*最後の願い*
「・・ん・・・・」
ぼんやりとした意識の中で、素肌に感じるのは柔らかいベッドのシーツ。
瞼は重く、まだ開くことは難しかったが、辺りが見えなくともここが何処なのかということだけははっきりとわかった。
部屋の空気が微かに流れている。少し窓が開いているのだろうか。
その隙間から、いつも聞こえていた城下のにぎやかな声が遠く耳に届く。
いつもより声が高い気がするのは、勝利を喜ぶ住民達の声。きっと気のせいではない。
「・・・僕、は・・・?」
どうやってこの部屋まで戻ってきたのか、全く記憶にない。
ただ、重すぎる身体が、最後に使ったあの紋章の力を如実に顕していた。
紋章を使った反動が大きいということは、それだけその力が巨大だということなのだ。
「あ・・・!オミ君、起きられましたか!大丈夫ですか?私が、わかりますか?」
オミの声を聞き取ったのか、ベッドに駆け寄って来た誰かに声をかけられた。
多少矢継ぎ早ではあったけれども、まだ覚醒の浅いオミにもしっかりと聞き取れるように、ゆっくりとした速度で話してくれる。
その声に答えるように、オミもゆっくりと重い瞼を開いた。
「・・・グレミオ・・・さん?」
瞳に映り込んだのは綺麗な長い金髪。
あらゆる疑問が浮かんだが、それより前に問い掛けられた返答が言葉になる。
「そうですグレミオです。あぁよかった、外傷は無いのに眠り続けたままで・・・皆さん心配していらっしゃいましたよ」
起き上がろうとしたオミを片手で制し、身体を起こせるように手を貸してくれた。
確かに、起き上がるだけの力が腕にも上半身にもない。休めば少しは回復するだろうが、今はまだ動けそうにもなかった。
背の後ろに敷き詰められた枕に支えられるような形で、オミはようやく身体を起こしてグレミオを見上げる。
「・・・どうして、ここに?それに・・・」
周囲を彷徨うオミの視線の意味に気付いたのか、グレミオは小さく笑って答えてくれた。
「私は坊ちゃんに呼ばれて来たのです。今お城の中は戦争ですからね。オミ君を付きっきりで看病する者が必要だったのでしょう」
綺麗な布を枕元の水で濡らし、グレミオを見上げるオミの頬に押し当てる。
そのまま顔や腕などを拭いて貰いながら、それでも意識はグレミオの声に集中した。
「捜されても、坊ちゃんは今このお部屋にはいらっしゃいませんよ」
「・・・な・・・!あの、僕は」
「そんなに照れなくとも。大丈夫です。坊ちゃんがこんなオミ君を放ったまま何処かへ行かれるなんてありえませんから」
無意識に捜していたことを指摘されて、少し顔が赤らむ。目が醒めた時に近くに居るのが当たり前だったからか、少し不安に思ってしまったのかもしれない。
「坊ちゃんは何かすることがあるとか。階下に用事があると言われて出ていかれましたよ」
もう一度冷たい水で濡らし直した布をオミの額に押し当てて、グレミオは一度傍を離れる。
薄く照明の落とされた部屋では天蓋の向こうなど余り見えないが、微かに良い匂いが漂った。
「またすぐに戻ってくると仰っていました。だから心配なんてしなくても、ちゃんと帰ってきますよ」
くすくすと笑われて、オミは少し肩を竦める。
オミの本心を言い当てられただけでなく、相手がグレミオでは何を言い返すことも出来ない。
そんなに分かり易い顔をしたのかとオミは多少照れたままの顔で、近寄ってくるグレミオの方を見た。
「・・・だから今は何のご心配もなさらずに、しっかりと食べて下さいね」
体力も食欲も落ちたオミの前に出されたトレイに、恐らくグレミオの手作りであろう食事が用意されていた。
勿論、弱っているオミが食べられるようにと気を配られた一品ばかり。だけれども、病人食のような質素さはない。
「ハイ・ヨーさんにお願いして厨房を貸していただきました。お口に合うと良いのですが」
眠っていた間は当たり前だが食事など摂っていない。食べることが出来るか不安だったが、漂う良い香りに、ついつい手が伸びる。
「・・・おいしい」
「そうですか!それは、よかった。・・・さ、早く食べて、皆さんに元気な顔を見せてあげないと」
本当に嬉しそうなグレミオの言葉と笑顔に、オミもつられて小さく笑った。
「はい。・・・・ありがとう、グレミオさん」
-----***-----
「・・・だから、『許さない』と言っているんだけど俺は」
「我らが軍主の部屋に立ち寄ること、どうして止められなければならないのですか」
「オミに対して言われる言葉が想像付くからだよ」
場所は、ジェイド城の中心部にある大会議場。
寝込んだまま部屋から出て来ないオミに焦れた仲間達は、そろそろいいだろうとオミの部屋を訪ねようとしていた。
誰もが、共に勝利を歓びたかった。
無事に戻ってきたという軍主の姿を、直に見たかった。
だが、それをセフィリオが許さなかったのだ。
「目を覚ましていない相手に、何を言う事があるのだ」
「じゃあ聞くが、起きても居ない相手を尋ねて何がしたいんだ軍師殿?」
一切退かないセフィリオの態度は、いつもの彼とは明らかに違う。
一気に脱ぎ捨てた今までの穏やかな『彼』は、彼が演じていただけの姿だと、誰もがようやく気付いた。
悪態を隠そうともしないこの態度こそが、元々のセフィリオの姿なのだろうが・・・。
「・・・いいや、実はオミ殿は目を覚まされているのでは?」
「・・・だから、まだ眠っていると言っただろう」
「それは、貴方のせいなのでは?オミ殿の顔に免じて今まで何も言いませんでしたが・・・」
そこで、シュウは言葉を切った。
それが更にセフィリオを煽る。
「何が・・・言いたい?」
「大方、貴方がオミ殿を起きられなくしてるのではと言ってるのですよ」
「おい、シュウ!それは言い過ぎだろ・・・!」
「前に意味があることなんだと、説明しただろうが・・・!」
会話が見えない仲間達は互いに顔を見合わせていたが、シュウの言葉に口を挟んだのは一番近くで彼らを見守っていた二人であった。
「オミは、こいつのお陰で今まで生きてこれた!それを否定する権利は、シュウ、お前にだってない」
「・・・ビクトール」
「オミも、嫌がってはいなかっただろう。セフィリオと共に歩く事を選んだのは、オミ自身だ。まさか、気付かなかったとは言わせない」
「フリック・・・」
その三人の言葉を黙って聞いていたセフィリオは、ふと静かに立ち上がった。
「マクドール殿・・・?」
言い過ぎた言葉だと、シュウ自身わかっていた。
けれど、この機会を逃せば、彼がオミに伝えたい言葉を告げるなど出来なくなる。
気が焦っていたのは事実だが、ここでセフィリオを煽る気など一切なかったのだ。
誰もがただ、静かに立ち上がったセフィリオに伺いの視線を向けるが、彼は意外にも冷静な声で答えた。
「いや。・・・今回は何もしていない。・・・何も出来なかったというべきか」
「・・・どういうことだよ?」
「オミの身体はもう、俺の気を受けられるほど体力が残ってないんだ。・・・外から補充してあげる事も、もう出来ないんだよ」
「!!!」
セフィリオの言葉に、誰もが息を飲んで言葉を失う。
歓びが溢れる勝利の場で、残酷だとは思うがセフィリオは今これを告げた。
今のオミが動けるようになるためには、自然な治癒を待つ他ない。
だが、オミの紋章はオミが気を失っていてさえ、微弱な魔力を放出し続けていた。
このままでは、明らかにオミの生命力が削られていくだけ。
「・・・待つ以外に出来ることはないのか?」
「俺たちに出来る事は何も無い。けれど・・・オミ自身が出来るならば一つだけ。だが、それを今オミに告げる方が、俺には辛い」
ルルノイエを落とし、アルジスタ軍が勝利を得たと、世界中がざわめいているこの平和の瞬間に。
再び『戦え』などと告げることなど出来はしない。
「・・・怖いのか?」
「・・・・・・・」
怖かった。
このままオミを失う事が。残酷な言葉を告げ、彼に嫌われてしまう事が。
そして、触れたその手で失ってしまう事が・・・怖かった。
「あぁそうだよ・・・ルック。俺は・・・何も出来ない」
「・・・そう。じゃあ、僕が貰って行っても何も文句は無いよね」
「・・・?!」
誰もが、ルックの言葉を聞き違えたかと思った。だが、その言葉の意味を理解する前に、ルックの姿はその場から掻き消える。
「ルック!何をする気だ・・・?!」
シュウが叫んだが、その声が響き渡った頃にはセフィリオも部屋を飛び出していた。
消えたルックが向かった先は間違いない。
今だ目覚めないオミの部屋ただ一つだ。
-----***-----
突然、部屋の中を風が吹き荒れた。
「な、何事ですか・・・・!?」
「グレミオさん、待って・・・!大丈夫・・・」
グレミオはオミを庇うように立ちはだかったが、オミが押しどめる。
ふわりと地面に足をつけた相手が、グレミオよりも早く誰かとわかったから。
「どうしたの・・・ルック?」
「・・・起きてたんだ。なら、早いね。レックナート様の所へ、行こう」
「・・・え?」
「魔力が暴発しかけてるその紋章・・・少しは抑えられるかもしれない。何もしないよりはした方がいい」
ベッドに座ったままだったオミの身体を腕に救い上げて、ルックは詠唱を始めた。
「ま、待ってルック!僕は・・・!」
「待つだけなんて僕には出来ない。・・・このまま君が目を覚まさなくなるのを、黙って見ているなんて・・・」
「ルック」
「・・・!」
緑色の風が吹き上げる中で、オミは重い腕を彼の背中に回した。
オミ以外呼びえない優しい響きを持った声で名を呼ばれて、ルックは微かに息を飲む。
「・・・連れて行ってくれるなら、最後に・・・お願い」
しがみ付かれたオミの身体が、ひどく熱い。
布越しでさえ感じられる体温に、オミの身体がもうギリギリなのは目に見えていた。
「・・・オミ、この身体で無茶は」
「お願い・・・ルック。まだ・・・まだなんだ。軍主として最後の、僕のわがまま・・・聞いて欲しい」
ルックが支えていなければ立ち上がることも出来ないだろうオミの体。
けれど、眼だけは。
今までに見た誰よりも強い意志の込められた瞳だけは、その輝きを失ってはいなかった。
先を失われた人間は、誰しもその絶望に身を委ねるというのに、オミは何も捨ててはいない。
「・・・どうしても、行くの」
「・・・」
静かに頷いたオミに、諦める気配など感じられなかった。
どう言い諭したとて、恐らく何の効果もないだろう。
オミは止めないのだ。一歩たりとも、その足を。
「オミ・・・!!」
「坊ちゃん・・・!」
勢い良く開いた扉から走り込んできたのは、セフィリオ。だが、吹き荒れる転移の風はもう発動する間際で。
セフィリオを追いかけてきた仲間達誰もが間に合わないと思った。巻き起こった風に、顔を覆うようにして目を瞑る。
バサバサと天蓋がはためく音。・・・そして、静まり返る部屋。
「・・・二人は・・・どこへ?」
「・・・・」
静かに声を上げたのはシュウ。
物の散乱したオミの部屋は、見渡せば何もかもが残されたままで。
オミがいつも着ていた胴着も、繕われ洗われたそのまま、持ち主に袖を通されることもなく床に落ちていた。
机の上には、手鏡とオミがいつも身に付けていた金環。
部屋の隅の壁に立てかけていたのだろうが、いまや床に転がっているオミのトンファーと、黒い棍。
「どこへ・・・二人を、武器を持たない二人をどこへ飛ばしたんだ・・・!!答えろルック!」
「・・・・」
転移の瞬間、オミは走り込んできたセフィリオに腕を伸ばした。
ルックの背中を掴んでいた手を緩めて、セフィリオに。
二人の手が触れ合った瞬間、ルックも手を離していた。オミの背中に回していた手は行き場を失って、今は下に下がっているだけ。
「・・・けしかければ、どうなろうともあの子を守ろうとするくせに・・・ね」
「ルック・・・お前」
ビクトールが何かを言いかける。だが、その言葉を待たずにルックは言葉を続けた。
「戦争は終ったね。じゃあ、僕も石板ももう用は無いだろう。レックナート様の言いつけは守ったよ。僕の仕事も終わりだよね」
「お、おい!まさかお前・・・!」
「もう会う事もないだろうけど。・・・・じゃあね」
もう一度部屋の中を吹き荒れた緑の風。その余韻が消える頃にはもう、ルックの姿は何処にも無かった。
-----***-----
「・・・ッ!」
着地をする余裕さえなかった。
転移前、走り込んだ体勢のままに、叩きつけられた地面を数度転がり、ようやく止まる。
身体のあちこちが痛んだが、腕の中にある体温にセフィリオは安堵の息を零した。
「・・・オミ、平気?」
「ん・・・。セフィリオこそ、大丈夫・・・?」
まさかルックがあんな行動に出るとは思ってもみなかった。
だが、あぁでもされなければセフィリオはあのまま何も出来なかったに違いない。
起き上がり、オミを腕に抱いてようやく飛ばされた場所がわかった。
いや、わかったのはオミだけだ。セフィリオは、初めて見る小さな街に、辺りを見回すことしかできない。
居場所がわからずに、立ち尽くすセフィリオの腕の中でオミが小さく声を漏らした。
「・・・ルック・・・飛ばしてくれたんだ」
「ルックが?」
「うん・・・。僕の最後の願い・・・・聞いてくれたんだね」
オミに言われるままにセフィリオはその足を進める。
まだ夕刻で、人もまばらに居るだろうと予測していたが、オミを隠す必要はなかった。
村全体が穏やかで静かだという以外に、オミが示す方向は人が集まる中心から離れた場所にあったからだ。
「・・・・道場?ここは、そうか・・・」
見上げた家は綺麗とはいえないが、暖かい色見をした道場。
それだけで、セフィリオはこの場所がどこか理解できた。
オミがルックに飛ばして欲しいと願った場所。
「・・・そうだよ。ここが・・・・キャロの街。ゲンカク爺ちゃんと僕とナナミと・・・ジョウイが暮らしていた街なんだ」
赤い夕日が静かに、道場を見上げる二人と、キャロの街を染め上げていった。
NEXT
⊂謝⊃
お待たせしました続きですー!戦争が終ってからが、見せ所って言や見せ所ですからね!!
気合入れてたら遅くなりましたスミマセン・・・・_| ̄|●
へい辿り着きましたですよキャロの街へ!遂に最後の決着なるか!?って所ですけれども。
坊主メインというかルックメインなのか(笑)や、ルックなりの愛情なんですコレが!!(笑)
力づくで手に入れることも出来るでしょうが、まぁオミの幸せを一番に願ってるのはルックかのかもですね(笑)
あわわ!坊主じゃなくてルク主を語ってどうする俺(笑)
今回、『どうして天山の峠じゃなくてキャロの街なの?』って思うかもしれませんが。
ちょっと久々に書こうと思ってね!メインストーリーでは久し振り過ぎて書けるか不安なんだけどね!
頑張れ俺!!(笑)
ではでは、こんな所まで読んで下さいまして、ありがとうございましたv
斎藤千夏 2005/07/24 up!