5、解放―KAIHOU―
「君はきっと、覚えていないだろうけれど」
転移魔法で辿り着いた館は、門こそ壊されてはいなかったけれど、投げ込まれた石や火薬で見るも無残に荒らされていた。
「この館の主は、ゼロ・・・・君なんだ」
「僕・・・が・・・?」
ルックは、勝手知ったる我が家のように迷いも無く歩いていく。惑わしの魔法はかかっているはずなのに、迷うことも無く辿り着いたのは普段はゼロが・・・今はアーティエが眠る寝室で。
「・・・最も闇に染まりし、最古の吸血鬼。それが、君だ」
ゼロが眠れと囁いてから、一度も目を覚まさないアーティエの細い髪を撫で、ルックは愛しげに額に唇を下ろす。
「そしてこの子は・・・君の為に。君だけの為に生まれた」
「そんなはずが・・!そもそも、僕が吸血鬼なら、何故神父なんて・・・」
「君は闇に愛されている。そして、その為に日を浴びようが聖性物に触れようが、その身を焼くことさえ出来ない・・・つまり、死ねないんだ」
そのまま放っておけば、全てを闇に取り込まれ、自我を忘れた化物になる運命だったゼロ。けれど、教会の命令で始末しに来たルックが出会ったゼロは、話に聞いていた化物とは程遠い存在で。
「君は、飢餓を堪えに堪え、それでも癒えない渇きを満たすために、自身の血を飲んでいた。・・・この世で一番醜い生き物を、愛していたから」
いつも傷だらけの彼の傍には、幼い子供が寄り添っていた。
彼が襲えば、一瞬で飲み干されてしまうだろう、小さな身体。
攫ってきた子供なのか、捨てられた子供なのか、それは分からない。
「だから、君は訪れた僕に願った。・・・これ以上誰かを殺める前に・・・・・――――殺して欲しいと」
「・・・あ・・・」
違うと叫びたかった。そんな過去は知らないと。
けれど、眠るアーティエの寝顔に、懐かしい誰かの面影を思い出す。
血に染まった手袋を外せば、いつもにも増して輝きの激しい闇の力が溢れ出していて。
「人間を愛した君は誰よりも自分の死を願っていた。けれど君は簡単には死ねない。・・・・だから君を解放するために、僕は、この子を作った」
一度言葉を切ったルックは、眠るアーティエへ静かな歌声を響かせた。
今まで何をされようと眠り続けていたアーティエの瞼が、微かに動いてゆっくりと開かれる。現れたのは血に濡れたような赤い瞳。焦点が合っていない瞳は、それでも静かにルックを映し、敬意の頭を垂れる。
「この子は、僕の力を介して、君の血で作られた・・・・君と同じ時を生きて、死ぬために」
懐かしいと思うのも、愛しいと思うのも、当たり前だとルックは言う。
「この子の元は、君が愛して止まなかった・・・人間の子供だから」
「・・・・そ、んな・・・・僕は・・・!」
この出会いも、全てルックの策略の元に計算されたもの。上塗りされた人間としての生活と記憶は、ルックのささやかな贈り物だったのだ。
心から人間を愛した、吸血鬼の為に。
「施した封印も、もうそろそろ切れる頃だと分かってた。そして、あの病がまた流行り出したと聞いてね。・・だから僕は君をここへ行かせたんだ」
あの病を最初に克服したのは、ジョウイという神父。彼は、自分の短命を嘆き、そして何も出来ない人間の無力を呪っていた。
そして、長寿である吸血鬼という種族を恨んでいた。
けれど・・・アーティエを出会って、他人を愛することを知った。
誰かを慈しむことを知った。・・・黒い感情を忘れた瞬間、その病は跡形もなく消えたのだそうだ。
それを人間たちに気付かせるため、この地にゼロを向かわせた。
「・・・結局誰も、神の赦しを受けることは出来なかったみたいだけどね」
「・・じゃあ、アーティエの血は・・・?やはり、不死の秘薬なんて・・・」
「・・・本当だよ。でもそれは、本当は君の為の力だけれど」
「・・・僕の、為・・・?」
「君が守られている力の全て、その闇を超える光の力。その力があって初めて、君を解放することが出来る。・・・それが、アーティエに宿る力だ」
「光・・・そうか、だから、僕は・・・」
ゼロの最古の記憶。それは、自分がルックへ何か願いを告げていた。
腕の中で、冷たくなる身体。
愛していた。だから、死なせたくなかった。
けれど、所詮自分は血を喰らう化物でしかなくて。
「・・・・殺してくれ・・・そう、願った・・・・!」
飢えた自分に身を捧げてくれた愛し子を抱きながら。
涙ながらに、そう訴えたのだ。今と同じ、この場所で。
「・・・その気持ちは、今も変わらない?」
そう問いかけるルックの声に、ゼロへとそっと近づいてくるアーティエの身体は、初めから全てを知っていたのか。
ゼロと同じように右手に宿る力。それは、正反対の力だけれども。
「・・・っ、あ、僕・・、どうして・・・?」
途端、ゼロを見つめる瞳は、いつも通り透明な相異の瞳に切り替わった。
「・・・君を解放するためには、こちら側のアーティエでないと使えない」
「・・・待て。けれど、この力は・・・僕だけじゃない!アーティエも」
「そう。創り物とはいえ、この子も吸血鬼。・・・辿る道は君と同じだ」
ゼロの力に呼応するように光を強めていくアーティエの力。
その力の解放を知り、アーティエは小さく首を振る。
「これは、誰かを・・・たった一人の誰かを解放するための力だって・・・」
「そう、解放するんだ。・・・もう、自分で分かるだろう?誰を解放すべきなのか。紋章が教えてくれるはずだ」
「・・・解放なんて、そんなのウソ・・・!どうして、ゼロ・・・!」
「アーティ・・・」
ルックの言う通り、アーティエは感覚で気付いていた。この力の対象になりえるのはゼロ以外にいないのだと。そして、その力を受けたゼロがどうなるのかも、アーティエは本能的に気付いていた。
解放なんて、言い方を変えただけ。
力を使えば、消えてしまう。ゼロも、自分も・・・何もかも。
「・・・いやだよ、ずっと、守ってくれるって・・・そばにいてくれるって・・・!」
アーティエの悲鳴のような叫びが響いた瞬間、館も大きく揺れた。
近づいてくる怒声。花々が踏みにじられる足音。
町の人間たちが庭へと入り込んできたようだ。
「まもる・・・まもらなきゃ・・・僕は、僕を・・・・この館を!」
途端、分厚いカーテンに覆われた窓を開け放ち、ひらりと身を翻してアーティエは押し寄せる町民達へと向かっていった。
けれど、それはまるでゼロから離れるように。自分に課せられた使命に逆らうように、命じられた命令に従った。
「あの子への命令は、この館と、そしてあの子自身を守ること。・・・そして、迎えた君を、解放すること。・・・どうやら門が破られたみたいだね」
まだ薄明るい今、アーティエの瞳が真紅に切り替わることはない。
それは同時に、今のアーティエには何の力もないことを示している。
「アーティエ、無茶だ・・・!」
どこかでまた火薬が使われたのか。燃え出した火は止まることを知らず、美しかった庭園を黒く焼き払っていく。
「・・・こんな・・・前にも、こんなことが」
茨は切り刻まれ、綺麗な庭も焼け落ち、壁や門に至っては尽く壊されていた。それを踏み荒らす欲に溺れた人間たち。
昔と同じだ。それは、何故かゼロの記憶にも残っていた。
ルックがこの館に訪れた時。それは、町ひとつが消えてしまうほどの大騒動が起こった日で、その中心には自分が居た。
人間が考えることはいつも同じ。
自分達以外に、どこか一つでも優れている種族を認めようとしない。
それを闇だと悪だと、害だという。害だから、排除するという。
あの時も、この館で、この場所で。あの鉄の門を破り飛び込んでくる人間を、冷めた目で見つめていた。
あぁまた繰り返すのか。
こんなにも汚く醜い人間を、それでも愛おしいと感じさせてくれた人間もいたと言うのに。
人間全てが同じではないと。そう気付かせてくれたのに。
人間の攻撃に抵抗すらしない吸血鬼を庇った幼子は、同じ人間に容赦なく殺された。
人間は、同じ過ちを何度も繰り返す。
それでも、恨まないで欲しいと告げた、『アーティエ』
「・・・止めろ」
人間は酷く臆病で弱い。だからこそ、力を持つ者を恐れ憎む。
彼らの罪を購えはしないけれど、渇きは潤せる。
これから先孤独を与えてしまうけれど、貴方の役に立ちたいと。
「・・・止めろ、これ以上・・・」
「ゼロ・・・駄目だ、君が出たら・・・!」
引き止めるルックの腕を振り切って、ゼロも同じ窓から飛び降りる。
「止めてくれ!!!」
轟音の鳴り響く庭園を前に、ゼロの声は空気を切り裂くように響いた。
「ち、近寄るな!それ以上近づくと、このガキがどうなっても・・・」
燃え上がる炎の中で、封印の手袋を失った黒い闇の力は燃え上がる炎の勢いを借り、彼らの手に握られた聖物以外の武器を破壊消滅させる。
「・・・ゼロ、きちゃ・・・ダメ・・・!」
普段は殆ど人間に近い小柄なアーティエは、幾人もの男たちの手で地面に押さえつけられ、今にも白木の杭を打ち込まれようとしていた。
「全ては僕の存在が蒔いた種だ。・・・彼は、アーティエには何の罪も無い。・・・傷つけないで欲しい」
「都合のいいこと言ってんじゃないよ!ならこの病はどう治してくれる!?あたしらには生きる価値もないっていうのかい?!」
「息子が死にそうなんだぞ!それでも、この目の前にある薬を捨てろと言うのか?」
傷つけられたアーティエの身体には無数の傷を刻み付けられ、流れる血一滴も逃すまいと口にする人間たち。
「・・・君達はそれで、自分を『人間』だと言い続けるのか?」
生きるために、吸血鬼を殺し、その血を飲んで生き長らえる。
それは、本来の吸血鬼と何も変わらない。
「神父の癖に・・・教会は人間を救わないじゃないか!」
「そうだ、お前は人間を冒涜した・・・いや、神を冒涜したんだ!」
その声が響いた館の窓から、ルックが冷たい目で見下ろしている。
「・・・その行為をしたのは自分達だって、どうして気付かないのやら・・・」
ルックは静かに、その様子を見守っていた。
きっと、もう誰にも止められない。何を後悔する事があるというのか。
これはルックの望んだ未来だった筈だ。
いや、ゼロが望んでいた願いだった筈だけれど。
「・・・本当に、これで・・・いいんだね」
そんなルックの声は、ゼロには届かない。ゼロはアーティエが押さえつけられた場所まで、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
強気に叫んでいた人間たちも、武器を奪われた今では、その姿と視線に怯えて引き下がった。
「・・・なら、自分達は許されていると思うのか?」
円状に囲む人間たちの真ん中で、ゼロはそっと地面に膝をつく。傷だらけで倒れるアーティエの頬を撫で、腕に抱いて髪を梳いた。
幼く綺麗な顔に残る傷跡が、とても痛々しい。
「そういう、運命なんだよ!人間は救われて、お前達は死ぬ!」
何処からか、聖水の瓶が投げ込まれる。が、ゼロはそれを紋章の宿る右手で払い避けた。
途端、力を増した闇の力が渦巻いて、一瞬吹き抜ける。
気力や力の弱い人間たちの何人かが、その闇に食われて倒れ込んだ。
館も、ゼロの力に同調して、辺り一帯を漆黒の闇で覆いつくす。
「・・・何かをするのも止めるのも、そう自分たちが選んだ道のはずだ。それは定められた運命なんかじゃない」
「じゃあどうして息子は死ななきゃならない!?」
地面に倒れた亡骸を抱いて、父親が叫ぶ。
けれど、ゼロは冷たく言い放った。
「ここへ来ることを選んだのは、紛れもなく本人自身だ。そう選んだのが彼ならば・・・誰に償えるものでもない。僕らも・・・そして貴方も」
そこで言葉を切って、ゼロは腕の中で荒い息を繰り返すアーティエに苦笑する。
「守ってあげるって言ったのに、約束守れなくてごめん・・・」
そして・・・これから選ぶ道に付き合わせてしまうことに謝罪を述べるよう、傷だらけのアーティエの額へキスを送った。
アーティエの血が癒しの力を秘めているのは本当だ。
ゼロもアーティエを抱き上げてから、その身に残る傷跡も、アーティエの血によって綺麗に消えていく。
昨日、額の傷を治したのも、この血の力か。
同時にそれは、アーティエの宿している力に由来するものだ。
ゼロを永遠の生から解放する程の力は、同時に闇の者に耐えられるものでもない。
力を使った途端、アーティエもゼロと同じ運命を辿ることになる。
それでも、アーティエは、辛そうな表情に笑顔を浮かべて、微笑んだ。
「・・・でも、傍に居てくれる。・・・だから、いいよ」
一緒に、いこう。
そう、弱々しく差し出された右手を、ゼロも自身の右手で強く握り返した。白と黒の光が、眩しく辺りを包み込む。
「それがゼロの願いなんでしょう?だから、・・・僕の願いも、叶えてくれるよね・・・?」
「・・・アーティ」
硬く手を握り合った二人は、繋いだ右手をゆっくりと空へ掲げる。
「そう、選んだんだね。・・・・・・・・・・さよなら」
二人の選んだ行動に、ルックは窓から眺めていた視線を伏せ、小さく呟いてその場から姿を消した。
途端、ゼロの黒い光を押しのけるようにして、柔らかい光が降り注ぐ。
「な、何だ・・?」
「光が・・・溢れて・・・うわああ!」
呼応するように、崩れ落ちる館。
逃げまどう町民達は、我先にと走り出す。
ゼロの作った暗闇は消滅し、変わりに真昼かと思うような光が辺りを照らして、包み込んだ。
6、神風―KAMIKAZE―
疫病と飢饉が同時に流行り、一つの町が死滅した。
祖先であれ、血を繋いできた者一人でもその町の出身だと気付かれた者は迫害され、早々に村や町を追い出された挙句、住処もなく、病に冒された身体で死を待つしかない。
これを、呪い以外の何だというのか。
人々はその地に残された伝説を頼りに、吸血鬼の呪いだと騒いだ。
けれど、幾人かはそれが神の怒りだと口にした。
伝えられた真実に、欲に溺れた彼らを非難する声も後を立たない。
けれど、同じ病が流行るのは困る。
そう、病に怯える人々に訴えられた教会は、仕方なくその町を聖なる炎で焼き払うことに決めた。
広い町中を何日も何日も燃え上がった炎は、勢いを弱めることもせず、ただ静かに燃え続ける。人々の冒した罪を償うように。
そして、幾日目かの朝、赦しの涙のような突然の大雨に流され、炎が待ちから消えたその翌日。
晴れた空の下、ルックは再び館を訪れていた。
ゼロが居なくなった瞬間から、惑わしの魔法はもう解けていた。
入り口を遮る門も茨も、今はもうない。
何もかも、燃えてなくなった風景に、ルックは一人、風に囁く。
「・・・本当は、殺したくなんかなかった」
だからこそ、犠牲を厭うよう、アーティエをあの力の依り代にしたのに。
死ぬことを諦めて、永遠に生き続けるように。
その相手が自分でなくとも。
「生きてさえいれば」
それで良かった。
アーティエの碧の瞳で、ゼロを眺めていられれば、それで良かった。
けれど。
彼の消えた世界は、それでも何事も無かったかのように、ゆっくりと時を刻んでいく。
ゼロと同じように、死すら恐れて近づかない、ルックを一人残して。
「神は人を憎み、彼を愛した・・・。彼は人を愛し・・・自身を憎んだ」
あの病こそ、欲に溺れた人間へ神が下した災いなのだから。
己の過ちに気付いた者だけ、病に打ち勝つことが出来たというのに。
「・・・君達が死ぬことなんて、どこにもなかった・・・」
力のあるものは狙われる。
それが闇であれ光であれ、その事実は変わらない。
強欲な人間が、また再び同じ過ちを繰り返さないように。
人間の為に、彼は選んだのだ。
例え、アーティエを犠牲にしようとも、己の望みを叶える事を。
そして、彼も選んだのだ。
例え、共に過ごす時間をなくそうとも、彼の望みを叶える事を。
そして、お互いに。
・・・・・・共に逝くことを。
空の光が眩しすぎて、俯いたルックの足元に何か光る鎖が見えた。
「・・・焼け残ったのか」
拾い上げたそれは・・・・ルックが彼に与えた、クリスタル・クロス。
クロス部分は炎の熱に耐え切れなかったのか、大きなヒビが走っている。
中央に嵌め込まれた赤い石・・・彼の血を固めたそれはだけは、傷もなく輝いていて。
ルックは静かに目を伏せ、もう居ない想い人へ送るように。
「今度は人間として・・・君達に会えたら」
祈るように。
唇でそっと口付けた。
終