*どうかこの手を離さないで 2*
2004年5月9日発行コピー本/完売致しましたので掲載スタート★
「ユエさん・・・!」
リアが驚きの声を上げるのは仕方がないことだろう。
視界いっぱいに広がった業火。
間に合わないと思った時、視界を埋め尽くすそれは安心できる紅の色に変わった。
「怪我は?」
体中に火傷を負いながらも、その声はリアの身を案じる気持ちに満ちている。
正面から向かい合っている筈なのに、どこか違和感を拭えずにいながら、リアは頷く。
リアのその疑問を打ち消すような言葉で、シンが呟いた。
「・・・マクドール殿。もしや、目が・・・?」
ガラスは割れてしまった。
決して、壊してしまわないように。
その身をかけて守ろうとした、リアの目の前で。
どうかこの手を離さないで 下
「くそ!どこにいるんだ!」
砂塵吹き荒れるグリンヒルの市内には、まだカヤラの戦士と王国兵がリアが率いていた部隊と交戦を繰り広げていた。
リア達の所に加勢に向かっていたフリックとビクトールだが、こうも数が多いと、辿り着くまでに一苦労だ。
どの兵士達よりも奥へ進入する事は出来たが、その速度は遅い。
恐らく、彼らはこちらの援軍を近づかせないようにと命を受けているのだろう。
狙われているのは、リアただ一人。
それは、単身で乗り込ませたこちらの浅はかさが原因だ。
リアが戦場に場慣れしてきたからこそ、生まれた油断。
グリンヒル内にリアが攻め込んでくることを予測した上での作戦に、まんまと掛かってしまったという訳だ。
「キリがねぇぜ!このままじゃ・・・」
襲い掛かる兵士は大した強さではないが、それよりもカラヤの戦士は侮れなかった。こちらには見慣れのない動きで撹乱してくる上に、スピードも並ではないのだ。
一刻でも早くリア達の元へ辿り着きたい二人としては、中々数を減らさない敵兵を相手しているうち、次第に気が急いてくる。
その時。
「・・・雑魚相手にだらしないな」
投げやりで、どこか小馬鹿にした様な声が頭上から聞こえた。
慌てて見上げると、そこには風の力で浮いているルックの姿が。
「ルック!」
「助かったぜ!」
二人の歓声に、ルックは大きく肩を竦めて見せるが、こちらに右手を伸ばして見せた。
「一気に片付けるから、精々怪我しないようにしておきなよ」
「おい・・っ!ちょっ・・・!」
フリックの制止の声も待たず、圧縮された風の刃が、凄まじいカマイタチとなってそこら一帯に吹き荒れる。
「うわぁああ!!」
「ルック!少しは加減しろ!俺らまで殺す気か?!」
運良く王国兵の影になって怪我もなかったビクトールが叫ぶが、ルックはそ知らぬ顔だ。
「・・・てて。全く、無茶なやり方を・・・」
こちらも珍しく、吹き飛ばされてきた木片に庇われて、大した怪我は無い。
苦笑気味に立ち上がるフリックは、やっと下に降りてきたルックに駆け寄った。
「ひとまず、助けてくれてありがとうな。ところで・・・」
言いかけたフリックの方も見ず、ルックは北の方を向いて少し顔を顰めた。何かを感じ取ったらしい。
「わかるよ。あの子達はもっと北」
「そうか!なら急いで行くとしよう」
物陰に隠しておいた馬に乗り込もうと、走り出したフリックの体は、突然ふわりと浮き上がった。
「なっ!?」
「お、おい・・・?」
運良く難を逃れ、襲い掛かってこようとしていた敵兵を蹴散らしていたビクトールも、急に足が地面から離れて驚く。
「・・・急いだ方がいいみたいだからね」
物音に集まってきた王国兵を、空から見下ろし、ルックはもう一度北を睨む。
こちらのものではない巨大な魔力と、紋章の力が感じ取れた。
そのうち、二つの真の紋章が、不安定な波動を出しているのが気にかかる。
「・・・多用すれば、どうなるかわかってる癖に」
ルックは、まだ煩く喚いているフリックとビクトールを無視したまま、口の中で小さく詠唱を行う。
「ま、待て!」
集まってきた王国兵がそう声を上げた時には、微かに血の匂いを運ぶ、柔らかな風のみが残った。
―――*―――
「う・・・そだ・・・」
声が、震えた。
炎から庇われた時の体勢で、地面に座り込んだままのリアは、恐る恐る眼前にいる相手の顔へ手を伸ばした。
頬に手が触れた時、少しだけだけれど、ユエの体が跳ねる。
触れているリアの手に自分の手を重ね、それが『リアの手』だと確信してから、ようやく少し微笑んだ。
「大丈夫・・・みたいだね」
そうやって、労わるような言葉はとても優しいものだけれど。
リア以上に、ユエの身体に刻まれた傷は酷いのだ。
ここに辿り着くまでにも何度も何度も庇われて、剣や槍などの刃物傷は、リアよりもユエの方が多い。
「なんで・・・っ!」
元々、ユエが負う傷ではなかったのだ。
全て、リアがその身をもって受ける傷であったのに。
光のない、ガラス玉のような瞳の中に、泣きそうな自分の姿が映り込んでいた。
今までなら、リアがこんな表情をすればすぐに、その腕で抱きしめてくれたのに。
見えていないのだ。何も。
「リア殿!」
シンの叫び声に、半ば無意識でユエの身体ごと横に飛ぶ。
今までリアとユエがいた地面は、ホーンドラゴンの巨大な鉤爪で深く抉られていた。
「・・・っ!」
「ユエさん!」
着地したと同時に、突然ユエが頽折れた。
火傷が思った以上に酷いのか、力なく地面に膝を付いてしまう。
魔法防御力がずば抜けて高いユエでさえ、この有様なのだ。
もし、庇うのが少しでも遅れ、リアが直撃を受けていたとしたら、それは間違いもなく致命傷となっていたに違いない。
「!」
崩れたユエを抱え起こそうとしたリアの身体を、突然、ユエは思い切り突き飛ばした。
その反動で、ユエ自身も後ろへ飛び退る。
「ユエさん・・・っ!」
リアが悲痛な声で名前を叫ぶが、ユエが何を言う暇もなく、ボーンドラゴンはユエに狙いを絞って、追撃を繰り返した。
ボーンドラゴンはどうやら、血の匂いに敏感らしい。
恐らくあの赤い目は、実際には何も見えていないのだろう。
空気の中に漂う、濃い血の匂いを嗅ぎ付けて狙い、襲うのだ。
今、一番血を多く流しているのは、ユエ。
後へ下がったユエの元へ、ボーンドラゴンは嬉々として襲い掛かる。
「マクドール殿!」
シンも加勢に出るが、打撃ではどうにも歯ごたえがない。
ユエは、何も見えていないながらも、ボーンドラゴンの殺気を感じ取り、その攻撃を軽やかにかわしていく。
流れ出した血が多いのか、足取りは普段よりも重いが、目を閉じたままの攻防戦は、見ていて圧倒された。
ユエは、強いのだ。
庇って戦わなければならない相手がいなければ、もっと。
「でも、僕は・・・っ!」
それでも、守りたかった。
傷ひとつから。血の一滴たりとも流すことのない様に、この手で守りたかったのに。
強く、拳を握り締める。
何も出来ない自分が、歯痒くて悔しい。
リーダーなのに。
軍主なのに。
守られてばかりで、どうする。
力が、欲しかった。
全てを、守れる力が欲しい。
「・・・?」
土を握り締めた右手が、ふと焼けるように熱く感じた。
手袋を外して、その輝きを遮る布を取り払う。
「な、なんだ?!」
シンの驚いた声にリアは慌てて顔を上げると、ほんのすぐ傍に巨大な鉤爪が迫っていた。
ユエを狙っていたはずのボーンドラゴンは、明らかに何かを恐れるように咆哮を上げ、標的をリアに変えたのだ。
「リア殿!」
身構えてもいない。立ち上がってさえ。
トンファーは、先程ユエに突き飛ばされた場所に転がったままだ。
「っ!」
無意識に、リアは右手を差し伸べた。
光が、溢れる。
「うわっ?な、なんだ?!」
浮遊感が途切れ、地面の固さを足の裏で感じ取ってから、硬く瞑っていた瞼を恐る恐る開いてみれば、そこは淡い緑色の光で覆われていた。
眩しい光に視界を奪われながらも、その暖かな光に、身体の疲労や、先の戦いで付いた傷が癒えていくのがわかる。
「リア・・・なのか?!」
こんな巨大な癒しの力、盾の紋章以外ではありえない。
ビクトールの声に何の反応もないが、確かにリアの紋章の力だ。
暖かく、そして鮮烈な光。
「・・・使うなって言ったのに」
どこか苦しげな表情でそう言ったのはルックだが、その呟きの声は小さ過ぎて、この場にいる誰にも届かなかった。
「ど、どうなったんだ・・・?」
次第に光は収まり、集束してリアを中心に消えていく。
「・・・・これは」
駆け寄ったフリックは、地面に膝をついたまま、肩で息を繰り返すリアの身体を、そっと支えてやる。
万が一の時のために、剣は抜き身のままだ。
苦し気な息を繰り返すリアの前で、苦悶の咆哮を上げながら、のた打ち回るのはボーンドラゴン。
「『盾の紋章』は属性とすれば、『破魔』と同じ『聖』に近いからね。勿論・・・」
ボーンドラゴンの巨大な体を、リアの前から一陣の風で吹き飛ばしてしまいながら、ルックが言葉を続ける。
「僕の『風』も、『聖』属性の中に入るんだけど」
打撃では全く歯が立たなかった相手が、魔法では簡単に吹き飛ばされてしまう姿を見て、シンは息を呑んだ。
誰よりも強くあれと剣技を磨いたが、敵にも得手不得手と言うものがあるらしい。
ボーンドラゴンはそれでも、折れかけた骨の体をなんとか起こして、なお襲い掛かってこようとする。
カタカタと不気味な音をさせて、飛ばされてぶつかり、崩壊した家屋の残骸を振りまきながら、劈くような悲鳴を上げた。
その姿を視界の端で捕らえて、やっと自分を支えてくれているのがフリックだとわかると、リアは訴えるように口を開く。
「僕は・・っ!」
なんとか、苦しい中でも声を絞り出して、言葉を続ける。
「僕は大丈夫だから!ユエさんを・・・っ!!」
泣き叫ぶようなその声には、ビクトールが反応した。
耳障りな叫声を上げる巨大な敵を尻目に、ユエの姿を探す。
「ユエ!」
見つけた。
けれど、様子がおかしい。
飛び散る木片や瓦礫に、顔を覆わなければ前も見えないというのに、視界を守ろうとする事さえしないのだ。
「何ぼうっと突っ立ってんだ?!走れ!」
ユエがいたのは、ボーンドラゴンが崩した家のすぐ隣だ。
ボロボロと崩れていく瓦礫の中で、庇うことも避ける事もしないまま立ち尽くすユエの姿に、ビクトールは声を張り上げる。
「ビクトールさん・・!」
「リア!まだ動くな!」
後で、身を乗り出して叫ぶリアの方を振り返り、ビクトールは首を傾げる。
リアはよろめきながらも、フリックの制止を無視して立ち上がり、ビクトールに向かって叫んだ。
「ユエさんの目は・・!」
その一言で、ビクトールは踵を返し、走り出した。
今はまだ、市内のあちこちで戦いが続き、いくつもの轟音が鳴り響いているのだ。
そして、あの場所にいたなら、崩れる音の真っ只中だ。
目が見えていないなら、動けなかったユエの行動に納得がいく。
どちらに逃げれば良いのか、音だけでは判断できないだろう。
「この声も、邪魔だったわけだ」
ルックの連発風魔法に、のた打ち回るボーンドラゴン。
その空気を切り裂くような声は、脳を直接揺らされているような感覚に囚われてしまい、方向やバランスを取りにくいのだ。
戦ってさえいなければ、耳を塞いでしまいたいほどの叫声。
「こっちだ!」
「・・・ビクトール?」
間一髪で腕を引かれて逃げた後、ユエが立っていたその場所は、崩れ落ちた瓦礫の山と化していた。
腕を引かれたままで、何とか傍まで戻ってきたユエに、リアが、ぶつかるように抱きついた。
リア自身もまだ少し、立っているだけでも辛いらしい。
ぶつかってきた小さな身体を抱きとめて、確認のように問う。
「・・リア?」
「はい・・・っ」
ユエの身体についた傷跡は、先程の紋章の光で大方血は止まっていたけれど、また大きな傷が腕に残っている。
先程の瓦礫で傷付けたのだろう。
打撲と、抉ったような傷が重なった腕は、少々直視出来るものではなかった。
「・・・駄目だ」
右手を、傷口に当てたのがわかったのか、ユエはそっとリアの手を握り、制止する。
「でも!こんな酷い傷・・・っ!」
「大丈夫だから」
するりと、自分のバンダナを解いて、勢い良く血の流れる左腕にきつく巻きつけた。
幾重にも巻きつけた筈なのに、すぐに血が滲み出してくる。
「リア」
向き合っているのに、自分を写してくれない瞳は、ただ空虚だ。
けれど、リアの表情をなぞるように触れる手。
「僕は、平気だから・・・」
その、手の暖かさに、思わず泣きそうになる。
と、それを感じ取ったのか、暖かい右手が、目尻をそっと拭った。
「・・・そろそろ、いい?」
呆れ返った声に、リアは慌ててそちらを向く。
近くにいないと思ったら、シンを筆頭にフリック、ビクトールは、いまだ暴れるボーンドラゴン相手に、必死で戦っているらしい。
ルックは二人の傍にいたが、そこから風の紋章で援護をしているようだった。
「うん、大丈夫。僕はまだ、戦えるよ」
拾っておいたのか、ルックが差し出してくれたトンファーを受け取りながら、リアは頷く。
それが精一杯の強がりであることは、目の見えているルックにはお見通しだ。
止めようと、何かを言いかけたルックに、リアが小さく合図を送った。
唇に人差し指を当てて、片目を閉じる。
「・・・わかった」
せめて、何も出来ないのなら。
心配をかけまいとして強がる。
「・・・全く、そっくりだよね君達は」
「・・・?」
ユエの顔に疑問が浮かぶが、ルックは首を振る。けれど、目が見えていない事を思い出して、口を開いた。
「なんでもない」
そのルックの言葉に、リアは脂汗の浮かぶ顔で、少し笑みを零し頷いた。
―――*―――
「シュウ兄さん!」
「アップル?どうかしたのか?」
ほぼ無傷の状態のまま、ミューズ市からの王国軍の直属援軍部隊を阻止しきったハウザーの軍と合流できたシュウは、息せき切って走り寄るアップルの姿に、眉間の皺を数本増やした。
アップルは、本拠地クリスタニア城で、今回の二軍を纏める伝令として残っていたはずなのだ。
それなのに、血相を変えて飛んできたと言う事は、それなりに急がなければならない事体に陥ったという事だろう。
「城に、フィッチャ―からの伝令が入ったのですけど、それが・・・!」
続けてもたらされた報告に、シュウは大きく頭を抱えた。
作戦成功の喜びに浸っていた兵士達も、シュウとアップル、それにその場にいたハウザー達の深刻そうな雰囲気に、言葉少なげになっていく。
確かに、妙な戦いだったのだ。
あちらも、グリンヒル奪還を阻止しようとはしていたようだったが、明らかに、それは全力で守ろうという雰囲気ではなかった。
ジョウイ率いる直属軍に打ち勝ったと喜んでいた兵士達も、王国兵の引きの良さに、何処となく不安を感じてはいたようだ。
見守るような兵士達の中央で、シュウは頭を抱えたままで、大きく溜息を付いた。
「・・・グリンヒル市を、リア殿を狙う為の囮にしただけにはおさまらず、我ら都市同盟軍全てを、騎士団を落とす囮にした・・・ということなのか?」
撤退したと見せかけた王国軍は、その直属軍全てで進行方向を変え、そのままマチルダ騎士団の領内へ攻め込んだらしい。
今まで中立と言いながら、暢気に高みの見物をしていた彼等も、突然矛先が自分たちに向けば、慌てる事しか能は無かった様だ。
圧倒的な強さと権力を見せつけられた騎士団長・ゴルドーは、それでも傲慢な態度を崩そうとはせず、身勝手な和解を申し入れ、それをジョウイは受け入れたと言うのだ。
それは、自治権は騎士団に残したまま、ただハイランドの傘下に加わる、という条件下での和解。
国としての利益は得られないが、王国軍はここでまたしても、戦わずして巨大な兵力を手に入れたと言う事になる。
「・・・・読みが浅すぎたな。全て、この敗因は私の責任だ」
「シュウ兄さん・・・そんな・・・!敗因なんて」
「そうですとも!まだ、負けたわけではないのですから」
ハウザーとアップルにそう言われても、シュウは首を振る。
「・・いや、それでも」
グリンヒルを取り戻すのも、もう時間の問題だと、テレーズとの伝令のやり取りでわかってはいたが、リアの無事が確認できたわけではない。
「シュウさん・・・」
負傷した兵の手当てを、ホウアンとトウタを手伝いながらやっていたナナミが、俯きがちに訊いてきた。
「リア、大丈夫だよね・・・?」
守る為に付いてきたのに、また置いて行かれてしまった心中は、とても苦しいものだろう。
けれど、ナナミもわかってはいた。
リアがてこずる相手に対して、自分が何かを出来る訳がないということは。
ただ、襲いかかる攻撃からの壁になり、守ってやる事は出来ても、それをリアは悲しむだろう。
自分のために誰かが傷つくのを、リアは心を痛めて悲しむから。
「ナナミ殿は・・・待てますか?」
「え?」
突然、逆に質問を返されて、ナナミは驚く。
「ナナミ殿は、リア殿の無事な帰りを、待てますか?」
それは、『信じているか』と聞かれているのと同じ事。
リアの強さは、信じられる。
弱い所もあるけれど。
思わず、守ってあげたくなるけれど。
リアは、強いのだ。
その、優しさ故に、誰よりも。
「はい、自慢の弟ですから!」
沈んでいた表情はどこへやら。
何かを振り切ったようで、その笑顔は晴れ晴れと明るい。
「そうですか」
そのナナミの笑顔に、シュウも笑みを漏らす。
いつまでも、失敗に沈んでいる訳には行かないのだ。
「では、私も信じましょう。リア殿は必ずグリンヒルを奪還し、無事戻ってくると。・・・私はその全てを見越して、我々サークリッド軍の『これから』を考えておく事にします」
このグリンヒルを取り戻しても、それは戦争の終わりではない。
まだまだ、戦いは続くのだ。
その時。
「あ、れは・・・?!」
グリンヒル市の上空が、突如、眩しく光った。
―――*―――
「・・・しぶといな、こいつ・・!」
あと少しなのはわかっているが、どうにも、暴れる事を止めない敵に、こちらの疲労度だけが増している気がする。
「おい、どうにかならねぇのかよ」
「偉そうな口を利くなビクトール。あるにはあるが・・・」
闇の紋章の化身であるという星辰剣は、その厳つい顔を更に強張らせて、口篭もる。
そこへ走りよってきたのは、トンファーを構えたリアだ。
「・・・この紋章でしょう?」
「リア!」
ルックの厳しい声が後から響くが、リアは首を振る。
「大丈夫だよルック。これぐらいじゃ僕は・・・」
話の見えないビクトール達は、お互いに顔を見合わせる。
と、リアが掲げた右手に、誰かの手がそっと触れた。
「ユエさん・・・?!」
見えていない筈なのに、真っ直ぐリアの手を握ったことにも驚いたが、リアの意図していたことがどうしてわかったのか。
「・・・目が見えないからこそ、見えるものもある」
優しく頷いて、ふと、ボーンドラゴンの方に顔を向けた。
「魂を・・・喰らっているんだ」
「え・・・?」
つまりは、ソウルイーターと同じ属性を持つ生き物なのだ。
この戦いで肉体を離れてしまった、幾つもの魂。
ソウルイーターに引き寄せられ、グリンヒルに集まっていたその全てを、ボーンドラゴンは喰らっているらしい。
「まさか、こいつ・・!それで体力を回復していやがるのか?!」
ビクトールの叫びに似た声に、星辰剣は答える。
「こやつには雷、闇、火は効かん。風は効くが、効果は薄い」
だから、ビクトールが幾ら攻撃しても、フリックが雷を発生させても、けろりとした顔をしていたのだろう。
「倒さなきゃいけない。でも、倒せるのは・・・」
リアしか、いないのだ。
「・・・・・」
リアの決意が揺るがない事を読み取ったのか、ユエが頷く。
後から、右手を重ね合わせたまま、高く、上へ。
お互いに重ねた合った手を、強く、握る。
「大丈夫・・・」
決して、離さないから。
「どうか・・・」
この手が離れる事の無いように。
いつでも傍に。触れ合える、場所で。
「・・・離さないで」
―――*―――
その様子を、上空から見ていた男が、低く呟いた。
「まだ・・・力が足りぬか」
全身を黒で覆い、微かに見える瞳も酷く冷たい色を宿している。
ふと、地上にいる少年と目が合った。
何の色も宿していない、その瞳に、小さく笑みを浮かべる。
彼とはまた、いずれ会うだろう。そんな気がした。
「真の紋章を受け継ぐ者よ。・・・戦いの炎を消すのはた易くないぞ」
溢れる光を忌々しげに見つめ、踵を返すように、宙に消える。
男の名前は『ユーバー』という。
それはまだ、ルックも知らない事。
―――*―――
「リア!」
「ナナミちゃん」
飛びついてきた姉を嬉しそうに抱きとめて、リアは笑う。
取り戻したのだ、ついに、グリンヒルを!
ボーンドラゴンが倒れた後、あんなにいた王国兵たちは、クモの子を散らすように逃げ去って行った。
リアが率いていた部隊で追撃はしたが、どうやって身を隠したのか、逃げ足だけは妙に速い。
こちらも深追いはせず、一度全ての部隊を市内に集めた。
今夜一晩はここで身体を休め、明日の朝からはトゥーリバーを通り、本拠地の城までの帰還が始まる。
その道のりは少々遠くて、これだけの人数での大移動となると、やはりその疲労度も並じゃない。
この緊急時に、テレーズは学園内の部屋を兵士達に解放してくれ、全ての机は、学生達の機転でそれぞれベッドと化していた。
その中で、リアもそろそろ休もうと準備をしていると、ふと後ろから呼ばれた。
「なに?ルック・・・どうかした?」
「いいから、来て」
自分の周りのものも持ってくるように言われ、訳がわからないままリアはその後を付いていく。
グリンヒル市内にある学園の隠し通路からは、深い森へ続いていた。何度か抜けた事があるから迷う事は無いが、それでも、夜の森はしんとし過ぎて、少し怖い。
「え?なんで・・・?!」
連れて来られた場所で、どうしてその人が目の前にいるのか、リアは声を上げた。
ユエは、身体の傷と目の治療の為、ホウアンの部屋にいた筈だ。
それなのに何故、この場にいるのだろうか。
「リア・・・?」
リアの叫び声を聞き取ったのか、目の上に包帯の巻かれたユエはこちらを向いた。
暗闇でも、月の光を受けて光るその包帯の白さに、苦しくなる。
顔を歪めたリアには気付かず、ユエは、そっと右手を差し出した。
いつもの、ユエの仕草だ。
優しげな光を映す、深い湖畔のような碧色の目は、見えないけれど。
微笑んで、一言。
「おいで」
その声には、どうあがいても勝てそうにない。
触れられたら、気付かれるだろうけれど。
差し出された手を、そっと握り返す。
「体調が悪いのに隠そうとするから」
呆れたように言うルックは、何処からかロッドを取り出した。
「ルック?」
「先に帰ってなよ」
「そんな!皆はまだ」
「僕たちも後から戻る」
「でもっ!僕より傷が酷い人は、たくさんいるのに・・・っ」
リアの言葉が終らないうちに、もう無視を決め込んだのかルックが詠唱を始めた。
このまま、ここに残ると言うのなら、リアはまた紋章の力を解放しようとするだろう。
残された多くの負傷兵のために、また自分の命を削って。
「・・・リア」
「!」
グリンヒルに残ろうと、身じろぐリアの身体を、ユエの腕が抱きしめた。
布越しでも伝わってくる、その高い体温。
体中に受けた傷と、二度も大きく発動させてしまった紋章の反動には、どうやら身体が付いていけなかったらしい。
「・・・逃げてしまわないで」
この腕の中から。
まさか、ユエがそんな言葉を口にするとは思っていなかったリアは、驚きに動きを止める。
「・・・また、後で」
ルックの声が微かに聞こえたけれど、リアには何を言われたのか聞こえなかった。
自分の大き過ぎる鼓動が、全てを掻き消してしまったから。
真っ赤になっているだろう顔は見られないように俯くが、どうせ、今のユエには見えていない。
その後、空気が圧縮されて、不思議な浮遊感に包まれた。
―――*―――
いつものあのふわりとした浮遊感。その後、すとんと身体が落ちた。
「・・・あれ・・?」
城に戻ったとばっかり思っていたリアは、その場所に驚いて声を上げる。
ルックだからこそ出来た移動距離だろう。
グラスランドの北部から、こんな南の街まで飛ばせるとは。
「・・・グレッグミンスター?」
「そう、です。ユエさんのお家の前・・・」
風に乗る懐かしい香りに気が付いたのか、ユエがそう尋ねる。
目が見えていなくてもほぼ不自由は無いらしく、リアの言葉でユエは足を進めた。
迷わずに真っ直ぐ歩いて扉の前に立ち、リアを呼ぶ。
「おいで、リア。身体を・・・休めなければ」
呼ばれて、慌ててその姿を追う。
戦いが終ったばかりの戦場を黙って出てきてしまった後悔と心苦しさは大きいが、嬉しくない筈がない。
二人きりなど、久し振りの事だから。
リアが駆け寄り、ユエの腕にそっと触れると、その扉を開く。
「・・・すごい」
入った事が無い訳ではないけれど。
やはり、マクドール邸は、リアの感覚で言うならお城のように感じる。
ユエ以外誰もいないはずなのに、埃一つ落ちていない床は、キラキラと輝いていて。
「・・・レパントのお陰だろうね」
ユエがこの家を離れている間、誰もいなくなってしまったマクドール邸を管理しているのは、大統領であるレパントその人なのだ。
グレミオがいなくなり、クレオもパーンも、最初はこの家に残る気だったようだが、赤月帝国崩壊と共に姿を消したユエを、一度は追って来た。その時のユエの雰囲気から、人と関わる事を避けていることがわかったらしい。
彼等の家を取り上げた訳ではないが、二人とも、黙ってこの家を出て行ってくれた。
それから三年の月日が経ち、ユエも紋章を抑えるコツをようやく掴んでいる。
今なら同じ屋根の下に住んでもそう危険は無いだろうが、その間にクレオは嫁に、パーンは武者修行の旅に出て行ってしまっていた。
今、屋敷に残るのはユエと、リアが贈った小さな子猫の琥珀のみ。
ユエの帰宅を感じ取ったのか、奥から、小さな足音が響いてくる。
「琥珀・・?」
足元に纏わりつく生き物を、確かめながらそっと抱き上げ、ユエは小さくキスを贈った。
その仕草がとても優しくて、リアはまた、泣きそうになる。
子猫は、ユエの瞳が見えないことが不安なのか、小さく講義の声を上げた。
「・・・・・」
こんな、優しい人から、光を奪ってしまったのだ。
確かに、今回の戦いでユエがいなければ、リアは無事のままここに立っていることはなかっただろう。
でも。
ユエの光を奪うことは無かった筈だ。
「・・・リア?」
廊下の先から、声が聞こえた。
近くに気配を感じなくなったのか、リアを探すような声が耳に響く。
「ごめ・・・なさい・・っ!」
今まで我慢していた感情が、一気に溢れ出した。
泣いてはいけないと、何度も、何度も堪えたのに。
この家の中は、ただユエでいっぱいなのだ。
我慢する事を忘れてしまう。
全てを、ぶちまけてしまいたくなる。
「リア?」
「もう、見えないんですか・・・?その瞳で、僕を見てくれることはないんですか・・っ?」
ぼろぼろと零れる涙は、止まらない。
包帯だらけのユエの姿に、息苦しさは消えてくれない。
「僕、ユエさんを傷つける気なんてなかったのに・・・っ!自分自身さえ、守れなくて・・・っ!僕、本当に、弱くて・・・っ」
あの、頑なまでにユエが参戦することを拒んだ理由はこれだったのだ。
ユエは、リアを守る為なら何でもするだろう。
例えそれで自分が傷付いてしまうとしても、何も厭わずに、リアの前に壁となって、その身体で守ってくれるだろう。
それが分かっていたからこそ、ユエを、自分と同じ場所に立たせるのは断固として拒否したのだ。
「・・・リア」
息を詰まらせて泣くリアの身体を、確かめるようにそっと触れながら、ユエはその小さな身体に腕を回して抱きしめた。
急に、地面に降ろされてしまった子猫は、ユエに甘えて足元に縋りつく。
「リアが泣く事はない」
壊れた蛇口の様に、涙を止める事を忘れたリアの目元に指で触れ、唇でそっと拭う。
「僕は少しでもリアの役に立てたことが・・・嬉しい」
だから、リアが泣く事は無いのだと。
その身に負った傷全て、ユエ自身の心からの行動の結果なのだ。
「もし・・・僕が君を守っていなければ」
腕の中の、この暖かな存在を。
「僕は一生、失っていたかもしれないんだ」
「!」
その大切な人を守れたのだから、何の後悔もしていないとユエは言う。
「ただ・・・」
腕の中で小さく動くリアの頬に手を滑らせ、そっと指で唇をなぞる。喘ぐように小さく開いたその一瞬に、今度は自分の唇で柔らかく塞いだ。
「ん・・・っ!」
突然のキスに、リアは息を詰まらせる。
けれど、リアが落ち着くように、優しく労わるようなそのキスに、強張っていた体も少しずつその緊張をといていく。
ぽろぽろと零れていた涙は何時の間にか途切れ、最後に一滴。
「・・・ユエ・・さん」
瞼を閉じたと同時に、大きな一滴が、添えていたユエの手の甲に零れ落ちた。
その涙の後を拭うように指を動かして、ユエは微笑む。
「熱、また上がったみたいだね・・・早く休まないと」
離れていくユエの腕。
振り返るようにして、話し掛けてくる声。
追いかけて、縋りつく。
「大丈夫ですから・・・あの・・・っ」
駄目だ。
皆が、怪我を負って頑張っている時に、自分だけ・・・なんて。
「リア・・・」
溜息混じりの声が頭上から聞こえ、リアは固く目を瞑る。
やっぱり、言わなければよかった。
呆れられてしまうかもと思ってはいたけれど、どうしてもこのまま離れてしまうのは嫌だった。
「ダメ・・・ですよね、こんな時に・・。ユエさんだって傷、酷いのに」
泣き笑いのような顔になってしまったけれど、どうせ今ユエには見えていない。
名残惜しくも、掴んでいた服を離して、リアは二階階段を、ユエより一段上に上る。
「気をつけて下さいね」
ユエの手を自分の手に握らせて、一段一段、ゆっくりと上がっていく。その手を払わずに、握り返してくれる事だけで、嬉しかった。
見慣れた部屋の扉を開けて、相変わらず、最低限しか物がない殺風景なユエの部屋へ入る。
部屋の中へ導いて、椅子を探すが少し遠かった。
仕方なく、部屋の端にあるベッドへと連れて行く。
「着替え、すぐ用意しますね。勝手に・・・出していいですか?」
リアの言葉に頷いて返し、少し笑みを深めた言葉が返ってきた。
「リアも使うと良い」
「あ、はい!ありがとうございます」
身の汚れは、傷の手当てをする前に、学園のお風呂を借りて清めてはいたが、どうにも着替えなどは無かったので、破れかけた自分の胴着を身に着けていた。
流石に、ユエの部屋でそのままの格好で眠る訳にはいかないので少し困っていたのだが、ユエには、リアの心配などお見通しらしい。
着替えるのに比較的簡単そうな服を見繕って、ユエに差し出す。
「あ、の・・・」
「・・・大丈夫、自分で出来るよ」
「・・はい」
またも、言いかけたリアの言葉に、ユエが返してくれる。
リアの表情が見えてなくても、的確に返事してくれるユエに、何処となく恥かしく感じた。
俯いて、自分も着替えようと帯を緩めた時、ふと、ユエがリアを呼ぶ声が聞こえた。
「・・・それとも、着替えさせてくれる・・・?」
「え・・・?!」
まさか、そんなことを言われるなんて思わなくて、外した帯を思わず落としてしまう。
ユエはまだベッドに腰掛けたままだった。
「リア?」
返事の無いリアに、ユエは再度声をかけてくる。
「・・・は、はいっ!」
驚いたまま返事を返したので、少し声が裏返ってしまった。
ユエ自身も、着替えなどない戦場だったので、あの時のままの服装だ。所々破れていて、その下は白い包帯が巻いてある。
「・・・脱が・・・せて、いいですか・・・?」
首まで真っ赤に染めながら、リアは、小さい声で尋ねた。
くすくすと笑うユエに、リアの鼓動は更に早くなる。
包帯を巻いた下から、本当は見えているんじゃないかと思うほど、正確にリアの位置に向けて、手を伸ばしてくるのだ。
「・・・うん、脱がせて」
さらりと髪を撫でられて、同時に、引き寄せられて。
「・・!」
突然、ベッドに座ったユエの両足の間に引き寄せ抱き込まれて、リアは驚きに目を見開く。
「・・・見えないから、いつもと勝手が違うかも知れないけれど」
確かめるように指でリアの頬に触れ、小さく、キスを落とす。
「・・・確かめて、良いかな」
ユエが何を言いたいのか、大まかには理解できても、リアは言葉が口から出ない。
先程、そういう気になってしまって、呼び止めてしまったけれど。
ユエは、呆れたように溜息を付いたのに・・・?
「・・今のリアの身体じゃ、無理をさせることになると思う。それでも・・・」
ユエも、リアを欲しい気持ちを押し込んでいたのだ。
押さえ込んで、リアに気付かれないように、それなのに。
「・・・確かめたい」
リアの暖かさ。
この腕の中で『生きている』という、確かな証拠が欲しかった。
「・・・ユエさん」
リアも腕を伸ばして、ユエの首にしがみ付く。
首筋を撫でられて、顔を少し上げれば、近づいてくる顔。
・・・リアも、促されるままに、目を閉じた。
―――*―――
「・・、つぅ・・っ・・!」
組み敷かれたベッドの上で、リアが苦痛の声を上げる。
もう何の順序もなく、ただお互いの身体を求めた。
押し入ってくる時の痛みは、何に例える事も出来ない激痛だ。
それでも・・・。
「・・っあ!・・ユエさ・・っ!!」
引き裂かれるその痛みをも、リアは受け入れる。
ただ、ユエが欲しかったから。
「・・・リ、ア・・」
苦しいのは、リアだけではない。
激痛にしがみ付くリアは、無意識でユエの身体に縋りつく。
痛みをやり過ごそうと、きつく抱き締める腕に、ユエの左腕の傷は再び血を流し出した。傷口が開いたのだろう。
けれど、痛みは声に出さない。
リアが感じている痛みは、こんなものじゃないのだ。
「・・・少しでも・・・」
君の苦しみを、取り除けたらいいのに。
「ん・・んぅ・・ふ・・・っ!」
気を紛らわすように、唇を塞ぐ。
それも、手で場所を確かめないと分からないなど、情けないが。
指が頬にも触れて、涙が流れていることにもやっと気付いた。
今まで気付いてやれなかった自分が不甲斐ない。
「リア・・無理は・・・」
「や・・・っ!」
一度、腰を引こうとしたユエの首にかじりついて、離すまいと首を振る。ユエの目が見えていないことなど、とうに頭から消えていた。
「だ、め・・・!離れちゃ・・・」
息も絶え絶えに、リアが、ユエを見上げる。
けれど、そこにあるのは、白い包帯。
あの深碧色の目は、自分を映してはいないのだと、今更気付く。
「・・・リア?」
するりと、リアの腕が首から離れ、頭を抱き寄せるようにして引き寄せる。
されるがままになっていると、パチンと、何かを外された。
次第に、顔を圧迫していた布が取り払われる。
閉じていた目をゆっくり開いても・・・ただそこは、真っ黒だけれど。・・・一つ、光が見えた。
「・・・リア」
それは、『真の盾の紋章』の輝き。
本来、目に映るものは太陽や月の光さえ見えないけれど。
たった一つ、見えるもの。
「・・・傍に・・いてくれる?」
何も無い真っ暗な世界の中で、ただ一つだけの光。
触れていないと、壊れてしまう。
離さないで。
「・・・ずっと、傍に・・・だから・・っ」
玩具のガラス玉のような瞳に映る、自分の姿。
けれど、それは、ユエに見えているものではない。
「貴方の変わりに、僕が見ます。空も、月も、日の光も・・!」
ユエの開いてしまった傷に気付き、リアは右手を強く、握る。
「リア・・っ!」
「いいんです!少しでも、僕は、ユエさんの役に立ちたい・・・!」
抑えようと伸ばしたユエの右手を左手で受け止めて、口付ける。
リアの右手からは光が零れ出し、暖かなその光に、痛みで感覚の薄かった左腕が確かな感覚を取り戻した。
痛みは、もう無い。
「・・・目を、治すまでの力は、まだっ・・僕にはない、ですけど。絶対、治してみせますから・・・ぁっ・・?」
紋章を使った反動で苦しいのだろうけれど、それでも、言葉を一つ一つ、丁寧に伝えようとしているのが感じられて。
突然、身体の向きを変えられて、リアは驚きに声を上げる。
うつ伏せに寝かせたリアの腰を抱き寄せて、身体を進ませた。
「・・っん、・・い・・っ!」
痛いだろう・・苦しいだろう事は分かっている。
それでも、もう・・・。
「ごめんね・・・。でも、もう止まれない」
苦痛の声を漏らすリアの身体を、宥めるように愛撫する。
先程よりは随分と楽になったのか、リアの声は荒い息づかいだけになっていく。
「少しだけ・・・・我慢して?」
痛みを長引かせるよりは、一瞬で終った方が楽だろう。
リアが息を吐いた瞬間を見逃さず、一気に腰を進めた。
「あぁ・・・っ!!」
首に、強く腕を回したリアは、ぎゅっと力を込めて縋りついた。
感覚で探り当てたリアの唇を、そっと塞ぐ。
「・・っん・・ふ・・」
リアの呼吸を奪わないように、ただ、優しく唇を塞いで。
「・・・ユエさ・・ぁ」
腕の中に抱きしめているリアの鼓動は速かった。
甘えるような声に、痛みの波は引いたのだと分かる。
「・・・リア」
見えない目で、リアの小さな身体を抱くのは、とても神経を使った。まず、身体が感じている痛みに気付いてやれない。
けれども、リアの行動、仕草、上げる声その一つ一つが、今までのリアを鮮明に呼び起こしてくれるから。
リアの身体に巻かれた包帯や、布を取ってしまわないように手で肌をなぞりながら、ゆっくりと唇を滑らせていく。
「・・・ん」
その声で、感じているのだと、わかる。
リアの中が、大きく動いた。
「く・・っ!」
「あっ!や、ユエさ・・・っ!!」
何処で覚えたのか、中へ引き込むようなリアの動きに、ユエは速度を上げて追い上げる。
突然の衝撃に、リアはきつくシーツを握り締めた。
これも、いつものリアの癖だ。
肩から腕を辿って、リアの右手に自分の右手を重ねる。
「あぁあ・・・――っ!!」
何度か煽られたままの身体は、やっと訪れた瞬間に促されるまま、解放する。
同じくして、蠕動した内部に締め付けられ、ユエも、詰めていた息を吐き、吐精した。
大きく仰け反ったリアの身体は、そのまま力をなくしてシーツに落ちる。聞こえるのは、熱くて荒い息遣いだけ。
抱えていた腰を離して、屑折れたリアの肌に掌で触れた。
熱い。いや・・・・暖かい。
どくどくと血の流れる音に、安心する。
「リア」
どんなに言葉で伝えても、伝えきれないこの愛おしさ。
どうすれば、伝わるというのだろう。
「・・・ユエ・・さ・・?」
まだ繋がったまま、リアの胸に耳を当てるユエに、リアは声をかけるが、ユエの反応は無い。
リアは、重たい腕をゆっくりと上げて、そのユエの頭を抱きしめるように抱いた。
言葉など必要ない。
伝えたいのは、言葉などではないのだから。
けれど、ただ一言伝えるとするなら。
シーツの上で重ねられた右手。
「どうかこの手を離さないで」
終
※2004年5月に発行したものをそのまま載せております。