*透明な涙*
長い間誰も帰ることのなかった道場の扉はもう随分と痛んでいて、鍵などかかっていない引き戸を開くには少し苦労した。
誰か一人でもこの道場・・・いや、家に帰る者が居たのだとしたら、ここまで急速に痛むことはなかっただろう。
扉も窓も締め切られたままだった所為で降り積もった白い埃。多少空気の悪さを感じたが、懐かしい我が家にオミはセフィリオの腕の中で小さくもがいた。
「セフィリオ・・・大丈夫。歩けるから」
「オミ、無理は」
「・・・大丈夫」
オミの体温はいつもの如く、異様に高いままだ。
身体を動かす為の気は全然足りていないだろうに、抱えられていたセフィリオの腕から離れても、オミはふらつくこともなく真っ直ぐに歩いていた。
オミが向かったのは、閉め切られたままの窓。
きぃ・・・と、壊れかけた蝶番の音が響いて、窓から一気に新鮮な風が流れ込んできた。
流れ込む風に長く伸びた髪を揺らせて、オミは立ち尽くしたままぼんやりと外を見つめている。
そして小さな声で、手探りで言葉を捜すように、オミはゆっくりと語り始めた。
「僕とナナミがこの家に連れて来られたのは、恐らく数えて八つを迎えた頃でした。・・・それから四年目の冬、じいちゃんは病気で・・・あっという間で」
子供が二人。保護をしてくれる大人などどこにも居ない。
「街からほんの少しの援助を貰うことは出来たけれど、それではナナミと二人、食べていくのも精一杯で。どうしても・・・子供でも、働かなくては生きて行けなかった」
ゲンカクが亡くなってから二月が経ち、オミは募集していた少年隊への入隊を希望した。
入隊すれば、賃金として多少のお金が手に入る。ナナミを一人にして置くのは不安だったが、ナナミはそれでもいいと頷いてくれた。
「ナナミが僕を否定したことなんてなかった。ナナミは・・・いつでも僕の味方でした。・・・でも、ジョウイは」
ジョウイは違った。同じ師の元武術を学んだ同門なのに、オミが入隊するという事を知ると、烈火の如く怒り出したのだ。
「何度も何度も説得されて、ケンカして。・・・最後には勝負で決めるって、棍を持ち出してきて」
結果は、引き分け。同じように丘の上に倒れ込んで、結局つかない決着に二人して笑い合った。
「『僕にも勝てない程度の腕』だからって、ジョウイも一緒に入隊するってきかなくて。でも・・・あの時この道を選んでいなければ」
「・・・後悔してる?」
「・・・あの時、僕もジョウイも・・・ううん僕らのどちらかが入隊していなければ。戦争に巻き込まれることも・・・この紋章を継ぐ事もなかったんじゃないかって」
思い返すときりがない、後悔という感情。
あの時こうしていれば、あぁしていれば・・・。
「ナナミもここで笑っていて、ジョウイとも、戦わずに済んだんだと思う・・・でも」
そこで、オミは後ろを振り返る。窓枠に手をかけて、重い体をゆっくりと、セフィリオへと向けた。
セフィリオはただ静かに立っているだけだ。少し固い表情をしているが、真っ直ぐにオミを見て。
いつもその瞳は・・・・オミだけを、見つめていて。
「でも、この道を選んでいなければ、僕は・・・・きっとこんな感情を知らなかったんだと思う」
傍に居て欲しいと。その腕の中に包まれていたいと。
オミが軍主にならなければ、恐らくセフィリオと出会ってはいない。
紋章を継いでいなければ、セフィリオもオミを訪ねようとはしなかっただろう。
「・・・出会えなかったんだと、思う。僕が、この道を選んでいなければ・・・貴方に」
「・・・オミ」
けれど、その為に失った物は多かった。オミの周りにあった『幸せの象徴』は全て、今のオミの周りにはない。
この家はその残骸だ。楽しかった頃の。何も知らなくて笑っていた頃の、思い出の欠片。
そこにセフィリオと一緒に戻ってきたのには、何か意味があるのだろうか。
この家を見せたいと思っていたのは事実だ。
だが、それ以上に・・・・感じたかった。この家で、セフィリオと共に過ごす時間を。
それをルックが解っていたとは思えない。只の偶然だろうが・・・・オミはそれだけで嬉しかった。
「だから、後悔は・・・していませんよ。この道を選んで、色んな選択支を一本に絞って、・・・僕は僕の信じる道を歩いてきた」
大切なものを一つずつ差し出しながら手に入れてきた勝利。
自分の守りたい物が少しずつ変わっていく変化に気付かぬまま、辿り着いた先。
その結果が、これだった。
強国ハイランドは壊滅し、オミの率いたアルジスタ軍が勝利を得た。
「ただ、これからこの国が平和になるかどうかは、まだわからない。ハイランドの残兵も多いだろうし、何より・・・まだ終っていないから」
「何・・・?」
「・・・ううん、何でもない」
後半を小さく呟いた所為で、セフィリオの耳には届かなかったようだ。
ただ、オミの表情は穏やかで。苦しみなど、何も感じていないような振る舞いで。
顔が赤いのは、窓から差し込む夕陽の所為だと思えてしまう。
これが只の日常で、オミはいつまでも、今と同じようにセフィリオの前で微笑んで居るだろうと・・・錯覚してしまう。
けれど、それが叶わない残像だと、はっきりと感じ取ってしまった。
今のオミの存在は酷く薄い。今にも、掻き消えてしまいそうな・・・小さな蝋燭の灯のようで。
「・・・居なくなるのか?」
「・・・・」
オミがこんな表情を見せるのを、セフィリオは今までに何度か見てきた。
苦しむ事も死ぬ事も、何も恐れていない顔。
「俺の前から、消えるつもりか?・・・ここまで戦いに付き合わせておいて、戦争が終ったら、消えるつもりなのか?」
黙って立っていた場所から、オミが立つ窓辺まで数歩で近寄って、間近でその瞳を覗き込む。
セフィリオの言葉に、オミの瞳が揺れた。
「今の言葉が別れの言葉なら、聞きたくない。言葉で慰められても、何の効果もない。俺に必要なのはオミ、・・・生きて俺の隣で笑うオミだけだ」
引き寄せられ、力の入らない体はそのままセフィリオの腕に抱き締められる。
埋めた胸の鼓動が早かった。オミ自身の身体も熱いのに、それ以上にセフィリオの体温が心地いい。
「ここで、終りだって言うのか?戦争も終った。戦争が終れば、全部俺にくれるって約束しただろう。それなのに俺を・・・・置いていくのか?」
「セフィリオ・・・」
オミが小さく呟けば、抱き締める腕に力が篭る。
「・・・全部あげるから。俺の、身体中の気・・・オミに。だから・・・」
消えないで欲しいと。セフィリオの前から居なくならないで・・・・死なないで欲しいと。
祈りのような願いを込めて、ゆっくりとオミの唇を塞いだ。
-----***-----
「・・・っ」
灯りのない薄暗い部屋。狭い、オミの小さなベッドの上。
「・・・無理なら、止めるよ?今なら・・・まだ」
そう囁きながらも、纏っていた全ての布を取り払われたオミの肌に落ちてくるのは、止まらないセフィリオの唇。
微かに汗の浮くオミの肌を隅から隅まで確かめるように、いとおしむように触れていく指。
「ぁ・・ッ――・・・ふ」
今にも気を失いそうなオミの身体を気遣ってか、セフィリオが与える熱も刺激も全てが緩く穏やかだ。
けれど、熱の所為で敏感になったオミには十二分に受け取れる刺激で。
小さく肌を震わせて、与えられるままに身体を捩る。
古いベッドは軋み、壊れそうな音を立てて抗議するが、今のオミに言葉を告ぐ余裕は、もうない。
「・・・オミ」
囁かれる声が、心地良い。セフィリオはただ欲しがるだけではなくて、それ以上に与えてくれるから。
足りないものを埋めるように。欲しいと感じたもの全て、惜しみなく差し出してくれるように。
「オミ・・・」
泣き出してしまいそうな声だと、思った。
これ以上ない程に、その名前ひとつに全ての想いを込めた囁き。
「は・・・っ・・・」
合わせる身体が、ひどく熱い。
汗に濡れる肌が、ぼんやりと外の光を反射する。
「・・・セフィリオ」
薄目を開けたオミの目に、静かな汗を流したセフィリオが映った。
光を透かせば蒼く見える髪も今は黒く、ただ鮮やかなのは瞳の蒼い色。
「・・・ど、して・・・?」
荒い呼気の合間に、オミはセフィリオの頬へと手を伸ばす。
その頬を流れていたのは、透明な涙。
オミが正面から、隠そうともしないセフィリオの涙を見るのは初めてだった。
そして、オミの前にこんな弱い姿を曝け出したのも、恐らく初めての事だろう。
けれどどうして、何の為に彼が泣いているのか、オミには解らない。
解らなかった答えは、続いたセフィリオの問いで理解できた。
「オミには・・・怖いものはないのか?」
何を見ても怯えない。何を前にしても、真っ直ぐ前を向いて立っていられる。
どれだけの哀しみや苦しみを与えられても、穏やかに笑っていられる強さ。
誰もが憧れるべき姿で、強く美しいものだと思う。
だけれどそれが、セフィリオには眩しくて・・・・悲しかった。
「怯えて良い、怖いと思って良いんだ。もっと我侭になったって、俺は、俺が・・・・・・傍に、居るから・・・ッ!」
オミの手を濡らすように・・・・。涙すら零さないオミの代わりに少しでも痛みを取り除けるように。
涙は、溢れ続けて止まらない。
「・・・セフィリオ」
拭う手の平を伝って、涙は腕まで濡らしていく。
手では追いつかない雫を拭おうと、オミは静かにセフィリオを引き寄せた。
首に回した腕に少しだけ力を込めて。
「・・・っ」
「・・・ごめんね。セフィリオ・・・ごめん」
濡れた頬を唇で拭って、汗を含んだ髪に指を埋める。
零れた涙は、近付いたオミの頬にも落ちて、重力のままにシーツへと流れ落ちた。
まるでオミも泣いているように見えたのは気の所為か。
冷たく、けれど暖かい涙に濡れたまま、ゆっくりと唇が重なる。
きつく抱き締め合って肌を触れさせても、その境目が煩わしい。
「・・・融けてしまえたら」
けれど、それは叶わぬ願い。
お互いが一つの『個』だからこそ、繋がろうと、深く交ざり合おうと求めてしまうのだろうか。
「・・・―――ぁッ・・・く、・・ぅ」
突き立てられた熱い楔。
内側を焼かれるような、激しい熱。
「・・・オミ」
そして、染み渡るような声と温かな気と・・・例えようもない只一つの想いと。
この出会いは何だったのだろうか。
出会うべくして、出会った二人。
変動する、違う歴史の中心に居た、二人。
「・・・もう、離れない・・・離さない」
離れられない。
離れてしまえば、身体が、心が、悲鳴を上げて砕け散る。
この世でたった一人の存在に。
「オミ・・・ずっと傍に」
何度囁いても、オミは目を閉じるだけ。
ただ、背中に回された腕が、その答えを示しているように・・・強くセフィリオを抱き締めていた。
-----***-----
ぼんやりと目を開ける。遠い空はまだ薄暗く、寝入ってからさほど時間は経っていないのだと思われた。
ぐっすりと隣に眠るセフィリオの身体。
少し目元が赤いのは、オミの代わりに泣き続けた証。
オミが身動ぎしても目も覚まさないのは、ギリギリまでオミに与えてくれたその所為で。
「・・・一日、なら・・・持つかな」
抱かれる為の体力はギリギリだった。確かにこれは『賭け』だったが、なんとか身体は耐えることが出来た。
セフィリオは、オミが何を考えていたか知る由もなく、彼自身が動けなくなってもいいと思うほど、オミに全てを与えてくれた。
今、オミの身体は彼の気で満たされている。・・・セフィリオに包まれたままのような感覚に、オミは小さく笑った。
「・・・こんなことで、嬉しくなれるのに・・・・どうして」
行かなければならないのだろうか。
離れなくては、いけないのだろうか。
・・・オミは手袋を外したままの右手を見つめた。
紋章を発動している訳でもないのに、薄く光輝いたまま、盾の紋章はいまだそこに刻まれている。
一瞬、黒き刃と交じり合って新たな形に変化したのは見間違いではない。だが、二つの紋章が一つに重なったという訳でもなかった。
紋章をひとつにする為にはまだ・・・・。
「・・・・行かなくちゃ」
ずっと遠くで呼んでいる声が聞こえるから。
「セフィリオ・・・」
彼の優しさを利用した事を知れば、怒るだろうか、泣くだろうか。
例え嫌われても良いと思っていた。けれど、笑って許して欲しいと思うのは、傲慢なのだろうか。
ただ、愛されている自覚はあった。これが、その愛の最後だとしても。
やらなくてはならないことがまだ残っているから。
着替えは自分の衣装棚から、袖も通していない新しい胴着を取り出して。
道場の片隅にある使い古されたトンファーは、あちこち痛んでいたけれど、数度回してみればすぐに手に馴染む。
今まで何度も、ジョウイの棍と交えてきたトンファー。
まだ誰の血を吸ってもいない、稽古用に使われていたなじみの深い品だった。
支度が全て整ったオミはもう一度ベッドの傍に近寄り、身動きひとつしないセフィリオの寝顔を静かに眺めた。
まだ目覚めるなと願いつつ、少しだけ起きて引き止めて欲しいとも願いながら、オミは小さく口の中だけで呟く。
「ありがとう・・・ごめんね」
深く深く眠るセフィリオの右手に触れるだけのキスを送って。
「さよなら・・・大好き、だよ」
閉められた道場の扉。
開けっ放しの窓から見えるオミの姿は、角を曲がり街を出て行く背中そのままに、小さく遠くなっていく。
きらりと、風が光った。
僅かに零れたオミの涙を届けるように、少し冷たい朝の風がセフィリオの頬を撫でて、消えた。
NEXT
⊂謝⊃
(脳内)BGMは安全○帯(古)エロくないねー久しぶりなのにアレどうしたんだろうね俺。(笑)
さてさてセフィオミGS続きです!また気になる展開で次回へ続くです!ごめんなさい!(笑)
ここは書きたかったんだよ!書きたかったことの全部を書ききれてないけども!!
ネタって思いついた時に書かないとかけなくないですか?
色々考えてるうちに、最初思いついたネタとはドンドンかけ離れて行くんだよな・・・(苦笑)
んーでもまぁこんな雰囲気だった気がする。ま、いっかv(オイ)
ではでは読んで下さいまして、ありがとうございましたv
斎藤千夏 2005/08/07 up!