激しくなる戦火と連日の大雨で、バナーとラダトを結ぶ定期船が止まってしまってから、もう何日経つだろう。
こんな時、定期船が復旧するまでは、どれだけ逢いたくても、こちらから会いに行くことすらできない。
増水した川を上流へ上る方法は、船以外にないのだから。
「・・・はぁ」
「また、溜息ですか坊ちゃん?」
どこか、嬉しそうに笑うグレミオには返事も返さずに、止まない雨を窓越しに眺めたまま、セフィリオはもう一つ、溜息を付いた。
* if... *
数日振りに晴れ渡った空。
その、雨上がり独特で清々しい空気を感じる余裕もないまま、ぬかるむ泥道を急ぎ足で走り抜けていた。
伴は誰もいない。
もう目を瞑っていても抜けられるくらい、この森は何度も何度も往復したから。
「・・・最近は、俺ばっかり会いに行ってる気がするな」
自分で呟いた言葉に苦笑しつつも、逢いたいのだから仕方ない。
オミは、戦争真っ最中の軍主なのだ。
忙しいのか、中々会いにも来てくれない。
セフィリオは、最後に別れた時のオミを思い出していた。
遠征帰りか何かで、数十日も家に戻らなかったセフィリオに、いい加減戻ってきて欲しいと、トランからの迎えが来た時の事だ。
「・・・グレミオ」
「坊ちゃんは!お家が!お嫌いなのですか・・・!!」
決してそういう訳ではないのだが。
ただ単にオミの隣は居心地が良いのだ。離れがたく思ってしまう程に。
けれど、そんなセフィリオに対して、オミは。
「セフィリオ・・・。いい加減、帰ってあげたらどうですか?」
溜息混じりにそう言ったのだ。
簡単に帰れと言うオミに、セフィリオは拗ねた子供の口調になる。
「・・・オミは、俺が居なくても平気?俺のこともういらないの?」
「ばっ・・・!そういう、意味じゃなくて・・・!」
「じゃあ、どう言う意味?」
「別に、そのままの意味ですけど・・・?」
寂しさも何も漂わせる事もなく、あっさりとオミは首を傾げる。
セフィリオ自身、引き止めてくれることを少しは期待していたのだが。
目論みが外れて、面白くない。
「・・・ふぅん?わかったよ。帰る」
「あ、はい。では、今回の遠征にお付き合い下さいまして、ありがとうございました」
「・・・・・」
いくらこの場所が、一般兵や一般市民もうろつく城門前だからといって、そこまで他人行儀でなくてもいいと思う。
やっぱり、何となく面白くなくて、セフィリオはそのままオミに背を向けた。
沈みかけた夕日はセフィリオの正面にあったから、そんな態度を取ったセフィリオに対しても笑っていたオミを、赤く眩しく照らしていて。
せめて、一言でもよかった。ちょっとした態度でも。
引き止めて欲しかったのに。
「・・・しばらく、来ないよ」
・・・そう捨て台詞を吐いた自分を呪いたい。
その時の宣言通り、こうやって会えない日々が続いてしまったのだ。
「・・・それにしても、あの時のオミは何を考えていたんだ?」
ある意味、オミの命はセフィリオが握っていると言っても過言ではない。
激戦の中で、紋章に奪われていくオミの生命を繋いでいるのは、セフィリオの紋章の力なのだから。
「・・・こんなに会えなくなるなら、あの時無理にでもしてればよかった」
出会い頭に、キツイのを一つお見舞いしてやろう。
それが例え公衆の面前でも、飢えているオミの体は嬉しげにセフィリオの『気』を受け入れるだろうから。
・・・と、ひとり考えてから首を振る。
「これ以上、嫌われる要素を増やさなくてもいいか」
自分で言っておいて悲しいが、仕方ない。
オミは滅多に素直になってくれないし、口癖は『大嫌い』なのだから。
「・・・何、してるかな」
初めて会った頃、オミがこんなに気になる存在になるなんて思ってもいなかった。
ただ、自分と似たような運命に巻き込まれた少年を、見てみたかっただけなのだ。
けれど、セフィリオ自身、オミをそう言う意味で欲しくなってしまった事実は、すぐに納得できた。
人間、誰でも『自分にだけ』は嘘がつけないものだから。
「・・・たまには、素直に甘えて欲しいものだね」
セフィリオは小さく笑って右肩に棍をかけ、再び足を早めた。
***
「・・・っわ!」
身体を包んでいた浮遊感が消え、重力のままに地面へ落ちる感覚に、思わずぎゅっと目を瞑る。
けれど、叩きつけられるような衝撃はいつまで待っても襲ってこなくて、オミはそろそろと目を開いた。
「・・・重いんだけど」
「わぁ!あ・・、ごめん!」
迷惑そうな声に慌てて身体を起こす。
慣れているはずの道なのに、気が急いていたせいか、そう強くもない敵相手に油断してしまったオミだ。
あの高い崖を上りきった先で突然虎に襲われて、攻撃自体はかわしたのだが、手足が梯子から離れてしまった。
そのまま崖下に落ちかけた所で、誰かに腕を握られた感覚だけは覚えているのだが、どうしてこんな森の深くにいるのかは分からない。
反射的に謝って身体を起こした所で、ようやく自分の下敷きになってしまったのが、ルックだとわかった。
「・・・助けてくれたの、ルック?」
「・・・・」
あの瞬間。
パーティーのしんがりを勤めていたルックがとっさに手を伸ばして、地面擦れ擦れのオミの身体ごと瞬間移動してくれたらしい。
だからこそ無傷でいられるオミだが・・・と、ここではたと気付く。
「あ、ルック!怪我、してないよね・・?!」
テレポートからの着地の時も、不自然な体勢だったオミの下敷きになってくれたのはルックなのだ。
「・・・別に・・・っ」
面倒くさそうに返事を返して立ち上がろうとするが、右足を地面についた瞬間、微かに顔をしかめた。
それを見逃すオミではない。
「待って!ルック、足!」
「・・・平気」
「こんな時に、強がらないで!」
なおも立ち上がろうとするルックを座らせて、右足を自分の膝の上に乗せる。服を捲った下の足首は、痛々しくも腫れ上がっていた。
「・・・うわ・・こんなに腫れて・・・痛くないの?」
オミは背負っていた布袋から、いつも持ち歩いている薬を取り出すと、丁寧にルックの足に塗り込んでから包帯を巻いていく。
手当ての手つきが妙に手馴れていて、ルックは目を細めた。
その表情をどう受け取ったのか、オミは小さく苦笑して謝る。
「・・・本当は、紋章で治した方がいいんだろうけど。ごめんね・・・」
「それは・・・わかってるよ」
強がってはいるけれど、オミの身体の限界がそろそろ近いことはわかっていた。
オミの紋章から漂う力は弱い。
代謝を極限まで落としているせいか、寒い季節でもないのに、オミの体はつめたく冷え切っている。
このまま外から『気』を補ってやらないと、また昔の様に身体が悲鳴を上げて発作を起こし、高熱を出してしまうかもしれない。
オミがセフィリオと出会ってから、その高熱で倒れることは目に見えて減っていたのだが、それがルックには気に入らなかった。
『気』の相性が抜群にいいのだろう。
そして、セフィリオの紋章のお陰か、他人の気を受け入れているはずのオミの身体に異常が出ないことも、ルックには面白くない。
「・・・・」
急に黙り込んでしまったルックに、何か言おうとオミが口を開きかけるが、声が出ない。代わりに、乾いたような空咳が続いた。
「オミ・・・?」
伺うように声をかけてみれば、一瞬、潤んだ瞳と目が合った。
榛色の宝石のようなオミの瞳は、そのまま紗をかけたように曇り、光を失う。
「?!」
咄嗟に手が伸びて倒れたオミの体を支えるが、その重さに右足が悲鳴を上げた。けれど、今はそんな事には構っていられない。
座り込んだ自分の両足の間に挟むようにして、オミの身体を支える。
「・・・熱が、高い」
汗の噴出したオミの額に張り付く髪を指で分け、触れてみるが、やはりそこは熱かった。
ありえないほどの高熱に、弱っていたオミの身体が、その体温差にそうそう長く持つ訳がない。
今は、一刻も早く熱を下げなければならないのは分かっている。
方法は・・・ひとつしかない。
悔しいが、あいつの元へ連れて行く以外に、オミを助ける方法はないのだから。
ルックが、紋章に力を込めた時、オミの瞼がゆっくりと開いた。
光のないオミの瞳がルックの姿を捉えて、揺れる。
「・・・・」
苦しい筈なのに、唇を動かして、小さくオミが謝った。
『ごめんね』
そう、言って笑うのだ。
ルックは、力をこめていた手を緩めて、そのオミの頬に触れる。
「・・・・どうして、あいつなの・・・?」
その声はもう聞こえていないようだったけれど。
ルックはゆっくりと、その淡い緑色の目を閉じた。
***
「・・・?」
しばらく進んで、バナーの村と国境までの中間辺りに来た頃だろうか。踏み固められた道から少し離れた場所で、ふと声が聞こえた気がした。
「・・っ!」
「・・・・!」
耳を澄ましてみても内容までは聞き取れないが、明らかに聞き覚えのある声だ。
「・・・何してるの?」
「おわ?!セ、セフィリオ!」
木々を掻き分けて辿り着いてみれば、やはりそれは見知った顔で。
急に声をかけられて驚いたのか、フリックが目を見開いてセフィリオを見据える。
「いいところに来た!お前も探せ!!」
「何を?・・・って、二人だけで来たのか?」
挨拶もそこそこに、ビクトールが軽々しく肩を叩いた。
けれど、この組み合わせでこんな所まで来るのは明らかにおかしい気がした。なにより、オミの姿が見えない。
「いや・・・四人で来たんだがな・・・」
「四人?・・・あとの二人はどうした?」
「はぐれた」
「・・・この森で?」
まさか、と思う。
ここの森は深いが、間違えるはずもないような道がしっかりとあるのだ。
それに、何度もここを往復している彼らが迷う訳がない。
「いや、まぁちょっとした事故なんだが。オミが崖から落ちちまってなぁ」
「?!」
「あ、いや!多分無事だとは思うけどな」
「どうしてそう言い切れる?!」
「ルックが助けたからさ。でもな、どこに飛んだのか分からなくてなぁ」
「・・・ルック・・・だって?」
その名前を聞いて、セフィリオは微かに眉を顰めた。
同盟軍の中で、最も気に入らない相手かもしれない。自分の仲間だった時は、別に気の合わない奴だと思うだけだったが、今は違う。
何より、傍にオミを置いておきたくない相手なのだから。
オミはそんな事はないと否定するが、あれは、確実に・・・・。
「・・っ!」
「セフィリオ?」
どこかで、紋章が発動した。
オミだけの紋章ではない。オミの紋章ならすぐわかる。
「こっちだ」
確信はあった。感じ取った波動は、明らかに真の紋章同士の共鳴。
オミとルックの二人以外に、この森の中で誰が共鳴を起こすというのか。
「ちょっ・・!待てよセフィリオ」
後から呼ぶ声も無視して、セフィリオは走り抜ける。
もっと深い森の奥へ。・・・近くなるにつれ胸が苦しい。
せめて、辿り着いた先に、オミがひとりでいるのならまだ良いのだが。
「・・・オミ!」
茂みを掻き分けた先で、抱き合うように座り込む影が見えた。
ゆっくりと、唇を離したルックと目が、合う。
「・・・来たの。早かった、ね」
「・・・何、を・・・」
「・・・セフィ、リオ・・・?」
気を失っていた筈なのに、小さく聞こえたセフィリオの声に、オミがゆっくりと目を開いた。
微かだが、意識が戻ったらしい。
「・・・っ?!」
だが、目の前に立ちすくむセフィリオの表情に、驚いて目を見開く。
「・・・何が」
今、自分がどんな表情をしているかなんて、確かめる余裕もない。
何もかもが気に入らない。
怯えたように、ルックにしがみ付くオミの行動も、全てが。
「・・・っ」
「待て!」
追いかけて来ていたらしいビクトールに止められていなければ、恐らく感情の荒れ狂うままに、握り締めた棍を振るっていたかもしれない。
「オミ、ルック!無事だったか。無傷か?」
「・・・そうでもないけどね」
フリックの声にはルックが答える。オミは相変わらず声が出ない様子で、状況がわからないのか混乱しているようだった。
「・・・話し掛けるなら、一度大きく息を吸ってからにしろよ」
何が言いたくてビクトールがそう言ったのか、頭に血が上った今のセフィリオには理解できなかった。
「っ!」
「セフィリオ!?ちょっと待てよ!」
突然、オミの手首を掴んで立ち上がらせる。
静止の声が後ろから響くが、フリックの言葉など聞いていられる余裕はどこにもない。
「・・・待ちなよ」
「・・・何?」
それでも、ルックの声は別だ。
喧嘩を吹っ掛けてくるなら、喜んで受ける気分でいたセフィリオだが、続けられた言葉は生憎予想していたものではなかった。
座り込んだ体勢のままで、ルックはちらりとオミを見て、口を開いた。
「その子が大事なら・・・もっとしっかり守るんだね」
自分の知らないオミの弱みを知っていると言われたみたいで、腹が立つ。
「・・・お前には関係ない事だ」
「体調さえ見抜けない間抜けに『お前』なんて言われたくない」
そう言われて、セフィリオは初めてオミに視線を向けた。
と同時に、かくんと頽折れる身体。
「オミ・・・っ?!」
もう、立っていることさえ出来ないのか、咄嗟に伸ばしたセフィリオの腕の中へ倒れ込んできた。
そうしてやっと、オミの身体が『気』を欲して発熱している事に気付く。
「・・・あ」
乱暴に手首を掴んだ時には、幾ら手袋越しとは言え、分かってやれなかった自分が悔しい。
今まで、こんな事はなかった。
自分を見失ってしまう程、怒りに頭が真っ白になることなど。
それ以上に、こんなにも胸が苦しくなる事も。
「オミ・・・?ごめん・・・。俺だよ・・分かる?」
「・・・ん」
虚ろな瞳がセフィリオの姿を捉えて、小さく笑みの形を取る。
オミ自身、もう殆ど意識もない状態なのだろうが、伸ばされたオミの手は、しっかりとセフィリオの背に回された。
「!」
オミから抱きついてくることなど、滅多にない。それも、第三者がいる場所ではありえない事だ。
恐らく、自分が何をしているのかも分かっていないのだろうが、そのオミの動作には、とてつもなく息が詰まる。
嫉妬に狂いそうだった自分が愚かしくて。・・・そして、嬉しくて。
「・・・オミ」
熱いオミの身体を抱きしめ返して、再び力の抜けた軽い身体を腕に抱き上げた。
ぐったりとセフィリオの胸に沈み込んでいる様子から、早く『気』を分けた方がいいのだけれど、流石にここで抱くのは躊躇われるから。
「一度、家に連れて行く。後で送り届けるから」
「お、おいセフィリオ!いい加減、オレの話も聞けよ!」
「今は、城に戻っていてくれるかな」
相変わらずフリックの声には返事を返さないまま、セフィリオはその場を後にした。
「・・・なんで。あいつなんだろうね」
セフィリオの姿が見えなくなってしまった後、黙り込んでいたルックがポツリとそう呟いた。
ルックが何の事を言っているのか、二人には分からなかったが。
「・・・まぁ、俺らは城で待ってようや」
どうやら怪我をしているらしいルックに肩を貸しながら、ビクトールは笑う。
セフィリオとオミの仲は、もう周知の事実なのだが、ルックのこの気持ちだけはセフィリオしか知らない。
元々、打ち明ける気もない気持ちだ。
今更どう足掻いたって、オミの中にいるセフィリオの存在を消す事など、不可能に近い事は分かりきっている。
けれど。
「・・・もしも」
オミがセフィリオに出会う前にこの気持ちを告げていたらどうなっていたんだろうか。
「・・・バカバカしいね」
「何がだ?」
「別に」
そう。別に、なんでもない事だ。
今更何を言ったとしても、もう全ては遅いのだ。
彼らは出会うべくして出会ってしまったような気がする。
・・・『もしも』なんて、ありえない事なのだから。
***
「グレミオ!着替えとタオルと氷水。後は水差しも用意して」
日が沈みきった夜中に走り込むようにして帰ってきたセフィリオは、眠ろうと寝室に向かっていたグレミオと顔を見合わせた途端に、今の台詞を吐いた。
「坊ちゃん?!あ、え?!オミ君ですよね?どうかなさったんですか?ひどく苦しんでるようですけど・・・!リュ、リュウカン先生を・・・っ!!」
「いいから。オミは大丈夫だから、今言ったの用意して」
「は、はい!」
どたどたと走って行くグレミオの背中に苦笑して、セフィリオは自分の部屋へと急ぐ。
扉の中は、今日の昼を過ぎた頃、バナーから戻ってきたクレオ達に連絡船が復旧していると聞いて慌てて飛び出した時のままだった。
着ていた服は脱ぎっぱなし、読んでいた本は折り目を付けて床に落ちている。
その燦然たる有様に、セフィリオは苦笑した。
「・・・どうかしてるな」
もう、これは病気に近いと思う。
オミも、セフィリオに長く会えないと、今のように倒れてしまうのだが、彼自身はまた違う意味で病気に近い。
会えない日が続くと、どうにも同じ夢ばかりを見るのだ。
その夢の中で、オミは笑っている。
セフィリオは、手を伸ばして触れようとする。けれど、触れられるギリギリでいつも目を覚ましてしまうのだ。
その先を何度夢で見ようとしても、見ることは出来ない。
そうして、また会いたい気持ちは加速していく。
愛しさと共に、その気持ちは止まる事を知らない。
「・・・オミ」
ぐったりとしたままの身体を、寝乱れたままのベッドシーツの上へそっと下ろした。靴を脱がせて、細い腰を締め付けている帯も外す。
「坊ちゃん」
「あぁ、グレミオか。入って」
軽く扉を叩く音と共に、グレミオの声が聞こえた。
それに入室の許可を出して、扉を開ける。
「オミ君は・・・?」
「大丈夫。・・・あぁ、もう寝る前かも知れないけれど、風呂って用意出来るかな」
グレミオの腕から数枚のタオルと着替え、その他諸々を受け取って、ベッドの横にある机に置く。
「はい。それぐらいなら・・・あ、早速用意してきます!」
「あぁ、寝る前で良いよ。水さえ張っていてくれたら後はやるから」
「・・・でも」
グレミオも、オミの事はとても気に入っているのだ。
オミのこの状態を見たことがないなら、誰でも心配で驚くだろうけれど、実際そう悲観したものでもない。簡単に治すことが出来るのだ。
けれど、それが出来るのはセフィリオだけなのだが。
「・・・グレミオは寝て?明日、朝食は五人分だから」
「・・・あ・・・はい!」
明日の朝には回復していると言う意味のセフィリオの言葉にようやく笑みを零して、グレミオは部屋を出て行く。
「・・・さて」
念のため、扉にはカギをかけて。
グレミオの部屋は一階の奥にある。他の二人の部屋もそれぞれ一階だ。
恐らくクレオもパーンも、もう眠っているだろうから、起きてまでセフィリオの部屋を訪ねて来る事はないだろう。
「ごめん、待たせたね」
酷い汗を流しているオミの顔をタオルで拭き取り、そのまま口付ける。
熱でかさかさに乾いた唇は痛々しくも、少し血の味がした。
「オミ・・・、オミ?」
朦朧としているオミの意識を繰り返し呼びながら、その唇を濡らすように舐めていく。
「・・・っ・・ん」
暫くそんなキスを繰り返してみれば、閉じ切った唇が薄く開いて、拒む事もなくセフィリオを受け入れた。
「ぅ・・んんっ・・・ふ・・・」
呼気と共に、ゆっくりと『気』を注ぎ込む。
渇望していたものを与えられて、オミは無意識のまま、セフィリオの唇に吸い付いてきた。
「・・・ん、ぁ・・・」
ゆっくりと、オミの瞳が露になる。
明りを灯していない部屋の中でも、窓から差し込む微かな月明かりを反射して、その榛色の瞳が光った。
「・・・セフィ・・、リオ・・?」
「そうだよ・・・オミ」
ようやく意識が戻ってきたのか、どうして自分がこの部屋にいるのか、何もわかっていない様子で周りを見渡している。
「・・・あれ・・僕?」
「・・・倒れたんだ。また」
まだ重そうな瞼にキスを降ろして、セフィリオは一度オミから離れる。
オミは慌てて身体を起こそうとしたが、どうやら目が廻ったらしくもう一度枕に頭を埋めた。
「何で、僕・・・ここに?バナーの森で・・・あれ?」
どうやら記憶が混乱しているらしく、オミはルックとの事を覚えていないようだった。それはそれで、セフィリオにしてみれば複雑でもあったが。
平然を装って口を開く。
「森で倒れたオミを、俺が連れてきた。三人は先に城に戻ったよ」
するりと布が擦れる音がして、オミはそちらを向いた。
と、そこには上半身裸のセフィリオがいて。
「っちょ・・・!?」
「大声は出さない方がいいよ?」
グレミオ達が起きるからね。
シン・・・としている夜中では、昼間何気なく立てている音でも妙に響いたりするものだ。
オミは慌てて口を噤み、けれど、顔を逸らしてそっぽを向く。
「・・・オミ?まさか、今更恥かしいの?・・・顔真っ赤だけど」
オミが動けないのを良いことに、ベッドに乗り上げてきたセフィリオはオミの顔を覗き込んで笑う。
「・・・今更でも何でも、・・・恥かしくない方がおかしいと思います」
「そうかな・・・?」
じんわりと汗に濡れたオミの肌に、セフィリオはそっと唇を降ろす。
「・・ぁっ」
飢えている体は、セフィリオが何をくれるのか分かっているからか、いつもにもまして感度が高い。
思わず唇から零れ落ちた甲高い声に、オミは慌てて唇を押えた。
「・・・大声はマズイけど、そんな声なら聴かせてよ」
「・・・あ、ぅ・・・っ!」
唇を塞ぐ手を取って、両方の手袋を外す。
そのままオミの指先を口に含み舌で舐めてみれば、それだけでオミは肌を粟立てた。
「・・・オミ、欲しい?」
慣れた手つきでするするとオミの肌を露にしていきながら、汗に濡れる胸の飾りに唇を落とす。肌の上の走り抜ける刺激に、オミは思わず背を浮かせて声を上げた。
「ぁ、あっ・・!」
「・・・相変わらず、感度が良いね・・・」
普段のオミも相当感じやすいが、『気』を消耗して倒れた時のオミの身体は、恐いくらいに感じやすくなる。
普段なら誰でも無意識に張っている、外部からの接触に対しての壁がまるでないのだ。
月光の下で、殆ど抵抗もせずに裸体を晒したオミの肌は、まるでこの時の為に生まれてきたようにも思えた。
誰かの手に抱かれる為に。
性で言うならば、オミはセフィリオと同じ男だ。けれど、この身体は女性を抱く体ではない。抱かれる為に生まれ育てられたような、そんな色香を無意識にも漂わせている。
・・・それが、幼い頃のオミの境遇を知れば、頷けるものではあるとしても、やはり、オミの身体を最初に開いた相手が憎らしかった。
「・・・・フィ・・リオ・・・・?」
手の止まったセフィリオに焦れたのか、オミが瞳を潤ませて、こちらを見つめていた。
射貫かれる。この、強い光に。
「ん、ゴメン。・・・すぐにあげるよ」
セフィリオ自身、オミと出会うまでにもう何度も誰かと身体を重ねた。それが娼婦だった事もあれば、村の綺麗な娘だったこともある。
けれど、誰もこんなに・・・・。
「・・・ぁあ・・っ!」
その声で。姿態で。・・・濡れた瞳で。
「・・・オミ」
ここまで、煽られた事はない。
先を急ぐオミの身体に合わせて、すでに蜜を零し始めているそれに唇で触れた。同時に、オミの身体が逃げを打つように身悶えるが、腰を抱き寄せ逃がさないように固定する。
「やっ!・・・んっ、ぁあ・・・っ!!」
突然の強烈な刺激にオミは何度も首を振るが、その手はセフィリオの頭に触れていて、暗に止めて欲しくないと伝えている。
まだ十分育ちきっていないオミのそこは、セフィリオの舌と熱い咥内に、どくんどくんと熱く脈を打って、その解放を訴えていた。
「・・・一度出してしまおうか?」
ちゅ・・と音を立てて唇を離すと、オミは頷いて訴えてくる。
素直なその様子にセフィリオは小さく笑って、もう一度口に咥えた。
手を添えて扱き、先端を舌で突付いて解放に導いてやると、内股がぴんと張り詰める。耐えられない快感に、オミの背中が弓なりに浮いた。
「あ、ぁああ・・・っ・・!!」
一層甲高い嬌声を上げて力を無くし、ドサリとシーツに崩れ落ちる。
「ん・・・ぅ・・・」
荒い呼吸を繰り返すオミの薄く開いた唇に、セフィリオは斜めに口付け、乱暴に舌で割り込んだ。と同時に、先程オミが零した蜜を流し込む。
「んっう・・・!けほ・・・っ!!」
思わず飲み下してしまって、喉に流れるそれに噎せた。
「ひど・・・っ!」
「どうして?・・・自分の味は嫌い?」
その質問には答えずに、オミは顔を背ける。
意識は大分はっきりしてきたが、それでも身体は気だるいままだ。
このまま寝てしまいたいほど疲れきっているのに、どうにも身体の熱は冷める気配がない。
久し振りに感じるセフィリオの肌の匂いに、身体の奥が疼いて仕方がなかった。この熱を下げる方法は、一つだけ。
「セフィリオ・・・っ・・!」
飲み下しきれなかった雫を舐め取っていたセフィリオが、オミの声に、ゆっくりと顔を上げた。
「・・・・ん?」
優しく、労わるようなキスを降ろしてくれるけど、それじゃ足りない。
達した直後の身体は敏感で、そんなキスにも疼いてしまう。
アツイ・・・。
「・・ゃく・・・」
そんなのじゃ、足りない。
「早く・・・セフィリオ・・・っ」
「オミ・・・?」
伺うように伸ばされた手を握り返して、唇へと近付ける。
舌を伸ばして、指を口腔へと受け入れた。
「・・・ん、ぅ・・・」
セフィリオの細長い指でも、根元まで咥えるのは難しい。満遍なく濡れるように、舌を動かして舐めていく。
珍しく積極的なオミの様子に、セフィリオは思わず息を呑んだ。
もう何度も重ねた、慣れている行為のはずなのに、どこか稚拙な行為を、オミは延々と繰り返す。視覚的に煽られているのは、セフィリオの方だ。
「・・・もう、いいよ」
セフィリオのその言葉に、やっとオミが指を離す。
銀の糸を引いて離れていく指を、どこか名残惜しそうに眺める目が、さらに欲情を煽った。
「・・・んっ」
するすると肌を愛撫しながら、オミの唾液に濡れた指を、開いた足の間に滑らせる。
そこに触れた瞬間は、ぴくりと身体を強張らせるが、宥めるように唇を塞げば、心地良さそうに瞼を下ろした。
濡れた唇を挟むように塞いで、擦る。そのうち我慢できなくなったのか、唇を開いてオミの方から舌を覗かせた。
「ぁ・・・ふ・・」
小さく歯を立てて舌を噛むと同時に、濡れた指を体内に押し込む。
痛みはまだ無いはずだ。ただ、酷い異物感を感じるのか、逃げを打つ腰をセフィリオは引き寄せて腕の中で固定した。
「ぁ・・ぅあ・・・!」
体内で指が動く感覚に背筋を粟立てて、震える。
中を押し広げるかのようなその動きと、下肢から響く水音に、オミは顔を真っ赤に染めて、指の背を噛んで声を殺していた。
「オミ・・、力抜いて・・・」
「ん・・・っ・・!」
耳元で囁かれる、掠れた熱い声に、強張っていた身体の力がスッと抜ける。その瞬間を見逃さずに、今度は指の数を増やして、もっと奥まで入り込んできた。
「ぁ・・ああっ・・・!」
自分の意志とは違う何かが、目的を持って身体の中で蠢く感覚に、血が沸騰するかと思うくらい、身体の温度が上がったのがわかる。
無意識でその指を締め付けてしまいそうになるオミに、セフィリオは耳元から唇を滑らせて、汗の浮いた細い首筋に軽く歯を立てて噛み付いた。
と同時に、オミの柔らかい中で一箇所、微かに固い場所を指が擦る。
「あ、あ、ゃ・・っ・・・!!だ、だめ・・そこ、や・・・ぁっ!!」
「・・ダメ、止めない。もうちょっと我慢して?」
勿論、セフィリオはオミを煽るつもりで、そこを引っかいたのだ。
「あっ・・も、いい、からっ・・・!」
案の定、言葉を詰まらせながらも、オミは懇願する。
涙を浮かべた瞳にキスを一つ落として、セフィリオは指を引き抜く。
そのまま間髪いれずに、広げたオミの脚の間に身体を割り入れた。
「あぁあ・・・・っ!!」
止めそうになる息を、オミは必死で吐き出す。
何度抱かれても、この時の衝撃は慣れる事は出来ない。
指で広げて蕩けさせられたそこも、入り込んできた異物の大きさに固く口を閉じて締め付けてしまう。
「オミ・・っ、力、抜いて・・・?」
きついのは、セフィリオも一緒なのだ。
縋りつくようにセフィリオの首と背に腕を回して、何とか息を吐いた。
その呼吸に合わせるように、セフィリオが少しずつ進んでくる。
「・・・っん」
柔らかく唇を塞がれて、やっと全てが入りきったと分かった。
中に感じる、熱い体温。
それだけじゃない。
飢えていた身体に、染み渡っていくセフィリオの『気』。
「動いて・・・」
「・・・いいよ」
甘えるように舌を啄ばむと、セフィリオは笑って口付けを深くした。
***
二人とも、何も身に纏わずに裸のまま。
ただ薄いシーツに包まって、抱き合っていた。
『気』を与えて貰った直後は、いつも深い眠りに陥るオミだが、今日は、どうにかまだ起きていた。今にも睡魔に攫われてしまいそうな意識を何とか保ちながら、ぼんやりと・・・セフィリオに視線を向ける。
「・・・ん?」
視線に気付いたのか、セフィリオが首を傾げた。
「・・・ううん」
オミは小さく首を振って、何でもないと言うように笑って見せるが、気になる事が一つあるのだ。
普段抱かれた後は、いつまでもセフィリオに抱かれているような気分になるのだが、今日は少しおかしい。
身体の中に違う誰かの『気』が混ざっているようで、それが上手く馴染んでくれない。十のうちで言うなら、二ほどの割合でも、そこだけがはっきりと違うと逆に気になってしまうような。
「・・・セフィリオ・・・あの」
「・・・?」
あくまでも聞いた話だが、人の『気』は身体を重ねると微妙に変ってしまうらしい。
セフィリオのことを信じていない訳ではないが、元々貞操を守れと約束していた訳でもないのだ。
だからこそ、もし誰かとそういう関係になっていたとしても、オミには文句を言える資格はない。
「・・・どうして、僕なんですか?」
「は?・・突然どうしたの?」
けれど面と向かって言う事は出来なくて、口からは違う言葉が零れた。
オミが何かを不安がっているのは解るが、それが何かは理解できない。
セフィリオは、腕の中で素直に身体を預けてくるオミを見つめ返した。
「・・・だって。セフィリオは・・・その、色んな人から好かれてるみたいだし」
「・・何の事を言ってるんだ?」
「だって!城で・・・囲まれて、楽しそうにしてるから・・・」
「・・・?」
そう言われてみて、もしかしてと思う。
確かに、オミの城で滞在日数が長いと、それだけ親しくなる人も増えてくるものだ。自他共に認めるが、セフィリオは外面が非常に良い。
容姿も良くて人当たりも良い。さらにあのトランの英雄などと言われたら、ふらりとよろめかない少女や婦人達はいないだろう。
オミとの仲を知っていようが、彼女達にしてみたら、セフィリオはアイドル状態で、ただ話せるだけでも幸せなことらしい。
「もしかして・・・だから、俺を城から追い返した訳・・・?」
「・・・・・帰ってくれたら。トランでは、迂闊に遊べないでしょう?」
つまりは、オミはセフィリオが城で誰かを相手にしていると思っているらしい。全くもって無駄で理不尽な想像だが、そう言う原因がセフィリオ自身に無いと言い切れないことも事実。
「・・・あのな。すぐ傍にオミがいるのに、誰が誰を相手にしてるって?」
「・・・う。だ、だって!」
『気』が安定しなくて気になるんだと付け加えられたオミの言葉に、一瞬セフィリオの顔が強張った。
オミがそのことを問う前に、急に唇を塞がれ、深く口付けられる。
「んんっ・・ぅ・・ふぁ・・っ」
疲労度の濃いオミの身体では、腕を突っ張って止めさせようにも力が入らない。結局はそのまま、セフィリオが満足するまで貪られてしまった。
「・・・オミが、悪い訳じゃないけど。俺は許さないからね」
「・・・?」
髪を撫でるセフィリオの手の優しさと相変わって、その表情は真剣だ。
「この身体に、誰も触れさせるな。この瞳に、俺以外を映すな」
無理だとわかっていながら吐き出される言葉に、オミは息を飲む。
と、突然身体を抱き寄せられた。
肩口に埋められたセフィリオの唇が肌に触れて、そのくすぐったさに小さく身じろぐが、離すまいとしてか腕の拘束は強くなる。
「どうしてオミかって?・・・そんなの、俺にもわからない」
出会った時から、その姿にどきりとした。
「『運命』なんて言葉は、使いたくない。でも、この出会いだけは必然だったと思えるんだ」
抱きしめられていた腕が緩んで、ゆっくりとセフィリオが顔を上げた。
こつん、と額を触れさせて、囁く。
「あの時、出会っていたのが」
もしも。
「オミじゃなかったら」
今の自分はここにはいないだろうと。
全てを諦めた目線でしか、物を見る事が出来なかった自分。
それを変えてくれたのは、紛れもなく、オミとの出会い。
「不安になるようなことは、言わないで」
それが、オミの不安からくる言葉だとしても。
セフィリオの瞳には・・・いつもオミしか映っていない。
それだけは例えようの無い事実なのだから。
「俺が愛してるのは、オミだけだ」
欲しいと思うのも。抱きしめていたいと思うのも。
たった一人だけ。
「・・・セフィリオ」
小さくオミが息を飲んだ。
抱きしめていた身体を離して、ベッドに横たえる。
我慢など、出来るはずがない。
無理をさせる事を承知で、けれど今更もう、止まらない・・・。
ドキドキと早い、オミの胸の上に手の平を滑らせて。
「もしもオミじゃなかったら、こんなに人を愛せなかった」
胸の上にあるセフィリオの手の上に、オミが手を重ね、頷く。
窓の外ではぼんやりと、快晴の空が色を変え、白く染まり始めていた。
End