*・・・傍に*
「・・・来たね」
白い軍服を脱ぎ捨てて、壁へと寄りかかるように立っていたのは、紛れもなく幼馴染であった頃のジョウイだった。
うっすらと秋色に染まり始めた天山の頂上は、夏の暑さを忘れる程に冷たい空気が吹き抜ける。
「ジョウイ・・・」
オミは、感じた悪寒に無意識で剥き出しの腕に触れた。
風が寒いのではない。ただ、身体が震えたのだ。
悪い予感がするとでも言い換えるべきなのか。目の前に突きつけられた避けられない現実に、オミの足は重くなり、止まる。
「覚えていてくれたんだね。・・・僕との約束を」
太陽を背にして笑う笑顔は、昔のままなのに。
同時に吐き出されたその言葉の意味がわからないほど、オミも鈍くはなかった。
「忘れる訳、ないじゃないか・・・」
もし離れ離れになったとしても必ず生き抜いて、この場所で再び会おうと決めたのは二人だけの約束だった。
また元の様に生活できればいいと。ナナミと三人で過ごせればいいと。あの頃はただそれだけを願っていたのに。
「・・・・そうだな。僕も、忘れたことはなかったよ」
少し悲しげに微笑んで見せたジョウイは、壁に立てかけていた棍を手に握り込んだ。
「違う・・・!ジョウイ、僕はそんなつもりでここに来たんじゃない・・・!」
「・・・出来る事なら、僕もその道を選びたかったよ」
「・・・っ!」
もし、ジョウイが今のオミの立場なら。・・・あの戦争に勝利を掴んでいたのが王国側ならば。
ジョウイも迷わずその道を選んだだろう。そして、敗北した側のオミも恐らく・・・・。
「・・・真の紋章は勝者にしか従わない。・・・その意味は、わかるね・・・?」
「・・・ジョウイ・・・っ」
オミは、立ち尽くした場所から一歩も動けないでいた。
吹き付けるようなジョウイの気に、棍を手に取った彼が本気で戦いを望んでいることを気付いてしまったから。
あの時の約束は、こんな意味で交わしたものではないのに。
「全てを終らせて、この場所で三人で昔みたいに笑おうって・・・思っていたんだけれど」
握った棍をそのまま左手で数度回転させ、重さを確かめるように右手に持ち変える。
まるで、暫く棍を触っていなかったとは思えないような自然な動き。そのまま、回転の勢いに乗った棍がパシンと音を立てて、ジョウイの手の平を叩く。
「これが・・・僕たちには、避けられない運命なんだろう」
伏せていた目を上げて、脇に構えた棍を真っ直ぐ突き出した。
ジョウイの正面に居るのは、まだ構えてさえいないオミただ一人。
「・・・始めようかオミ。最期の戦いを」
他には誰もいない、二人きりの山の中。
「・・・い、やだ・・・!どうして、ジョウイ・・・・!!」
静寂を裂いたオミの叫びを掻き消すように、更に激しい打ち合いの音が山に響いた。
-----***-----
「オイ!待てセフィリオ!!お前、そんな身体で何が出来る?!」
先を進むセフィリオの身体は、何時もの彼から想像出来ないほど弱り果てているようだった。
何がどうなってセフィリオがこんな状態なのか、ビクトールもフリックにも分からなかったが、十中八九オミと関係している事は確かだ。
最後に彼らが二人を見た時、まともに歩けない状態だったのはオミの方だったはずなのだから。
キャロから天山の麓までの馬に乗っている時はまだいい。だが、狭く荒い山の峠を馬で進むことなど出来はしない。
オミの居るだろう山の頂きを目指すなら、当たり前だがこの先は歩いて上らなくてはならなくなる。
「あのなぁ、立っているのも辛い癖に強がるなよ。オミは俺たちが迎えに行くから、お前はここで・・・」
荒れた山道を危うげな足取りで進んでいくセフィリオに、フリックは後ろから走りながら声をかける。
だが、セフィリオは振り返ることもしないまま、ただ前だけを見て進んでいた。
朝でも森の中は薄暗く感じるものだ。その中で、薄らぐ意識に体力を奪われながらも、自由にならない重い身体を引き摺るようにしながら、セフィリオは走っていく。
「待てる、訳がないだろう。・・・・わからないのか?オミは、全て・・・終らせる気だ」
「・・・終らせるって、この戦いはもう決着がついただろう。何を今更・・・」
言いかけたフリックの言葉は、後ろからビクトールに肩を叩かれて止まる。
首を振るビクトールが何を理解しているのかはわからないが、それは『セフィリオを止めるな』と言ったように聞こえた。
「いや・・・終ってない。歴史の変動には必ず大きな力が裏にあるものだが、今回だって例外じゃない」
相変わらず振向かないままに、セフィリオは足を速める。
滅多に見せない弱い面を隠そうともしないまま突き進む姿に、ビクトールは小さな声で溜息と共に問いかけた。
「この先でオミと・・・ジョウイが戦ってるんだな。で、オミは・・・死ぬつもりなのか?」
「オミは誰かを守る為なら、自分が傷付く事など構いもしない。それで皇王が助かると言うならば・・・躊躇いもしないで死を選ぶ、だろうね」
静かに言い切った言葉は意外と冷静な声で、これにはビクトールの方が驚いた。
オミの行動に怒っている訳でも、焦っている様子もない。ただ、オミの元へ急いでいた。
「・・・あのな。もし、最悪の事態に間に合ったとしても・・・お前が手を出す事は出来ないんだぞ」
「・・・・・・・・・・・わかってる」
これは、変動の最後を決める戦いというだけじゃない、もっと深い意味で決着のための戦いだ。
裂かれた紋章はお互いを引き寄せ、求めている。一つになろうと、その片割れを狂った声で呼び寄せて。
その決着を邪魔することが出来る者など、何処にも居ないだろう。
紋章とは巨大な世界の流れだ。紋章が求める均衡を崩す事は、幾らセフィリオが真の紋章持ちだとて、所詮は『人間』に出来る事ではない。
もし見かねてオミに手を貸すような事があれば、その瞬間に世界は歪む。紋章を宿した二人の持ち手と、セフィリオ自身を巻き込んで。
「でも、傍に行きたい・・・離れていたくないんだ」
オミが紋章の求める先を何処まで理解して、どういう結末を望んでいるのか・・・それはセフィリオにも分からないが。
「オミがどんな道を選んだとしても、それを見届ける位の権利はあると思う。・・・例え、最悪の結果になったとしても」
棍を持たない彼はほぼ丸腰に近かった。そう頻繁に敵が現れる地帯ではないが、こんなに弱ったままの身体で森の中を進むのは、明らかに自殺行為としか言い様がないだろう。
それでも、ふら付く身体を樹で支え、足を止めずに。
「ここからは、一人で行かせて欲しい。俺は・・・オミが存在するこの世界が終るまで、ただ傍に居たいだけなんだ」
-----***-----
乾いた冷たい風と、滝の音に掻き消されつつも、並ではない威力を込めた一打が身を貫いた音は鈍く響いた。
吹き飛ばされるままに地面を滑ったオミの身体は、砂埃を上げながら漸く止まる。
「っ、・・は・・・はぁ」
荒い息を継いで、オミを吹き飛ばした態勢のままで、ジョウイは今にも倒れそうになる身体を叱咤してオミを睨みつけた。
「オミ・・・・!どうして、戦わない・・・?!」
力なく地面に倒れたまま、起き上がろうともしないオミの姿に、息を荒げたままのジョウイが叫ぶ。
ぼんやりと遠退く意識の中、オミにはそれがまるで悲鳴のように聞こえた。
『戦ってくれ』と叫ぶ声は、同時に、『殺してくれ』と願うもの。
血を流しているのも傷だらけなのもオミの方なのだが、身体に残っている命の灯火は明らかにジョウイの方が短い。
オミ以上に、身体を紋章に蝕まれているジョウイは、もう何をしても助かりはしないだろう。
・・・だからと言って、その身体を貫けと言うのは。
「・・・出来ないよ」
もう、何度も棍を受けたオミの身体は、至る箇所の骨が折れ、裂けた肌からは真っ赤な血が流れ出していた。
けれどもジョウイは、苦しそうに顔を歪めるものの、些細な傷一つ負っていない。
二人とも分かっていた。
ジョウイは、ただの一打でもオミの打撃を受ければ、それで終わりだと言う事を。
歴史と、世界と、二つの紋章に突き動かされるままに、ただ気力のみでジョウイが立っているということも。
そして、オミが戦うことを選ばなくとも、勝者が誰であると言う事も。
「出来ないじゃない・・・。やるんだ、オミ」
彼がこの苦しみから救われる方法はただ一つきりだ。
だからこそ、ジョウイはその身に受けようと願う。
生き残るべきなのはオミだからだ。度重なる戦に勝利を掴んだのは、オミなのだから。
二人の身に宿る二つの紋章は、真の主をオミと認めたのだから。
「・・・ジョウイ」
オミがその望みを受け入れなければ、オミの存在の消失と共に、紋章に支えられたこの世界の均衡が崩れてしまう。
そうなってしまえば、ジョウイにも生き残る術は無い。
暴走した黒き刃に命の残り火を奪われて、朽ちるだけだ。
「・・・もう、戻れないんだよ」
カツンと、ジョウイの靴が地面を叩く。
地面に倒れたままのオミに近付いて、その青い棍を静かに喉元へと押し付けた。
「・・・けれど、例えここで君を殺したとて、僕に助かる道は無い。・・・わかっているんだろう?」
静かに、オミが視線を上げる。
ジョウイの声が震えているように思えたからだ。だが、泣いてはいなかった。
柔らかく、微笑んで。
「・・・・さぁ、立ってオミ。僕を・・・・――――殺すんだ」
喉の奥から搾り出すような声。だけれども、表情は柔らかいまま、優しかった。
オミはこの表情を覚えていた。
キャロに居た頃の。まだ、誰もこんな未来を知らなかった頃の。
ナナミとオミと遊んでいる時に見せる、いつもの笑顔。
だからこそ。
「・・・出来ない・・・。出来る、訳がないじゃないか・・・!」
「君には守りたいものがあったはずだろう?・・・僕を殺さない限り、その望みは叶わない」
「ナナミは、もういない・・・・。ジョウイを守る事も僕の望みなのに・・・?」
「ありがとう。でも僕は助からない。だけど、君が一緒に戦ってきた人達や世界は守れるんだよ。・・・あの人もね」
「・・・!」
その言葉に、オミは小さく顔を上げた。
脱力しきっていた身体に力を込めて、震える腕で地面に手を付き、ゆっくりと身体を起こしていく。
ジョウイは、その姿に小さな苦笑を漏らした。
出来るならば、こんなに傷付いたオミを見たくは無かった。傷付けたくは無かった。
初めから勝敗の決まっている決着なのだから、オミには無傷でいて欲しかったのに。
オミはジョウイを守る為に、その腕を封印した。
命の危険が近づけば解けるだろうと思っていたが、オミにとって自分の命ほど安い物はないのだろう。
このままでは本当に、ジョウイがオミを殺してしまう。
だから、彼の姿をちらつかせた。
幾ら強いとはいえ、紋章持ちとはいえ、崩れる世界に太刀打ちできるほど人は強くない。
そして案の定・・・。オミは動いたのだから。
「・・・ジョウイ。本当に、こんな方法しか・・・ないの・・・?」
地面にトンファーを握ったままの両手と、力の入らない震える両膝を付いたまま肩で息を繰り返すオミの姿は、血と泥にまみれてさえ美しいと思える。
こんな時に最低だと自分に吐き捨てながらも、最期の光景にしては随分と豪華なものだろう。
「僕は、ジョウイを守る事は・・・出来ないの?」
その言葉は嬉しかった。けれど、同時に悲しかった。
オミはまだ、命がけでジョウイを救おうとしてくれている。ミューズでの一件を忘れた訳ではないだろうに。
オミ達都市同盟を裏切って、アナベルを殺したことも。
この戦いをここまで長引かせたのも、全てはジョウイの所為だというのに。
「・・・オミ」
けれど、オミはもう自分の物にはならないと確信を得ていた。
オミの心には、誰にも消せない相手が居るのだ。
長い時を一緒に過ごした幼馴染のジョウイですら勝てないほどに、その心を占領してしまっている相手が。
「・・・?」
かさりと、オミの背後の草木が揺れた。
オミは気付いてない様子だったが、ジョウイはそれが誰だとはっきり分かってしまった。
こんな時でも、こんなに傍に・・・。
ただ二人しか居ない世界は、これでもう幕を閉じてしまった。
「・・・どうしても、僕と戦う気はないの?」
「・・・・」
「そんな考え方じゃ、オミが本当に守りたいもの・・・何一つ守れないよ」
そんな呟きと同時に、ジョウイはまだ立ち上がりきれていないオミへと向かって、もう一打浴びせようと強く振り被る。
この時初めて、オミはその棍を避けようともがいた。だが、傷付き過ぎた身体は、そう簡単には動かない。
「・・・・ッ!!」
衝撃を覚悟して強く、目を閉じた。振り下ろされた鈍い音と、小さな声が耳に届く。
けれども衝撃は訪れなかった。零れた声も、自分の物ではない。
ぼんやりと視線を上げて・・・オミは絶句した。
ジョウイはオミに向かった方向を変えて、背後の森へと棍を振り下ろしていた。
「・・・くッ!」
ちらりと見えたのは、今朝方キャロで別れたはずの・・・。
「・・・・セフィリオ・・・ッ?!」
オミの声に反発するように、ジョウイは追撃を繰り返す。何故かオミではなくセフィリオに向かって。
一撃目は何とか避けた様子だったが、セフィリオは手ぶらだ。武器もなにもない状態で、殺気立つジョウイに敵う訳もない。
「ジョウイ!セフィリオは関係ない・・・!!」
「いいや、あるよ。僕は、僕が大事に守ってきたものを、少しの間離れただけで、簡単に取られてしまった。その悔しさを簡単に忘れられるとでも?!」
「それなら僕を相手にすればいいじゃないか!・・・ジョウイの相手は、僕じゃないのか?!」
「・・・そうだね。じゃあ早く僕を倒さないと。ねぇオミ・・・君の大切なものは何?守りたい人は、誰?」
「ジョウイ・・・ッ!!」
オミは傷付いた重い身体を動かして、ジョウイとセフィリオの間へと飛び込んだ。
だが棍を振り下ろす相手がセフィリオからオミに変わっても、ジョウイの攻撃は緩みはしない。
真っ直ぐに、オミへと棍が振り下ろされる。
「・・・オミ!」
けれど、突然強い力で腕を引かれた。
オミの血に汚れるのも構わず抱き締めてくる、その温かい腕。
「・・・良かった。間に合って」
ジョウイの棍を右腕で受け止めて。
抱き込まれた胸に感じる嗅ぎ慣れた香りと、忘れる筈もない体温が。
「・・・・っ・・・」
もう会えないと思っていた。だからこそ、嫌われるように利用するような真似をした。
いや、昨夜はあのまま離さないで欲しいと、心の何処かで願っていたのかも知れない。
匂いも体温も温かさも、その全てを刻みつけようと。彼の腕に抱かれていれば、世界は全て暖かいから。
「セフィリオ・・・っ!ジョウイ!どうして・・・・!!」
じわりと、セフィリオの白い服から血が滲み出してくる。あの衝撃をそのまま腕に受けた所為で折れた骨が皮膚を裂いたのだろう。
それでもセフィリオは平然と、ジョウイを見上げた。
「・・・そんなに、俺が憎いのか?」
「・・・あぁ、憎んでも憎み切れないほど、貴方を恨んでますよ。来てくれて良かった。貴方だけはこの手で倒したいと思っていたから」
「ジョウイ、セフィリオ・・・!違う、こんなの・・・っ!」
再び二人の間に立ち上がろうとしたオミだったが、セフィリオの腕がそれを許さない。
「それだけ・・・好きなんだよ。・・・愛していたんだ、オミ。道場で出会ったあの日から、ずっと君だけを」
目一杯の思いを込めた一撃が、セフィリオに向かって振り下ろされる。
セフィリオの腕の中で、それでも、オミはトンファーを握る手に力が篭った。
頭の中に、先程のジョウイの声が聞こえてくる。
―――本当に、守りたい人は、誰?―――
ド・・・・ッ!!
聞こえた鈍い音に、オミは息を飲んだ。
一瞬視界を遮ったのは、バラバラと風に流されていく自分の髪。
振り下ろされたジョウイの棍に切られたのか、長かった髪が彼との間を遮った。
けれど、オミが疑問に感じたのは手に握り締めたトンファーに感じる、明らかな手応えの方で。
「っそう、・・・これで、良いんだよ」
間近で、微笑んで見せたジョウイ。オミは、今何が起こったのか理解できないでいた。
先程まで遠く離れて居た筈なのに、今は直ぐ近くで微笑んでいるジョウイに。
「・・・ジョウイ?」
「・・・オミ、僕は・・・ゴホッ!!」
ボトボトと、何かが地面に零れた。
速度と色彩の鈍った目で映したそれは、真っ赤な血。
同時にゆっくりと、ジョウイの身体が傾いて、地面に倒れ臥した。
カランと、トンファーが腕から落ちる。
「・・・あ・・・ぃ、やだ・・・!僕、どうして・・・ジョウイ・・・・!!」
ジョウイの棍がセフィリオに届く前に、オミのトンファーがジョウイの身体を抉ったのだ。
それは、誰が見ても感嘆するような動きだったとしか言い様がない。
セフィリオの腕からすり抜けたオミの身体は、棍を振り被っていたためにがら空きになったジョウイの急所を正確に狙っていた。
それが無意識で、無意識だからこそ、手加減など一切なかっただろう。
体重とカウンターの反動を利用したトンファーの直撃を食らったジョウイは、地面に倒れたそのままに、身動き一つしない。
「ジョウイ、ジョウイ・・・!!駄目、こんな・・・こんなの、早く治すから・・・!?」
右手をジョウイに差し出して力を解放しようとするが、紋章は制御など出来る状態ではなかった。
待っていた何かをついに手に入れて、紋章は輝きを強めたままジョウイの右手に誘われていく。
「違う・・・!そうじゃない・・・!僕は・・・!!」
伏せていたジョウイの目が薄く開いた。オミの方を見ることはなかったけれども、その表情には苦しさなど微塵も感じない。
「オミ、良いんだ。・・・君が悲しむことはない。これで僕は救われる」
「でも・・・っ」
ジョウイの上に屈んだ所為で、溢れた涙がジョウイの頬に落ちる。
それを感じてか、ジョウイは嬉しそうに、けれど少し悲しそうに微笑んだ。
「僕のために泣いてくれるの?・・・どうしてだろうね。君の涙が見たかったはずなのに」
ゆっくりと伸ばされた右手は、濡れたオミの頬に優しく触れる。
「今は、君の笑顔が見たいよ。・・・ねぇ、笑ってくれないか?」
その様子を後ろから眺めていたセフィリオは、過去の記憶を強く揺すぶられた。
もう、振り切ったはずだった。笑って話せるようにもなったのに。
「・・・テッド」
無理矢理押し込んでいたあの時の記憶が、痛みと共に訪れる。
腕の中の身体から力が抜けて、次第に重くなっていく感覚。
「嫌だ・・・、ジョウイ・・・!こんなの、僕は望んでなかったのに・・・・!!」
泣き叫ぶような、オミの声。
かつて、自分もあのような声で泣いた。
普通なら力を失い冷たくなっていく体は、何故か真の紋章を宿してた者には特別な形で最期が与えられる。
今まで宿していた紋章に、その身を喰われて消滅するのだ。骨一つ残ることもなく、この世界から跡形もなく消えてしまう。
「・・・オミ、君を困らせる事しか出来なかった僕を許して。・・・そして、自分勝手な願いだけれど」
透けるように白くなったジョウイの手が、オミの右手に重なる。
ジョウイの身体を包み始めていた光が、勢いを増してオミに向かって流れ始めた。
「・・・!?」
「『始まりの紋章』は、争いを鎮める力を持つ。その力で、僕らの地を平和に導いて欲しい」
「そんなこと・・・、僕には・・」
「出来るよ。この地の主はオミ、君なんだ。・・・見ているからね、ずっと、傍で・・・」
ふわりと、透明度を増すジョウイの身体。
何時の間にか、高かった陽は落ちて、空は赤く染まり始めている。
その空気に溶け込むように、優しく微笑んだジョウイの身体は、静かに融けて消えた。
「いやだ、ジョウイ・・・!こんな、こんなのってないよ・・・ッ!!」
微かに赤く染まり始めた緑と同じように染まっていく空は、もう濃い秋の訪れを表していた。
NEXT
⊂謝⊃
・・・・・・・書きたかったけど書きたくなかったお話でした。重いなぁ・・・痛かったよ。
ジョウイ好きな方にはひたすら嫌われそうな話ばっかり書いてる気がします。
あんまりボケては余韻がないのでこの辺で。(笑)
読んで下さいまして、ありがとうございました!
斎藤千夏 2005/10/02 up!