『Trace』
暑い季節は通り過ぎ、そろそろ涼しい風が吹き出した初秋。
「次は、こちらの報告書をご確認下さい」
「うん、ありがとう」
それでも、始まった戦火はまだ収まることもなく、新都市同盟アルジスタ軍は、いつものように忙しさの中に身を置いていた。
トラン共和国の援助のお陰で少しは人員にも余裕が出てきたが、まだまだ王国軍に敵うまでには達しない。
人手不足は今に始まったことではないが、このままでは勝ち目すら薄く見えてくる。
王国軍にはまだ白狼軍が残っているのだ。指揮官のルカを止めない限り、気を落ち着かせることも出来ない。
「・・・あれ?シュウ、これって」
執務室の椅子からオミが、立ち上がる。
赤茶の髪は、少し長さを増したか、元々華奢に見えがちだった小顔を更に小さく見せていた。
シュウに向けられた瞳は榛。偶に太陽光を透かせば、金に光るような強い視線を持っている。
「離れ村で、山賊の襲撃ですか。・・ここからそう遠くはありませんね」
オミから書類を受け取って、シュウもその文面を眺めた。
幾度も山賊に襲われ、村が崩壊寸前だと言う事。その件でアルジスタ軍に助けを求める文面だった。
「村の名前は・・トレイス?こんな村、聞いたことないよ」
「恐らく様々な町や村から逃げ延びた者達が集まって、新たな村を作ったのでしょう。・・・本来ならば、様子を伺いに行くべきなのでしょうけれど・・・」
「・・・・・」
今、同盟軍に動かせる人員は極端に少ない。近隣の警備や城の保護ですら、定員ギリギリの現状なのだから。
「・・・でも、だからって見過ごすことも出来ないよ。そんなに遠くないしね・・・僕が行って来る」
シュウからもう一度書類を受け取って、オミはにこっと笑う。
「オミ殿!何も貴方が」
「大丈夫!他にも誰かに手伝ってもらうし。・・・みんな手が離せなかったら、一人になるけど・・・」
村の様子を覗いて来るだけなのだ。逆に、大所帯で行っても不審がられるだけだろう。
「今は、村の人たちもピリピリしてるだろうから。僕も、何処かの町から逃げてきたことにするよ。だから、大丈夫」
義姉の口癖を真似て、オミは笑う。こうなっては、この少年は一歩も身を引いてくれない。
シュウは、溜息を零して言葉を吐いた。
「けれど、お一人で向かうのは危険過ぎます」
「それなら、僕が一緒に行こうか?」
突然、扉の向こうから掛かった声に、オミとシュウは振り返る。
いつの間に開かれたのか、全開になっている執務室の扉に寄りかかって立っているのは、トランの英雄、セフィリオ・マクドールであった。
「みんな忙しそうに走り回っているしね。それに、オミの護衛なら、僕ひとりでも充分だろう」
肩にかけた棍を軽く叩いて、にっこりと笑う。窓から差し込んだ太陽が彼の黒髪を焼いて、美しい蒼に見えた。
「・・・あなたと僕と、二人きりで?」
「大人数で行っても、怪しまれるだけなんだろう?いいじゃないか逃げてきた恋人同士ってことにしておけば」
「・・・な・・・っ、こ・・・?!」
「恋人同士、ね?ほら、そうと決まれば支度しなきゃ。オミ、行くよ」
「わ!!ちょっと、待ってってば!!何で僕があなたなんかとー!!」
引き摺られていく軍主の姿に、シュウは何も言えず・・・けれど仕事だけは真っ当すべく、アップルに伝言を頼んだ。
「・・と言う訳で、急遽用意して欲しい物がある。馬よりは・・そうだな」
サウスウィンドゥにでも向かえば、用意出来るだろう。後は、あの二人に任せるしかない。
「無事に帰ってきて欲しいものだが・・・」
トランの英雄がついているのだから、怪我などの心配をしている訳ではない。
彼が一緒だという事は、それ以上の問題が控えていたので。
「・・・無事に」
ちょっと無理かもしれない願いだった。
***
ガタンガタンと揺れる車内。乗り慣れない者には、少し苦しい振動が続く。
戦争で荒れた大地は、こんな所まで不便にさせるのか。
「どうしたの暗い顔して」
青い顔をして、セフィリオに無理矢理着せられたマントに顔を埋めながら、オミは小さく答えを返す。
「・・・別に、どうも・・・」
「苦しいなら言ってくれなきゃ。助けてあげられないよ?」
「・・・・」
馬車酔いを、どうやって助けてくれるのか聞いても見たい。
が、オミは正面で笑っているセフィリオを一瞥するだけで、黙ったままだ。・・・口を開けば、吐いてしまいそうなので。
「それにしても、こんなの用意してくれるとはね」
そんなに狭くはないが、これは馬車だ。それも、サウスウィンドゥから出ているらしい、乗り合い馬車。
セフィリオとオミの二人以外にも、当たり前だが乗客はいる。
「拗ねた顔も可愛いけどね。どうせなら笑って欲しいな」
「・・・・・」
そんなお願い聞きたくないとばかりに、オミは顔を背ける。と、その瞬間、馬車が大きく揺れた。
「ぅわ・・・っ?!」
「おーごめんよ。でっかい岩に気付かんかった!平気かー?」
手綱を握っている男が、馬車の中を振り返って声を上げる。
だが、くすくすと明るい笑い声の零れる車内に安心したように、男は前に視線を戻した。
「・・・オミから抱きついてくれるなんて、嬉しいね」
「ち、違・・!揺れて!!」
「じゃあなんで、こんなにしっかり抱き締められてるのかな」
「離したら、落ちるから・・・っ!」
「うん、じゃあこのままでいようか」
「い、嫌だ!うわあああ放せ―――!!!」
ぎゅーっと抱き締められて、思わずオミは暴れ廻る。
揺れた反動で、馬車に乗りなれていないと共に体重の軽かったオミは正面へと投げ出されてしまったのだ。
勿論、オミの正面に座っていたのは、セフィリオ。
彼の膝に座り込むように倒れたオミは、今だ揺れ続ける振動に、無意識にか彼の首にしっかりと腕を回していた。
改めて、周りを見てみれば、旅の途中らしい乗客が、全員二人を眺めている。
彼らの顔に浮かぶのは笑みだけだが、何かが妙だ。
「お似合いですわね」
「可愛い彼女さんと、どちらかへお出かけですか?」
・・・ほうらやっぱりこんな勘違い。
微笑ましげに眺められていたのは、二人を彼氏彼女の関係だと勘違いしてくれたかららしい。
「なっ!ち、違・・・!僕らは」
「そうなんですよ。ちょっと用事がありまして」
オミの口を手で塞いで、セフィリオはにこやかにそう返す。ちなみに、オミは今だセフィリオの膝の上だ。
「彼女がこんなに馬車に弱いとは思ってなくて。考えればよかったね」
「・・・・〜〜〜っ!!!」
至近距離で微笑まないで欲しい。
顔は嫌味なほど整っているセフィリオの、吸い込まれてしまいそうな鮮蒼の瞳に、言葉が出なくなる。
というか今はただ口を塞がれているからなのだけれども。
「あぁやっぱりそうでしたか!それにしても、幸せそうでなによりだ」
「ありがとう」
「・・・!!!」
オミの普段の姿では、『アルジスタの軍主』と公言して歩くようなものなので、
セフィリオに着せられた彼のマントが、オミの性別すらも誤魔化してしまっているらしい。
こんな誤解は早急に解きたいが、今だセフィリオはオミを膝の上から離してはくれない。
彼の手はオミの腰と首にしっかりと巻きついているので、身動きすら出来なかった。
「・・・でも、こうしてると少しは楽だろう?」
彼の膝に座っているからか、直に馬車の揺れを感じることもなく済んでいるのは確かで。
身体の中身が揺らされているような感覚は、この体勢になってから、不思議と緩和されている。
「・・・・・」
だが、彼の言う事に素直に頷くこともしたくない。負けを認めるのは癪なので、オミはただ黙ってそっぽを向いた。
そんなオミの反応にも嬉しそうに笑いながら、セフィリオは延々と彼女自慢話を他の乗客と続けていたが。
続きは買ってからのお楽しみv(笑)※軌跡上に掲載しています。