*祈り*
走る背中。
遠退く体。
「待て・・・、行くな・・・!」
掴もうと手を伸ばしても、遠ざかるオミに、あと一歩手が届かない。
ついさっきまで、この腕の中に抱いていたのに。
胸に抱き込んで、泣きたくなるほど暖かい体温を感じていたというのに。
この一瞬で、もう手の届かない所へと走り去ってしまう。
「離さないと・・・もう、離れないと言ったじゃないか・・・!なのにどうして・・」
言いかけて、叫んだ声は口の中で消えた。
走るオミの先に見えたもの。
ハイランドの、皇王・・・ジョウイ・ブライトの姿。
「・・・オミ?」
呟くように呼びかけた声に、ようやくオミは、静かに振り返った。
今にも、泣き出しそうな、悲しい表情で。それでも、微かに微笑みながら。
それは今までに何度か見た、オミの表情。
死も何もかも受け入れた、静かな、微笑み。
「・・・」
唇が模った言葉は読み取った。けれど、その声はセフィリオには届かない。
「駄目だ!オミ、前を・・・!」
振り被られた青い棍。オミはそれを避けようともせずに、その細い体に受ける。
セフィリオに向ける微笑は崩れないまま、地面に崩れ落ちたオミの頬に。
ただ、一滴の涙が零れ落ちた。
「・・ミ・・・オミ・・・――――――ッ!!」
手を伸ばして大きく目を見開く。
・・・けれど視界に映ったのは、見慣れない古びた天井だけで。
少しの間、セフィリオはそのまま呆然としていた。今見たものが一体何だったのか。ただの夢だと片付けるには生々し過ぎた。
開けられたままの窓から吹き込む風に、セフィリオはゆっくりと、宙に伸ばした腕を下ろす。
全身に吹き出した嫌な汗が肌を流れて、冷たい風に冷やされた。
季節は秋だ。もう朝も涼しい季節なのだが、気持ちの悪い汗は引く気配もない。
「・・・オミ・・・?」
額に流れる汗を手の甲で拭いつつ隣に視線を移して、狭いベッドに眠っていたのが自分ひとりだけだと言う事に漸く気付く。
無理をさせていることを承知で、空が白み始めるまで腕の中に抱き込んで離せなかったオミの身体。
その体温も香りも残さぬままに、ただ見覚えのある夜着が、自分の服と絡まって床に落ちているだけ。
それ以外に、オミがここに居たという痕跡はもう、何も無い。
「・・・オミ?何処へ・・・っ・・!」
起き上がろうとして、くらりと感じたのは眩暈。
昨夜、オミを抱きながら、自分でもギリギリになるまでその気の全てを与えた。
丁寧に一滴づつ、オミが受け入れられるまで、全てを。
それが、焼け石に水なのはわかっていたけれども、少しでもオミの苦痛が和らぐならそれでいいと思ってのことだ。
その為に自分が動けなくなる事も考えなかった訳じゃない。
だが、オミが目の前からいなくなってしまうなどとは・・・考えていなかった。
「・・・どうして」
離れて行ってしまうのだろう。
幾ら追いかけても届かないこの手は、本当に望む物を手に入れられた試しがない。
三年前のあの雨の夜から零れ落ちていくような全てに、この穢れた手では何も掴めないと諦めていたけれど。
オミが、そんな世界からセフィリオを救い出してくれたのではなかったのか。
けれども、やはり今、この手の中にオミの姿はない。
「・・・っだけど」
オミだけは・・・・。このまま、手に入らないと諦めることこそが苦痛だった。
ただ傍にいるだけでもいいから。
「・・・生きて・・・いてくれ」
届かないと分かっていても、唇から零れるのは悲しいような願いを込めた命令だけ。
勝手に死に行くなど許さない。
その声に答えるかように、突然カタンと扉が揺れた。
「オミ・・・っ?!」
立て付けの悪い扉は、嫌な軋みを上げながらもガラリと開いた。
「・・・セフィリオ。やっぱりここだったか」
けれど、開いた扉から顔を覗かせたのはオミではなく、フリック。
騒ぎに巻き込まれた形のまま城から消えたオミを捜しに来たのだろう。
多少息が乱れているのは、昨日のあのままに馬に飛び乗って来たからだろうか。
「ルックも飛ばした先を言って行けばいいものを・・・」
「まぁ、見つかったんだからイイじゃねぇか。・・・でもねぇな。オミはどうしたセフィリオ」
フリックに続いて部屋の中に入ってきたのはビクトールだ。
こちらも軽く浮いた汗を乱暴に拭いながら、今だベッドに座ったままのセフィリオに近付いてきた。
乱れたベッドに、昨夜何をしていたかなど一目瞭然だが、それにしてはセフィリオの表情が暗い。
そして見当たらない、オミの姿。
「・・・オミは、いない」
「お前・・・どこに行くとか、聞いてないのか?」
「あぁ。・・・俺、オミのことを全部知ってるようで、本当は何も知らなかったんだって・・・思い知ったよ」
他愛もない話なら、今まで何度もしてきた。
オミと出会ってから、他の誰よりもオミと過ごしている時間が長いほど傍にいたのに。
オミの過去を知ったからと言って、全てを聞いた訳でもない。
元々オミは自分のことをあまり話したがらなかった。だから、あえて無理に聞き出すこともしなかった。
この家に辿り着いた時に話してくれた少しだけの思い出話が、セフィリオにとってはオミの過去を知った唯一なのだから。
「・・・そうか。なら、一ヶ所だけだが見当つけた場所がある。前にちらりと聞いただけだから、断言は出来ねぇけどな」
それは、同盟軍から逃げ出したオミとジョウイが王国軍に掴まったと聞いて、この町まで助けに来た時のことだが。
助け出したことで味方として認識されたのか、オミとジョウイはぽつぽつと追われるようになった経緯を話してくれたのだ。
「その時の話じゃ、あの国境・・・天山の峠で約束を交わしたらしい。もしお互いが離れ離れになったとしたら、必ずその場所に戻ってくる・・・ってな」
「・・・・確証はあるのか?」
セフィリオの意外なほどの冷静な声に、フリックもビクトールも沈黙のまま首を振る。
「お前等がこの町に飛ばされたことすら、俺たちは分からなかった。カンと運で一発だったがな」
「他にも思いついた場所は、当れる限り他の仲間が捜してる。・・・オレたちは運が良かっただけだ」
「・・・・そうか」
開け放たれたままの窓から見える、緩やかな山脈。標高はそう高いものではない。
だが、その山に居なかった場合、他の場所を探し回る体力などセフィリオに残ってはいなかった。
「・・・オミ・・・。居るのか・・・そこに」
それならば、確実な方法を取るまでだ。
セフィリオは意識を右手に集中して、静かに目を閉じる。
広範囲で捜索など流石のセフィリオでもできないが、あたりをつけた場所に居るか居ないか程度なら感知できるだろう。
だがそれは、気力も体力も万全の状態時のみの話だ。
魔力は気を集中して使う力なのだ。当たり前だが、紋章を発動出来る力などセフィリオには残っていない。
けれど、魔力が使えなくともソウルイーターの特性までは消えはしなかった。
視界を遮断して右手に集中すれば・・・初めて出会った瞬間から求め続けている光の紋章を、飢えたように探し出す。
「・・・っ」
「おい、セフィリオ・・お前」
汗の浮かんだセフィリオの表情は、明らかに苦痛を感じている表情だ。
先程から一度も彼がベッドから立ち上がろうとしないのも気に掛かってはいたが、その理由をビクトールとフリックが知る由もなく。
「何をしようとしてるんだお前、凄い汗だぞオイ・・・ッ!」
肩に触れようとしたフリックの手は、ビリッと指先を走った黒い光に慌てて引き込められる。
話すことも正直辛いのか、視線を上げたセフィリオは静かに二人を睨みつけた。
「・・・喰われたくなかったら、暫く離れていてくれ・・・」
普段から暴走しかけている紋章だ。
セフィリオの押さえ込む為の気力がないこの状況で暴走すれば、恐らく簡単にこの町は死ぬ。
「「・・・」」
その視線を静かに受けて、二人は沈黙のまま数歩後ろへと下がった。
セフィリオはもう一度目を閉じて、右手に意識を集中させる。
力の流れは右手に。そして、視界は正面の天山に。
白黒の反転した輪郭だけの世界の中、ただ一つの光を目指して視界が飛ぶ。
穏やかな何もない静かな山の中で、弱々しいながらも光を失わない紋章が、二つ。
「・・・・いた。居る・・・オミは、あの山の上だ」
目を開いたと同時に、セフィリオは右手を庇うように押さえ込む。
標的を見つけた紋章が暴れようとしているのか。けれど、そんな素振りも見せないままに、流れるような速さで着衣を整え始めた。
「お前、なんて顔色なんだ・・?!何をした・・・?」
「俺のことはいい。今は・・・」
青い顔のまま、多少ふら付いてはいるが、それでも平然とセフィリオは立ち上がった。
一気に視界が黒く染まるが、気絶などしていられない。
オミの傍に感じた光は、オミの紋章と近しいもの。そして、セフィリオの紋章と近いもの。
答えは考えずとも出てくる。――――ハイランドの皇王・ジョウイ。
正に、夢に見たあの通りになるのではないかと。
オミは相手を傷付けるぐらいならば、自分が傷付くことを選ぶから。
居場所がわかっても、その無事を確かめるまで安心は出来なかった。
「オミ。・・・俺が行くまで」
死ぬ事は、許さないと。
それは祈りのような、心からの願い。
NEXT
⊂謝⊃
短いですが、そろそろ前を忘れられるんじゃないかと途中でupです・・・(笑)お待たせしまくりでごめんなさい!なんか色々あったんですこの頃・・・_| ̄|●
最近セフィリオが弱いですね。(ぇ/笑)まぁ天輪坊主の中で精神的最弱だからいいか。(ぇ)
この話も3回ほど書き直し訂正を加えました・・・でも何か駄目だ乗れてない・・・(汗)
続きも悩みつつもあらまし書いてはいるので、次は早めにupしたいと思います!
短いと思うけど・・・!!(笑)<無理矢理二話に分けたから
ではでは読んで下さいまして、ありがとうございましたv
斎藤千夏 2005/09/19 up!