*王として*
「・・・もう、朝か」
差し込む透明な日の光に瞼を焼かれ、まどろんでいた意識をゆっくりと呼び覚まされた。
眠っても眠っても眠気の消えない身体は、まだ惰眠を欲しがっているけれど。
あの日から変わったようで変わらない生活を続けているオミは、自室のベッドから起き出して、両開きの窓を開け放つ。
その音に驚いたのか、湖面を白い鳥が二羽、並んで飛んで行くのが見えた。
「・・・随分、寒くなってきたよ」
遠ざかっていく二羽の鳥の様に、今はもう自分の元には居ない家族と親友に向けて、小さく唇を開く。
息が、白く染まった。
「・・・おはよう、ナナミ。・・・ジョウイ」
何時の間にか季節は秋から冬に移り替わり、涼しかった風が肌を冷たく刺すように変わっていた。
最後の戦いが終ったあの日から、いつしか二月という月日が流れ過ぎてしまったのだ。
あの日一つの命が、大国の皇王の命が、彼の国の誰にも知られることなくこの世から消え去った。
彼が存在していたというものを何ひとつ残す事はなく、全てが空気に溶けて消えていった。
それでも世界は何も変わらずに時間を流す。
ナナミを失った時にも感じた世界への違和感は、ジョウイを失った次の日からまた唐突もなくオミを襲ったのだ。
けれど、人が一人消えた程度で、そうそう世界に普遍は起こらない。
解りきっていることだが、あの二人がもうこの世界の何処にもいないのだと考える事すら出来なくて、オミはぼんやりと重い冬の空を見上げていた。
その様子は、親を失った幼い子供のようだったけれど。
アルジスタ王国ジェイド城。
デュナン湖に面した岬に建つ古城の最上階に住まう少年は、この巨大な湖を含む土地全域を統べる王の肩書きを、その細い背中に背負っていた。
「・・・おはようございます。国王陛下」
ノックの音に続いて告げられた宰相の声に、窓を背にして振り返る。
その顔にはもう痛みも苦しみも、先ほど見せた子供のような表情も消え去った、『国王』の表情を浮かべていた。
・・・戦争が終結してから二週間。
慌しい世界の中で、一つの巨大な国が誕生した。
軍名をそのまま引き継いだその国を率いるのは、軍を引いていた英雄ゲンカクの養い子、名をオミと言う。
正式には、臣=ノースレイク=アルジスタ。
まだ年端も行かない少年だが、近隣の同盟国の代表者たちはこぞって彼に玉座を譲った。
お互い、自分のこと、自分の町のことしか考えていなかった大人達は、総てを見守り率いてきた少年にこそ相応しいと口々に告げるのだ。
彼らの願いを叶えてくれた少年にこそ、この地を統べる王に相応しいと。
そして少年は・・・また、彼らの願いを聞き入れて、その椅子に座ることを受け入れた。
ただひとつの手を振り払って。
「まだほんの数ヶ月のことなのに。・・・ご立派です、陛下」
争いの痕跡の消えない土地はまだ沢山ある。
即位したからとて休みなどなく、玉座についたその瞬間からオミの王としての生活は始まっていた。
周辺の街や村への挨拶は勿論、復興が追いつかない所への支援活動。
その間にも、政治面での新たな知識を覚える為にと机に向うので、王と言えど休まる時などない。
立て続けに親しい者達を無くしたばかりのオミは、その事実を受け止めながらも考えないようにしているらしく、周りが幾ら休暇を勧めてもよほど疲れた時でもないと休息を取ろうとしなかった。
休まることがないのは何も、身体だけのことではない。
心も、休まることもなく、大きく開いた傷口はまだ塞がれないまま、ただ多忙な日々を過ごしていた。
「・・・セフィリオ」
・・・彼にも、会えないままに。
-----***-----
どうして彼が会いに来ないのか、それはオミとて気付いていた。
王として即位したオミはもう、セフィリオにとって遠い存在になってしまったのは事実だから。
隣国の英雄とはいえ、一緒に戦ってきたとはいえ、彼はトランの一市民であり、王であるオミとは立場が違いすぎるのだ。
様々な国からの来訪者の前で、今まで通りの様に寄り添う訳にもいかない。
偶に、城で見かけたという話は聞くのだが、顔を合わせることも、ましてや会話などの機会もないのが現状だった。
「・・・っ」
くらりと、また微かな眩暈。
「陛下っ!もう、ご無理は」
「ううん、大丈夫・・・単なる、眠気だから」
今オミの右手に輝いている紋章を宿してからというもの、制御出来ない強い力は溢れ出したまま常に放出している状態なのだ。
元々『盾』の所有者だったからか、現時点でも回復系の力の方が強いようで、溢れ出した力はそのまま癒しの光を宿していた。
その力は、一度ミューズで解放したものとは比べ物にならないほど些細な力だが、ジェイド城から城下町まで包み込む癒しのヴェールは、そこで暮らす者たちの傷や病気を幾分か早く直すという効力として現れていた。
ただ単に力の制御が利いていないだけなのだが、その効力は近隣諸国にまで噂が飛び、わざわざ城を訪れる者も増えていた。
国交は成功し、確かに利点もあるのだが、ひとつだけオミの身体に負担をかけている。
力を使う度に命を削るという代価はなくなったものの、増した力は予想以上で、オミの魔力程度では抑えきれるものではなかった。
足りない部分はやはり体力を削るということになるので、そのためか、オミは常に眠気に襲われていた。
突然倒れて眠り込んだことも、一度や二度ではないけれど。
今までのような気を消耗している訳でもないので、眠れば自然と緩和されるものだ。
けれど・・・。
「陛下、貴方が大丈夫だと仰れば、私共臣下は頷くしかないのです。手を差し伸べることも出来ないのです」
「・・・シュウ」
「一言で良いのです。・・・王だからとて、我慢なさらなくとも良いのですよ」
国の為、一息の休息さえ我慢しようと堪えるオミの姿は、確かに立派な王の姿かもしれないが。
紋章を宿していても、一国の主であれど、人間には変わりない。
例え、流れる時間が他の者達と変わってしまったとしても。
心までは、変えることなど出来ないから。
「・・・久し振りに、会いに行かれてはどうでしょうか」
「・・・シュウ?でも、僕は」
「会いたいのか会いたくないのか・・・。決めるのは勿論、オミ殿ですからね」
さり気なく呼び方まで以前に戻して、シュウは王座の前から立ち去っていく。
衛兵達はオミの視線の届く先に並んでいるが、彼らは極力この場で交わされる会話を耳に留めないよう心がけている者達だ。
ということは、今の話を聞いていたのは、実質オミとシュウの二人だけとなる。
「・・・本当に、いいの・・・?」
やらねばならぬことは、まだまだ先も見えないほど沢山あるというのに。
けれど、この機会を逃せば、もう会えなくなるような気がして。
「ありがとう・・・」
腰を降ろしていた玉座から立ち上がり、オミは蒼いマントを翻してその場から姿を消した。
-----***-----
手首を補強する布を巻いた上から、厚めの手袋を重ねて、オミは着替えを終えた。
「この服も、久し振り・・・」
洗いたての、良い香りのする胴着に身を包んで、懐かしい肌触りにオミは小さく微笑む。
何せ戦争が終ってからというもの、いつでも身に着けていた胴着に袖を通したのはこれが初めてなのだ。
けれど、毎日のように手入れをしてくれているらしいヨシノの好意はありがたかった。
「もう着る事もないと思ってたけど・・・たまには、いいか」
そして、もうひとつ。
あの日以来触ることもなく、壁に立てかけてあったトンファーに手を伸ばす。
今までのオミならば、暇さえあればトンファーを振り回して身体を動かしていたというのに、王となってからはその機会もなくなってしまった。
忙しいからではない。ただ、武器を握る事を、無意識で拒否していた。
「・・・重い」
あの日、親友の身体を貫いた衝撃が、再びこの手の中に蘇ってくるから。
戦争が終った今、無理に握ることもないのだろうが、まさか丸腰で城を出るわけにもいかない。
落ち着いてきたとはいえ、まだまだ国は荒れ、ハイランドの残党達も多くいると訊く。
だからこそ王としての衣服を脱ぎ去り、今までの胴着に身を包んだのだが、軍主の時のオミを知っている敵が襲ってくる可能性がないわけではない。
「僕はもう、戦いたくはないのかな・・・、っ・・」
呟いた言葉と同時に、眩暈のような眠気に襲われる。
早く行かなければ、折角の休みを無駄にしてしまいかねない。
オミは今の腕には重過ぎるトンファーを腕に、厩へと向かった。
「今からなら、夕刻には間に合うかな・・・」
早馬を一頭借りて、鞍に跨る。
今までならば、ルックやビッキーにバナーまで飛ばして貰えたのだが、ルックはオミが城に戻った時には既におらず、ビッキーはといえば立国の記念式典の最中に姿を消してしまったらしい。
もう、頼れる人はいないのだ。
ビクトールもフリックも、アイリ達三人も、もうこの城には残っていない。
「・・・これから、寂しくなるなぁ」
オミはきっと、気の遠くなるような時間を生きていくことになるだろう。
人間としての時の流れから外れ、紋章を継承した王として、この地に永遠を捧げる事となるのだろう。
それは、幾つもの別れを示しているようにも思えた。
「・・・僕たちも、別れなければならないのかな」
オミと同じ、時の流れからはみ出た真の紋章の継承者。
ただ彼に会う為に、旅装用のマントを冷たい風にはためかせ、早馬を駆って城を飛び出した。
-----***-----
「・・・いない?」
「えぇ、すみません・・・」
西の空を赤く染め上げる夕暮れ。
棚引く雲が沈み行く太陽に赤く染まり、対峙しているグレミオの頬も同じ色に染められていた。
予想より少し早めに辿り着いたグレッグミンスターで、オミは彼から聞いた言葉を一瞬理解出来なかった。
「最近よくふらりとお出かけになるようなのですが、何処へ行くとも言わずに出て行かれるので・・・」
「何処に行ったのかも、わからないんですか・・・」
「・・・すみません」
申し訳無さそうな顔を向けるグレミオに、オミも苦笑して頭を下げる。
「いいんですよ!グレミオさんの所為じゃないんですし、突然お邪魔しちゃった僕が・・・、っ」
「オミ君・・・?!」
くらりと傾いた身体を支えられて、オミは小さく頭を振る。
城を出て遠出をしたことで余計な体力を使ってしまったのか、今日は頻繁に眠気が襲ってきた。
「大丈夫ですか!?」
「あ・・・ごめん、なさい少し眠いだけで・・・大丈夫ですから」
深い深呼吸をして、意識が引き摺られるのを食い止める。
そして、日も暮れかかる時間に訪問した事を詫び、城へと戻るために手綱を掴んだ。
「で、でも・・・!少し、休んで行かれた方が」
「えぇ。でも、本当に大丈夫ですから・・・それにあまり、長居は出来ない身体なもので」
オミの苦笑を浮かべたその表情にグレミオははっとしたように居住まいを整え、膝を折った。
「!・・・そうでした、まだ祝辞も述べていませんでしたね。王位継承おめでとうございます、アルジスタ国王陛下」
地に膝を付き頭を垂れる姿を、オミは少し寂しげな表情を浮かべて微笑んだ。
「・・・ありがとうございます」
と、その時。
空を染める赤が黒に侵食されてゆく中で、大きな影がオミ達を一瞬遮った。
「・・・あれは・・・!」
見上げた途端、右手が小さく反応を示す。
なんてことはない、気のせいとも言える程度の反応だけれど。
「・・・セフィリオ」
確証など何処にもないが、身体は勝手に後を追うように歩き出す。
確かに感じた、一瞬の存在。
「え?・・オ、オミく・・・陛下?」
グレミオの呼び止める声も聞こえていない様子で、竜の舞い降りた城へと足が勝手に進んでしまう。
珍しく門番も警備兵もいない城門を越えて、城の裏手の広場へと足が進んだ。
そこには、巨大な竜の姿と、その竜の背から降りてくる・・・セフィリオの姿。
「・・・オミ・・・?」
突然現れたオミに驚いた顔をして見せたセフィリオだったが、オミの纏う衣服が以前の物と気付き、表情を柔らかいものへと変えて微笑んだ。
「久し振りだね・・・オミ」
二十歩は離れているだろうその距離の先から動かずに、セフィリオはただ柔らかい笑みだけをオミに向ける。
「・・・っ」
どうして、近付いて来ないのか。
オミの姿を捜すように見つけては、何時でも何処でも傍にいたのに。
「セフィリオ・・・」
「・・・」
呼んでも、ただ優しい笑みを向けるだけで、それ以上の言葉さえ与えてくれなかった。
欲しいと思う資格など、無いのかもしれないが。
オミは一度、全ての戦いを終えた後、伸ばされた彼の手を受け入れなかった。
もしそのことで怒っているのなら・・・オミに愛想を尽かしたのならば、はっきりとそう言って欲しい。
けれど、セフィリオのオミを見つめる目は、何も変わっていない。
何も変わらずに、心からの想いを込めた眼差しなのに。
「・・・失礼、マクドール様」
「・・・解った、すぐ行く」
その時、セフィリオの傍に駆け寄ってきた兵士が何事かを小さく囁く。
オミには内容まで聞き取れなかったけれど、誰かに呼ばれただろうことは解った。
「・・・じゃあ、オミ。呼ばれたから、行くね」
引率する兵士の後を追うように、オミに背を向けてセフィリオは歩き出す。
「・・・ぁ」
引き止めたくても、何故か声が出ない。追いかけたくても、足が地面に縫い付けられたように動かなかった。
どうして引き止めたいのか、どうして追いかけたいのか、その理由はわからないまま。
伸ばされた手を、オミは受け取らなかったのに。
今どうして、こんなにも求めてしまうのだろうか。
そしてまた、傍から人が減っていくのだろうか。
セフィリオを、失ってしまうのだろうか。
「・・・、っ・・」
ただ、見つめる事しか出来ないオミに背を向けて歩き出した背中が、突然歪んだ。
同時に、周りの景色も水中から眺める湖面の様に、酷く歪む。
急速に視界が狭まり消えかける瞬間。
何故か・・・去って行ったはずのセフィリオの慌てた表情だけが鮮明に、見えた気がした。
NEXT
⊂謝⊃
・・・・・・・・・暗すぎる。考えたネタを唸りながら書き進めているのデスが、なんでしょうこの暗さは!!(汗)
最近アホばっかり書いてた所為・・・その反動でしょうけども(笑)
お久し振りな上、甘いところ無くてゴメンナサイです・・!!あぁでも伏線が一杯vvv(オイ)
えとえと、そんなに長い章にはならないと思うので、
このままのんびりラストまでお付き合い下さいますよう、お願い致します!!<(_ _)>
暗くても痛くても見捨てないでね!!(笑)
ではではお付き合いくださいまして、ありがとうございました!
斎藤千夏 2006/02/05 up!