿れば、オミが寄りかかっていた木の上に、翼の生えた少年が座っているのが見て取れる。
「おまえなぁ。いくら休みだからって軍主じゃなくなるわけじゃないんだろ?一人で城から離れるなんて、襲って下さいって言ってるようなもんだ」
バサリと翼を動かして傍へと降り立った少年に、オミは苦笑で返すしかない。
「チャコ・・・。うんそれは・・・わかってるんだけどね」
そう。
今がいかに平穏な時間であろうとも、戦争は終わったわけでもなく、オミが軍主でなくなったわけでもない。
けれど、チャコらしからぬ言葉の選び方に、オミは苦笑を浮かべたまま問いかけた。
「でも、そんなことを言うのは・・・シュウ?」
「・・・ま、みんな心配なんだろうさ。油断してるときのオミは、隙だらけだもんな」
「あれは、不可抗力だよ」
きっと、チャコが言いたかったのは出会ったときのことだ。
ぶつかったと思ったら、懐に入れていたはずの財布の重みが消えていた。
それだけでなく、追いかけようとしたオミの視界からも簡単に消えて見せたのだ。
「って、それが言いたいんじゃないんだよ。城に戻れとまでは言わないからさ、せめて誰か一緒に連れて行けって言ってんの」
「そうですよ。オミさんが傷ついたら、僕らみんなが悲しむということを覚えておいてくださいね」
茂みから、チャコの言葉に同意を唱えた声に、オミはまた驚かされた。
確かに彼らはここを良く訪れているだろう。
けれど広い湖の中で、オミの居場所まではどうやって突き止めたのか、それは分からなかったのだけれど、今それが漸く理解できた。
「キニスン?・・・シロも、僕を探してくれたの?」
「偶然見つけたんですけれど。・・・本当なら、邪魔をしない方が良かったのかもしれませんね」
オミよりも深く森に棲んで来た彼らは、人が自然を求める時の心境すらも良く理解している様子だった。
弱い姿を軍主が見せるのは、当たり前だが威厳を損なう危険があるため気をつけた方が良い。
だからこそオミは、自由に過ごせる時間のうち、ほんの少しだけでもいいから平和な時間を求めるようになってしまった。
誰にも見られるわけにはいかないから。・・・一人で。
「・・・誰か一人でも辛さを知っていてくれる人がいれば、それだけで救われた気持ちになれると思うのですが」
それは、一人で出歩くなと言ったチャコの言葉とは、また別の意味に聞き取れた。
「でも、僕は軍主だから」
「だから、ここに来るのでしょう?・・・軍主だと、知る者が誰も居ない、自然の中に」
本当は、後悔しているのかもしれない。
ほぼなりゆきとしか言えない中で、気がつけばオミはこの地位に立たされていた。
ただ、英雄の養い子というだけで。
ただ、英雄の忘れ形見を継いだというだけで。
それだけの理由で、彼らはオミを慕い、そして敬い、そして守ってくれる。
その代わり、彼らの願いをその背に託される。決して、逃げることなど許されない。
「なら、戦争とは係りの無い・・・そんな人を、オミさんは知っている筈ですよ」
キニスンの言葉に、迷うように俯いたオミの頬を、慰めるように舐めるのは暖かなシロの好意。
「軍主でもなんでもないオミさんを知っているなら、その方には一緒に時を過ごしてもらっても、邪魔になんてならないでしょう?」
柔らかく話しかけてくれるキニスンに、シロは甘えるように擦り寄る。
そして、オミにもしてくれたように、愛しげに舐めていた。
「あ、うわ・・やべ、オミ!!」
突然、頭上から響いたチャコの声に視線を上げれば、手の中に落ちてきた柔らかい塊があった。
まだ毛も生えたてなのか、殆ど毛玉のような丸い塊は、怯えていた身体をそっと解いて、手の主を見上げてくる。
「小鳥の雛?・・・どうして」
「さっき逃げちゃった鳥の雛なんだろうな。小さくて可愛いから触ろうとしたら、怯えて巣から落ちちまった」
少ししょげている様子のチャコに、オミは苦笑するが、手の中の雛は何かを講義するようにしきりに小さな泣き声を上げている。
広げた手の中から逃げようとしないので、オミに怯えているわけではなさそうだ。
「・・・ちょっと見せていただけますか?」
首をかしげたオミの手の中を覗いて、キニスンは何か納得したように頷いた。
「落ちた時にどこかの枝にぶつけたんでしょうか。羽の一部が擦り切れてしまっています」
このまま放置しては、成長しても無事飛べるようになるのか分からない。
本来ならば巣に戻してやるのが一番なのだろうが、一応大事を取って城で手当てしてみようということになった。
***
「・・・で?俺は一日以上もほっとかれた挙句、オミがその子を可愛がるのをただ眺めてろって?」
「・・・なんでそう卑屈になってるんですか」
折角の休日を一人で過ごされた上、仕事が終わってからの時間もオミの手は小さな生き物に占領されっぱなしなのだ。
「だって、仮にも恋人をほっといて、オミは小鳥の雛に夢中なんだよ。寂しいからに決まってるじゃないか」
ホウアンに見せた雛の傷は大したことは無く、傷口を清潔に保てば数日で巣に返せるようになるという。
本来ならば、自然のものはあまり人の手に触れさせるべきではない。
人を恐れない動物は、同時に警戒心が弱くなるということ。それでは自然の中で過酷な生活に戻ることは、到底難しくなってくる。
だからこそ、オミは早く手元から離すために看病していたのだが。
それ以上に相手をして、手放してやらなければならない相手のことをすっかり忘れていた。
「でも、セフィリオ。別に僕が相手をしなくても、家に帰ればグレミオさんが・・・」
「オミじゃなきゃ意味がない」
・・・いやもう、既に手遅れかもしれないが。
小鳥の方も、オミの手の中が気に入ったのか、暴れようともしないで素直に座り込んでいる。
小さな目でオミを見上げているものの、撫でる手が無くなれば、抗議を申し立てるように小さく鳴く。
「・・・・可愛いんだけど、いずれは巣に返さなきゃいけないから」
これ以上人の手に慣れる前に、オミは簡易の巣箱へと小鳥を放した。
暖かさから離された小鳥は鳴くが、オミは軽く唇で触れたきり布をかけて暗くしてやる。辺りが暗くなれば、鳥の習性だ。暫く経てば眠るだろう。
その様子を黙って見ていたセフィリオは、何か文句を言いたそうにオミを見つめている。
小鳥のように鳴いて抗議はしないが、その代わり逃げられないように抱き寄せられた。
「あの、何ですか?文句があるなら口で言ってください」
「じゃあ言うけど。オミはそう、自分を寂しい方へ追いやるのかな。俺がここにいるのに」
「は?」
いまいちセフィリオの言葉の意味が読み取れないオミは、されるがまま、ベッドへと腰を下ろしたセフィリオに抱きしめられたままだ。
「わざわざ、一人にならなくても。行き場の無い寂しさを、小鳥で紛らわさなくても。俺はここに居るんだよ?」
座ったセフィリオの顔は立ったままのオミの胸へと押し付けられるが、それ以上のことは何もしようとはせずただじっとしている。
その様子が、さっきの小鳥のように見えて、オミは思わず小さく笑ってしまった。
「・・・なんで、あなたのほうが寂しそうにしてるんですか」
「・・・恋人に、支えにさえして貰えないのは、結構寂しいものだよ」
視線を上げたセフィリオの目が、オミを見つめる。
悲しげな、けれど暖かいような想いが篭った視線を受け、一瞬固まったオミの唇に、そっとセフィリオの指先が触れた。
「人は、本当に愛しいと・・・可愛いと思った時、どうしてかここで触れたくなる」
触れた指はそっと、何かを確かめるようにオミの唇を撫でていく。
くすぐったくて、押し止めようと伸ばしたその手を捕まれて、今度はセフィリオの唇で触れられた。
「だから、俺は今オミに触れたくて堪らない。この指先から、髪一筋まで唇で触れたくて、堪らない・・・」
「セフィリオ・・・?」
セフィリオの突拍子もない"お誘い"は今に始まったことじゃない。
けれど、何かを振り切るように、溢れるものを我慢できないように触れてくる唇は、それ以上の言葉を飲み込んで、ただオミの肌へと触れてくる。
ベッドの縁に腰掛けたセフィリオの足の間に身体を引き寄せられて、体勢を崩したオミは慌てて、膝をベッドへと乗り上げた。
途端、近くなる視線の距離にオミが文句を忘れているうちに、セフィリオの唇は髪から額、瞼へと下りて、頬を滑る。
けれど、それ以上触れて来ないセフィリオの唇に、閉じかけていた瞳をゆっくり開く。
いつもならば、真っ先に奪われるのは唇なのに。
何かを躊躇うように、セフィリオはその先へ触れて来ない。
「・・・セフィリオ・・・?」
動きを止めたセフィリオにそう呼びかければ、苦笑を零した鮮青の瞳とかち合った。
「・・・唇へのキスを許してくれるということは・・・やはり、お互いが想い合っていてこその触れ合いなんだと、思い知らされるよ」
そのまま解放してくれたセフィリオは、それでも、どこか子供のように拗ねているように見えた。
今の今まで、場慣れしたオトナを気取っていたくせに。
オミから視線を逃がすように俯くセフィリオは、なんとなく元気が無い。
そうして、ふと小鳥を思い出す。どうしてそう思ったのか、オミにもわからないけれど。ついさっきも感じたのだ。
「・・・寂しいんですか?」
「そう、だからさっきも・・・!」
反射的に顔を上げて、言いかけたセフィリオの額に触れたのは、オミの唇。
驚いたようなセフィリオの顔に、間違えたかとオミは苦笑する・・・が。
「・・・は、はは。なんだ、俺・・・」
乾いた笑い声に、慌てて俯くセフィリオの耳は・・・オミでさえも見たこと無いほど赤く染まっていて。
「・・・セフィリオ?さっきから、何だか変ですよ?」
流石に心配になるというものだ。
今更、額にキス程度で・・・ここまで照れられると、心配にもなる。
「さっきの・・・雛に、キスしただろう」
「え?・・・うん、したけど、それが・・・?」
「それが、許せなかった・・・みたいだ。小鳥にまで妬くなんて、ちょっと自分が信じられないけどな」
つまりセフィリオは。
「・・・僕からのキスが欲しかった、ってこと?」
「・・・・・」
黙っているということは、肯定なのだろう。
別に、唇でなくとも良かったところを見ると、ただ純粋にオミのキスが欲しかっただけなのだ。
オミから、触れてくれるキスが。
「・・・初めて会った時も、キスしたよね」
「あれは、無理矢理奪ったって言うべきです」
「うん、だから」
漸く、少し赤みの引いた顔を上げ、オミへと手を伸ばす。
「あの瞬間から、奪ってでもオミが欲しかった自分に、今更気がついた。・・・愛しいと想ったそのまま、キスしてた」
髪に指を絡ませ引き寄せるまま、唇が重なる。
何度か触れ合って、離れれば、問いかけるようなセフィリオの視線と絡み合う。
「・・・今は、無理矢理じゃないよね?」
愛しいと想ったものに、人はどうしてか唇で触れたくなる。
そして、唇へのキスというのは・・・つまり。
「・・・そうですね」
それ以上の返事の代わりに、オミはセフィリオの唇へ、そっとキスを降ろした。
END
⊂謝⊃
すっげえ久し振りに、勢いだけで字を書いた気がします。だもんで、オミもセフィリオも別人〜♪(笑)
・・・それ以上に何が書きたかったんだか分からない話になっちゃった・・・(笑)
こんなSSでも読んでいただいて有難う御座います〜!
斎藤千夏 2007/02/13 up!