*どうかこの手を離さないで 1*
2004年3月28日発行コピー本/完売致しましたので掲載スタート★
戦場は全ての命の墓場。
そこではいつ誰が死のうと、何もおかしくない場所なのだから。
「・・・だから、ユエさんには戦って欲しくないんです」
戦場へ赴く時、リアは必ずそう言い残して微笑む。
守りたいと差し出したユエの手を、絶対に握り返さずに。
「これは、僕の戦いですから」
そう言って背を向けて歩いていくのだ。
前へと。
どうかこの手を離さないで 上
まだ外も薄暗く、朝日が昇るまでには早い時刻。
「おはようナナミちゃん・・・ぅわ!」
ユエと共に食堂に現われたリアに、ナナミは飛びついた。
「聞いたわよ!昨日、大丈夫??お姉ちゃん寝てて気付いてあげられなくてごめんね!」
床に押し倒す勢いで飛びつかれて、リアは苦笑するしかない。
昨夜、リアの部屋に刺客が入り込んだのだ。
リア自身も丸腰ではあったが体術で応戦し、小さな油断が生んだ隙は助けに飛び込んだユエに救われた。
リア自身は大した怪我もしていないし、リアを庇って怪我をしたユエの傷も、後々盾の紋章で治した。
結論から言えば、無事だったのではあるが・・・。
「でも!リアが襲われてるのにわたしったら・・・」
確かに、他の仲間達がバタバタと城内を走っていたのにも関わらず、ナナミは部屋から起き出しても来なかったのだ。
激しくなる戦況の中で、誰よりもリアを守ろうと戦うナナミだから、体力の消耗も激しいのだろう。
リアは小さく苦笑して、そして嬉しくて、力いっぱい抱きしめてくるナナミの背を撫でる。
「大丈夫。ね、僕なんともないし」
実際は長袖の下に包帯を巻いているのだが、大した傷じゃない。明日には直るだろうその程度の軽傷だ。
「本当?本当に?大丈夫ね??」
「本当だってば」
納得行かない様子で立ち上がるナナミ。
床に尻餅をついたままだったリアを、後ろに立っていたユエが抱えて立たせる。
「あ、ありがとうございます」
「いや・・・」
朝食にはまだ早い、早朝の食堂であるにもかかわらず、今日は嫌に人が多かった。
ナナミが先に場所を取ってくれていたお陰ですんなり座る事が出来たが、早く起きたつもりのリアでさえ、今日は遅い部類に入ってしまうのだろう。
「いよいよね」
暖かい朝食を摂りながら、ナナミが言う。
リア達には少し思い出が詰まった場所、グリンヒル。
今日はそこを取り戻す為に兵を上げる日なのだ。
「うん、急いで用意しないと。ナナミちゃん、僕が守るけど危ない事はしないでね?」
止めたのだが、今日もナナミはリアの護衛に回るというのだ。
危険であるからこそ諦めて城に残って欲しいのだが、ナナミは絶対に言う事を聞かない。
「何言ってるの。リアこそ危ない事しちゃだめよ?わたしが絶対守ってあげるけど、離れないでね」
「ナナミちゃん・・・」
昨日から何度も繰り返した押し問答だ。
そんな様子を横から見ていたユエは、少し寂しそうに笑う。
「いつも、こんなことを・・・?」
「・・・はい。何度言っても付いて来るって聞かなくて」
頷いて返すリアも、どこか辛そうな笑みだった。
戦場に連れて行くということは、同じくその者の命を背負うことと似ている。死ぬ為に行く場所ではないけれど、そうであってもおかしくない場所なのだから。
「リア、僕は」
「・・・ダメですよ。ユエさんには、ここを守ってもらわなくちゃ」
「・・・リア」
ユエの戦いは終わったのだ。三年前に南の国で。
だから今更戦いに巻き込む訳にはいかないと、リアは絶対にユエを戦場の場へ連れて出た事はない。
ユエとリアが背を合わせて戦う事があるとすれば、どうしても小隊で動かなくてはならない時だけ。それ以外で、ユエはリアの背を守った事はなかった。
「・・・じゃあ、僕らは行きます。ユエさんもお気をつけて」
今回リアに頼まれた事は、手薄になるこの城を守って欲しいとそれだけだった。
元々少ない手勢を二つに分けての戦になるから、当たり前だがこの城はがら空きとなる。そこを守って欲しいというのだ。
実際には王国軍にそんな余裕など生まれないだろう。
グリンヒルの南はトゥーリバー市。都市同盟の勢力範囲にある、種族の違いに囚われない良い街だ。今まではいがみ合っていたらしいが、この戦争が火種となり、そのわだかまりを溶かしてしまったというから、少々複雑でもあるが。
とは言え、街を守りたいと願う彼らは、喜んで都市同盟に参加してくれた。今回の作戦でも、彼らの兵を使わせてもらうという。
北はマチルダ騎士団の領内で、彼らはいまだ中立の立場を守っているらしい。が、騎士団の中の青騎士団と赤騎士団のほぼ半数が都市同盟に助力を差し出している。今マチルダのロックアックス城に残るのは白騎士団のみだが、中立の宣言通り、今彼らの脅威を感じる必要もない。
問題はミューズのある東の関所ただ一つ。そちらから送られて来るだろう王国軍の援軍を止めなければならない為、シュウは辛い決断ながらも少ない手勢を二つに分けることにしたのだ。
「リア」
「はい?」
席を立とうとしていたナナミとリアの二人は、ふと立ち止まる。
今は準備の為に急がなければならないのはよく分かっているが、ユエはここで引く気はなかった。
「僕も出る」
「だ・・・ダメです!ユエさんにはこの城を」
「リア」
「ここに残るのは戦えない人たちが殆どで・・・」
「・・・リア」
「だって・・・!」
「リア!」
耳を塞ぐような大声ではなかったけれど、その激の入った声にリアは肩を波打たせた。
ユエがこんな声を出す事は滅多にない。
ユエ自身驚かせるつもりは更々無かったのだけれど、物静かで有名なトランの英雄の珍しい怒声は、ざわついていた食堂を凍りつかせるまでの威力があった。
「・・・僕に、君を守る資格はないの?」
「ユエさん・・・?」
いつも無事で帰って来るまで、祈りに近い願いを込めて待つ。
それはある意味拷問だ。守りたい者さえこの手で守れない・・・待つことしか出来ない歯痒さが付きまとうのだから。
「ただ、君の帰りを待つだけなんて・・・もう僕には出来ない」
呆然と立ちつくすリアの横を、ユエはすり抜けていく。
ユエは今、リアの言葉を聞く気はなかった。この戦争にこれ以上関わるのは良くないと言うのは百も承知だ。けれど、今更引けと言われても引けない。
「守りたい・・・だから。譲れない」
差し出した手を握り返してくれないのなら、こちらから握るまでだ。
掴んだ手を、リアはきっと振り払いはしないだろう。
ユエは真っ直ぐその場所を目指す。・・・ただ、守る為に。
―――*―――
「作戦内容だが、確認も込めてもう一度伝えておこう。東のミューズから来ると予測される王国軍の援軍をグリンヒルの領内に入れないよう塞き止める。ここはハウザー将軍に任せる。こちらの作戦の援護はビクトール、フリックに」
「了解した」
「いいぜ」
「わかった」
準備を整えたメンバーがそろって大会議場に集まり、最後の作戦会議となった。
その場所にはリアは勿論のことビクトールやフリックなど、いつもの主力メンバーが顔を合わせている。
しかし、その場で唯一いつもと違うのは、黒い棍を従えたユエが外を眺めながら窓際にさりげなく立っていることだ。
リアはシュウの隣で全てを見渡せる位置に立っているから、勿論ユエの姿も見える。
もう止めても無駄なのだろうが、ユエの参戦をリアはいまだに賛成できないでいた。
ナナミの時も『危ないから』戦争に出ることは止めた。けれど、今リアがユエを戦場に立たせたくない理由は何かが違う。
「・・・キバ将軍、リドリー将軍にはグリンヒルの奪還をお願いしたい。恐らく・・・いや、きっと大変な戦いになるだろうが心して掛かってくれ。策はあちらの動きを見ながら俺が指揮を執る。・・・ところでリア殿」
「・・・あ、は、はい!」
シュウは話を聞いていなかったことに気付いているだろうが、あえて気付かないフリをして言葉を続ける。
「リア殿はどの将軍と出発なさるおつもりですか?それとも戦いには出ずに、ここに残って全体の指揮を執っていただくことも出来ますが」
リアがここに残れば、ユエもナナミも城を出ずに済むだろう。アップルと共に二つの進軍の様子を考察し、連絡と指示を出すだけならば。
けれど。
「僕はキバ将軍と共にミューズの奪還に向かいます」
リアが守りたい人を守ることだけが、軍主であるリアの選ぶ道ではない。
リアの選択に驚く者は大勢いたが、あえて誰もそれに口を出そうとはしなかった。
「・・・・よろしいのですか」
唯一、シュウが渋い顔をしたが、リアは頷く。
その時、近くに立っていたテレ―ズに向けてリアは微笑んだ。
「約束、したんです。テレ―ズさんに、必ず取り戻すから、と」
それはこの手で掴まなければ意味はない。
迷いの無い軍主の瞳に、シュウは頷いた。
「わかりました。では、マクドール殿」
そこで、ようやくユエが真っ直ぐこちらを向く。
会議に参加していた者たちの中で、この場所にトランの英雄が居たことに始めて気付き、驚いている者も数名いた。
「貴殿には我らが軍主の護衛をお願いしたい。よろしいかな」
「・・・ええ」
ユエはリアと目を合わせないまま、軍師に向けて頷き返す。
「では、以下指揮通りにお願いする。リア殿」
シュウに促され、リアは不安げな表情を一瞬で厳しい表情に変えた。
促され、外に待機する兵士達にバルコニーから顔を見せる。
「これより我らサークリッド軍は、グリンヒル市の奪還に向かいます。危険な戦いになると思いますが、自分の力を信じて・・・仲間の力を信じて、戦いましょう」
最後の一説だけは、リアは少し表情を緩めて話した。
軍主のその声と姿に、出発を今か今かと待ち侘びていた兵士達は表情を引き締める。
緊張に手が震えていた幾人かも、汗ばむ掌を握りしめ、上に持ち上げる。
その歓声は止まる事を知らず、木霊となって城中に響いた。
―――*―――
前方に青い旗がはためいている。
「見えました、王国軍です!」
斥候の一人が、本陣にいる軍主目掛けて叫ぶ。
グリンヒル市の南に、リア率いるサークリッド軍は陣を構えた。
グリンヒルの森は深い。軍隊を動かすとなると、どうしても身動きがとりにくい森で戦うことを避けるだろうとシュウは予測していた通り、王国軍は開けた南の入り口に固まって陣を敷いていた。
「見たところ、あちらの将軍は斥候の情報通りユーバーと呼ばれる男と、昨夜忍び込んだカラヤの娘のようです。ユーバーと呼ばれる男は恐らく・・・強敵になるでしょう。リドリー将軍、キバ将軍。心して掛かってくれ」
「はっ」
短い返事が聞こえて、リドリーとキバの乗った馬はリア達の本陣から離れていく。
それぞれ、自分が率いる隊の前に到着したと確認すると、王国軍も一つ隊を動かした。
「来ます!」
わぁああと叫び声が響き、馬の蹄が地を駈ける地響きも徐々に大きくなる。
「僕らも出ます!シュウさん、令を!」
「えぇ、リア殿が目指すのはカラヤの娘です。心して!」
「はい!」
リアは跨った馬の腹を蹴り、駆け出していく。
先陣を本隊が切るというのは、恐らく掟破りの戦法だろう。
始めて見る戦場でのリアの姿に、ユエも驚きを隠せないでいた。
初めの頃は馴れない騎馬戦に危なっかしい動きをしていたリアが、今では馬を巧みに操り、乗りこなしている。
「マクドールさん!わたしたちも出ます!」
ナナミに後方から叫ばれて、ユエも手綱を握る。
リアの後方の死角を守るようにして、離れすぎず、尚且つ近すぎることもない程度の位置を保つのだ。
王国軍の先方隊がこちらと衝突する寸前、リアは一度手綱を引いてスピードを緩めた。
ユエの走らせる馬に並ぶようにして、話す。
「ユエさん。ここまできて今更引けとはいいません。でも、僕は大丈夫だから・・・」
にこりと微笑んで、馬の腹を蹴る。
「ナナミをお願いします!」
リアがそう叫んだ瞬間、激しい打ち合いが始まった。
金属同士の甲高い激しい音。
馬が倒れる音や、落馬した兵の悲鳴。
かわし損ねた一撃を、身で受けてしまった苦悶の叫び。
数名かのパーティーを組んでの戦いが主だったユエにとっては三年ぶりの戦場だ。
忘れていた筈の騎乗での戦い方も、この場に立たされた今では、身体が自然に動いて敵を払い倒していた。
こういう時、棍と言う武器をユエに叩き込んだ師匠の顔が浮かぶ。何故父は剣でも弓でもなく、棍を息子に覚えさせたのか。
「ぐ・・・ッ!」
「怯むな!攻めろ!!」
怒声と叫び声、土埃に紛れて、次第に視界が悪くなる。
リアの姿を見失って、思わず叫ぶ。
「リア!」
敵味方の入り混じったこの状態では、もうリアが何処にいるのかも分からない。
ナナミは辛うじて見つけることが出来た。リア程ではないが、彼女も一般兵に比べて戦い方は上達している。
「マクドールさん!リアは?!」
幾人かの敵を払い倒して落馬させ、ユエに馬を寄せてきたナナミが尋ねた。血の繋がりは無いというが、この姉弟の絆にいつも驚かされる。・・・そして少し羨ましい。
お互いがお互いを守ろうと、自分の身を省みずに必死なのだ。
ユエは苦笑して、砂埃の舞い上がる先を見つめた。
「多分、まだ先だ」
意識を右手に向けると、大体だがリアの位置は特定できる。
「ナナミ、一つお願いがある」
「何ですか?」
「僕がリアを絶対に守る。だから、ナナミには、軍師殿の護衛を頼みたい」
後方で、何人もの兵に囲まれてはいるが、そろそろ敵軍とぶつかる位置にいるだろう。
ちらりと後を振り返って・・・少々納得のいかない顔をする。
が、ユエはにこりと笑う。
「全てとまではいかないけれど、敵兵を後に流す事はしない。こちらで出来るだけでも塞き止める。ここで軍師が倒れてしまったらこの軍を誰が指揮すると思う?」
ナナミは少し考えて、頷いた。
これ以上、リアの負担を増やす訳にはいかない。
「絶対、絶対守って下さいね!」
「わかった」
手綱を引いて踵を返すナナミを見送って、ユエは馬の速度を一気に速めた。途中、襲い掛かる王国兵をなぎ倒しながら、視界の悪い中ものともせず走り抜ける。
「いたぞ!深紅の服、軍主だ!!」
暗い色の広がる戦場の中で、赤は異様に目立つ。
敵兵の中には色で判断して襲い掛かってくる者もいたが、ユエにとって彼らは本気を出すまでの敵でもない。
すぐ傍まで近づいて、そこで初めて人違いだと気付いても、もう遅い。
軽やかに動く棍の餌食となって骨を折られ、満足に身動きが取れないまま、走り抜ける大群の馬に蹴り散らされる運命を辿るだろう。
深紅の服、色の違う布をなびかせたバンダナ。
そして、黒く長い棍。
「こいつ、トランの英雄か・・?!」
驚愕に怯えた声が聞こえた。
ユエが都市同盟に手を貸しているという事を噂か何かで耳にしていたのだろう。
その兵士の声に、リアが小さく、後へ視線を向ける。
「リア!前を!!」
ユエの叱咤に、慌てて左腕のトンファーを繰り出す。
鈍い音が響いて、間一髪、王国兵の繰り出した剣をトンファーが食い止める。
「・・・っ!」
「この・・・っ!」
力比べになれば、どうしても体重の軽いリアは不利だ。
正面からの剣を弾き返す前に、後から迫ってくる何本もの剣をどうしてもかわせない。
「リア」
優しい声が聞こえた。
戦場であるにも関わらず、殺されるかもしれないという不安が一瞬で消え去る。
「ぐ・・ッ!」
「ぅああ!!」
鈍く、そして何度も打つ音が聞こえ、リアは振り返らずとも何が起こったのか分かっていた。
「後ろは僕が守るから」
「でも、ナナミちゃんは・・?!」
「ナナミは軍師殿と後方にいる。・・・わかっているね?敵を後ろまで流さないで払い倒す」
「・・・はい」
納得いかない様子ではあったが、リアは強く頷いて敵兵の剣を払い、右で繰り出した追撃で馬から振り落とした。
敵兵はまず、必ずと言って良いほど軍主であるリアを狙おうとする。
だが、遠目に見れば赤い服が二人だ。標的は大きい方が騎馬戦である今は狙いやすい為か、攻撃はユエに集中した。
それは、ユエが初めから打算していた事だ。遠目から軍主を見分けるのは苦しいが、それが色で判断していたらどうなるだろう。
「ユエさん・・・!」
苦しそうなリアの声が聞こえるが、ユエはリアを守る為にこの場所にいるのだ。身代わりになれるなら喜んで盾になるつもりで。
「・・・つ、強過ぎる・・・・!」
「とてもじゃねぇが・・・敵う相手じゃねぇよ!」
先陣を駆け抜けて突っ切った頃には、王国軍の一隊は壊滅状態だった。殆どがリアとユエの戦い振りを見ての戦意喪失というのが情けないが、あちらにはまだまだ強敵の軍隊が残っている。
ユエとリアは本隊を引き連れ潰れてしまった王国軍をやり過ごし、馬を走らせたままグリンヒルの目と鼻の先まで辿り着く。
「リア!シュウから伝令!」
市の入り口を固める異国の兵にリア達が馬の手綱を引いた時、頭上から声が降ってきた。伝令係りとして参戦しているウィングボード達だ。
「チャコ?」
「そう、おいらだよ」
バサ・・・と羽を下ろして、リアの乗る馬の背に降りる。
「シュウさんは何て?」
「こっからは足の方が速いってさ。キバ将軍とリドリーのおっさんはあっちでユーバーって軍を何とか追いつめてるらしいし。残るはここにいるカラヤの戦士だけだから、グリンヒルの市内で戦う事になるだろうって」
つまりは、馬を降りて市内に入り込めと言うことだろう。
確かに、幾らグリンヒル市と言っても、何頭もの馬が大挙して入り込めばこちらの身動きが取れなくなる。
王国軍もそれを見越していたのか、元々馬には乗らないカラヤの戦士達を市内に配置していたのだろう。
「シュウさん!リア達、大丈夫かな?」
本隊の後方で、シュウの馬に近づいたナナミが声をかける。
接近戦は彼らカラヤの得意分野だ。けれど。
「・・・接近戦が得意なのは、何もあちらだけではない」
自信気にシュウが言った同時に、リアも口元に笑みを浮かべた。
「リア・・・?」
ユエの声には答えず、馬から降り、軽く足を伸ばす。
「ユエさん。僕、ユエさんに鍛えてもらったお陰で随分と強くなりました」
ユエも馬から降り、リアの近くへと足を進める。
「ユエさんは僕を守ってくれるって言いましたけど、僕は・・・」
トンファーを構えなおして、ユエに向き直る。
確かに、今の激戦を潜り抜けたにも関わらず、大した怪我はしていない。あちこち掠った後や切られた皮膚からは血が滲んでいるが、あれだけの攻撃の中を、この軽傷でくぐり抜けたのだ。
「僕は、ユエさんを守りたい。守ってもらえるのは嬉しいけど・・・大切な人は、やっぱり自分の手で守りたいんです」
だから、死と隣り合わせの戦場などに連れて来たくなかった。
そして、ユエを戦場に立たせたくない理由がもう一つ。
ユエは棍を握る右手を左手で庇うように覆っていた。
恐らくそれは無意識の行動なのだろうけれど、リアはその右手に視線を向け、少し困ったような表情で口を開いた。
「ユエさん、右手を庇って戦っていませんでしたか?」
「・・・!」
人の魂を食らうと言われるソウルイーターを宿している右手には、確かに脱力感を感じていた。徐々に増すその痺れは、戦争が混乱し、死傷者が増えることに比例している。
「僕は大丈夫ですから。お願いです、ユエさん・・・・」
チャコの伝達は行き届き、本陣を固める兵士たちは馬から降りて陣を敷きなおした。
「進め!」
後方から、激しいシュウの声が響く。
進み始めた兵を、リアは少し寂しい気持ちで眺め、ユエに向き直った。兵は皆前しか見ていない。そこに軍主がいるなど気付きもせず、進軍は進む。
「リ・・・!」
その雑踏の中、リアはユエの首に腕を回し背伸びした。
柔らかく、触れるだけのキスはすぐに離れてしまうけれど。
「僕を守る為に、傷付いたりしないで。僕だって、貴方を守りたい」
ぎゅっと、細い腕で抱きしめられて、ユエは言葉に詰まった。
リアの細い身体を抱きしめ返したくても、右腕が上がらない。
確かに、この場に溢れる彷徨える魂の数に、紋章が疼き出しているのは確かだけれど。
「・・・押さえ込む、自信はある」
「でも、僕はそんなユエさんを見ていられません」
大切な人が苦しいと、自分も苦しい。
「ユエさんは、僕が笑っていると嬉しいと言ってくれました」
大切な人が嬉しいと、自分も嬉しい。
「ユエさんが僕を守りたいと言ってくれた時、凄く嬉しかった」
けれど、リアは軍主だ。新都市同盟サークリッド軍の軍主だ。
「傍にいるナナミちゃん達、それに、大好きなユエさんを守れなくて軍主が勤まるでしょうか」
リアは包み、守ってやらないと壊れてしまうガラスではない。
打たれれば打たれるほど強さを見せる、鍛えられた鉄の様に。
強靭な心を持つ、強く優しい少年なのだから。
「絶対勝って戻ってきます。グリンヒルを取り戻して見せます」
「リア・・・」
そうじゃない。
ユエが望むのはそうではないと言いたかったけれど。
「リア・・・・・!」
小さな軍主の姿は、軍を進める兵に紛れてあっという間に見えなくなる。もう声は届かない。
どうして、自分から離れていく?
傍にいることさえ、許されないのか。
「僕は、君を・・・」
守りたいと思うことさえ、出来ないのか。
追いかけて追いかけて。
やっとの思いで掴んだ手は。
また 遠く 離れてしまう。
「リア」
守りたいんだ。
君を、この手で。
―――*―――
カラヤ族を押し退け、入り込んだグリンヒルの奥で、リアは荒い息をついていた。族長の娘ルシアは、昨夜のユエに負わされた傷が完治していなかったらしく、意外に簡単に両手を地面に付かせる事が出来たが、突然、キバとリドリーに攻められたユーバーが、軍を置いて一人、リアの前に立ちはだかった。
新たな敵かと身構えたが、一向に攻めてくる気配は無い。
「・・・忌々しい紋章めが」
聞き取れるか取れないかギリギリの囁き声で、リアの紋章を憎々しげに睨み、突然リアの目の前で魔界の門を開いた。
「な・・・んだ・・これ?!」
殆ど骨格しか残していないそれは、一見すると竜・・・ドラゴンに良く似ていた。
初めて見るその出で立ちに、リアは数歩、後ろに下がる。
恐らく、魔界のモンスターなのだろう。吹き付けてくる威圧が、こちらのそれとは明らかに違っていたから。
「一人で戦うつもりか・・・」
リアを侮蔑の瞳で見下し、嘲笑うようにユーバーはその場から消える。確かに、リア一人では勝算など何処にもない。
が、このまま背を向けて逃げたのでは、敵の新たなる標的が残されたグリンヒルの市民になるのは明らかだった。
森の奥から迂回し、先回りしていたテレ―ズ、シン、フリードなどが住民を学院に集めているとシュウは言っていた。
今この場で住民が被害に遭うことはないだろうが、リアに逃げる事は許されない。
取り戻すと約束したのだ。
たくさんの人たちと。
・・・ユエにも、必ず取り返してくると。
「僕は・・・負けられない!」
ふとした拍子に後ろへ下がりそうになる足を地面に縫い付け、リアは両腕に構えたトンファーをしっかりと握りなおした。
―――*―――
「王国軍の本隊が撤退?それはグリンヒルを捨てたという事か?」
確かに、今更グリンヒルを取り戻されたとして、彼らの損害はそう大きくないように見える。
それだけ、都市同盟の真中に位置するミューズを奪われたことは、同盟軍にとっては大きな打撃だということだ。
ミューズを取り戻す為にはまずグリンヒルから。
ミューズを攻めた時に、西のグリンヒルが敵に落ちたままだと、どうしても挟まれてしまう危険性があるからだ。
それにしても、王国軍の引きの良さに、シュウは首を傾げる。
馬を飛ばして、ミューズとの国境から戻ってきたフリックとビクトールに、シュウは考えを纏めつつ話を聞かせた。
「皇王率いる軍が出てきたとあって少々不安だったが、防衛は上手くいった。ここで食い下がらなかった相手も、何か思案があるのだろう。グリンヒルを絶対に落とせないと思っているか、もしくは・・・」
そこまで言って、シュウの表情が強張る。
「ビクトール!フリック!両名とも急いでグリンヒル市内に入れ!」
突然の大声に、二人は首を傾げながらも馬に跨る。
「突然・・・何が・・・?」
「もしかしたら、リア殿の命が危ない・・・・!」
丁度その時、グリンヒルにいるテレ―ズからの伝令を勤めているウィングボードが、シュウの前に降り立った。
「テレ―ズ様からの伝言をお伝えします」
「形式はいい!続きは?!」
「市内に、巨大なボーンドラゴンが出現とのこと。リア様はシン殿と共に苦戦を強いられているご様子。即刻援護を、と!」
シュウの読みは当たったのだ。そう言えば、昨夜からリアの周りが騒がしい。
「おい、急げ!」
「言われなくてもわかっている!!」
二人は思い切り馬の腹を蹴り上げ、速度を緩めないままグリンヒルを目指す。
途中、項垂れている数多くの王国兵が目に付いた。
亡骸が折り重なるように積るこの場所で、都市同盟の兵の姿があまり見当たらないのが気にかかった。
「・・・リアとユエ、か?」
そうだ。焦らずともリアの傍にはユエがいるではないか。
安堵の息をつきそうになった瞬間、先程の伝令が耳に蘇る。
リアはシンと共に戦っているらしい。
ユエの名前はそこに、出てこなかったのだ。
「・・・考えるのは止めだ!急ぐぞ」
荒い息を吐き続ける馬を更に急がせて、二人は草原を駈けた。
間に合う事を願いながら。
―――*―――
「っ・・・!」
掠って、この威力だ。
まともに食らったら、おそらく生きてはいられない。
本能的にそれを感じたリアとシンは、慎重に間合いを詰めながら戦っていたが、どうにも歯ごたえを感じない。
「たぁあ・・・ッ!」
大の大人を吹き飛ばす威力のあるリアの渾身の一撃も、ボーンドラゴンは大して苦痛にも感じていないようだった。
それに比べて、こちらは徐々に体力を失い、トンファーを握る手も微かに痺れている状態だ。
焦りは禁物だ。けれど、倒せるという策も何もない。
「どうしたら・・・」
不安は迷いを生んだ。
迷いは、隙を生む。
「リア殿!!」
シンの叫び声に、リアは慌てて身を翻すが、遅い。
相手の攻撃は物理的なものではない。業火の炎だったのだ。
「うわああああ!!!」
目の前が真っ赤に燃える。
視界を全て覆い尽くして、赤に染まる。
肌を焼く痛みを感じていながら、不思議と不安はなかった。
「・・・ど、して・・・?!」
炎が収まった後、リアの視界を包んでいたのは炎ではなかった。
「リア・・・無事?」
「ユエさん・・・!」
また、守られてしまった。悔やみきれず、唇を噛む。
「怪我は?」
先程の炎での火傷など平然として、ユエは尋ねてくる。けれど、どこかおかしい。向かい合っているはずなのに焦点が合わない。
「・・・マクドール殿。もしや、目が・・・?」
シンの呟きに、リアは愕然とした。
ユエは優しく微笑んでくれたけれど。
その深い碧の瞳に、光はなかった。
続
※2004年3月に発行したものをそのまま載せております。