A*H

雪燐。兄さん過去捏造ブツ。よろしければ。

ギリッと布が千切れる間際の音を出した。
視線を向ければ、力を入れ過ぎて真っ白になった指がシーツを握りしめている。
「にいさん」
もう何度目かの名前を呼んで、無理矢理繋げた身体をまた強く押し込んだ。
「…っ…!!」
悲鳴さえ飲み込まれた身体は、きっとこの行為が齎す本当の意味を受け取れてはいないだろう。
痛みに歪んだ眉は寄り、興奮からではない脂汗が燐の額から流れ落ちる。
繋がっている箇所からは粘着質な音が聞こえてくるが、その大半が切れた皮膚から流れ出た血液だった。
「にいさん…兄さん、どうして」
これは暴力だ。それは雪男も分かっている。
けれど止められないのだ。どうしても欲しいものが雪男にはあるから。
それが燐を傷つけることになったとしても、もう構わなかった。
「殴ってでも、蹴ってでもいい。嫌なら、拒否しろよ…!」
悪魔の力に覚醒した燐の身体は、この程度の傷などすぐに癒してしまう。
しかし流れ続ける血はまだ赤く、癒えた端から再びその身体を裂いているのは雪男だ。
それでも泣き声一つ漏らさない燐に、なぜか雪男の方が今にも泣いてしまいそうな声で再び燐を呼ぶ。
「兄さん、もうこんなに深く繋がってるんだよ僕たち」
実の兄の身体を裂いて、ねじ込むように熱を埋め込む。深い奥で腰を揺すれば、きつく閉じた燐の眦からこらえきれない涙が一粒零れた。
その綺麗な滴を唇に受け止めて、目を開くように瞼の上に唇を滑らせる。
は、と短く熱い呼気を零して、燐の青い目が薄い水の膜を浮かべて雪男を見つめ返した。
その瞳には怒りはない。嫌悪もない。…ただ深い悲しみと寂しさが、その青をより深く彩っている。
「僕は大丈夫だから…嫌じゃないなら、抱きしめてよ」
それでも燐は緩く首を振るだけ。もう何度目かのこのやり取りは、ただ燐を傷つけただけで。
シーツを握りしめる燐の手にそっと自身の手を重ねる。びくりと震える手はそれでも、握りしめていた力を抜いて雪男に触られるがままにシーツに沈む。
「…どうして」
熱はもうすっかり冷めてしまった。割り開いていた身体から抜き出して、額を鼓動だけが激しい燐の胸へと摺り寄せる。縋り付くように雪男よりも細い身体を抱きしめて、微かに身じろぐ身体を更に腕の中へと閉じ込める。
「塾のみんな…しえみさんでさえ、平気なのにどうして」
抱きつかれるのは嫌だと訴えるような動きを封じてしまえば、燐はもうそれ以上抵抗はしない。
投げ出された両手はシーツに沈んだまま。見上げた瞳に浮かぶのは、怯えた幼い頃の兄と同じ瞳がそこにあって。
「…離せ雪男。俺はもう、お前を」
言いかけた燐の唇を己のそれで塞ぐ。噛みしめかけた唇に無理矢理舌を差し込めば、再び燐の抵抗はなくなって諦めたように目を伏せた。
燐はこんな行為を望んではない。けれど、絶対に拒否もしない。力で雪男は敵わないのだから、幾らでも逃げ切れるはずなのに、悲しい顔をしながら結局全てを受け入れる。何をされても抵抗しないのだ。
「どうして、兄さんは」
答えを知っている問い掛けはもう何度目か。それでも雪男は耐えられず何度でも燐に問い掛けた。

「僕だけ触ってくれないの」

返ってくる言葉は、いつも同じだけれど。

「お前を傷つけたくないからだよ、雪男」



*幼きあの日の… 01*





子供の泣き声が聞こえた。
何処で泣いているのか耳を澄ませてみれば、意外にも近くにその身体はあって。
熱いほどのその身体は苦しさと痛みに弱々しい体力を全て使って泣き喚いている。

いたいよ、くるしいよ、たすけて

燐がそれを認識した時から、自分より小さくか弱いそれを大切にしろと教えられた。
弟なのだから。
兄のお前が守ってやらないと。
優しくあれ、強くあれ。弱い弟を守れる兄になってやれ。
異論などなかった。燐も弟が愛しくて、大切にしてやりたいと思っていたのだから。
弟のために出来ることならなんでもやる。どんなことでも叶えてやりたい。
熱を出して寝込むことが多い弟の苦しげな呼吸を少しでも助けてやりたくて、乞われるままに毛布に包まったのはいつだっただろうか。

たすけて、こわいよ、たすけて…

「とうさん」

泣き声に交じってケホケホと咽るような咳を繰り返して、むわりと広がる香りは血、だろうか。
どこかから漂ってくる鉄臭い、生臭いそれに眉を顰めた燐を、突然大人の大きな手が勢いよく引っ張って暖かいそれから引き離された。
「雪男!雪男、大丈夫か!?息は…?!」
唐突に、世界に音が戻った。
緊急事態に加減を忘れた大人の手は燐の小さな体をいとも簡単に突き飛ばしたが、頑丈な身体はそれを痛みとも思わない。
それどころか、支えに掴んだ椅子の脚の方が軋んだ悲鳴をあげてもろくも崩れてしまった。
崩れる木片と血を吐いた弟の体温はまだ、同じ手の平の上にあるというのに。
「燐…お前…」
ひゅうひゅうとかすれた息を吐く弟は、大きな神父の腕に抱かれたまま泣き声ひとつあげていない。
ただ、口元を真っ赤な血で汚して、その息は、今にも消えてしまいそうなほど。


弱かった。


 

***

 

雪男と燐は普通の兄弟と比べてみれば、それはそれは仲の良い兄弟だろう。
双子にしてはきっぱりと線を引かれたような兄と弟の役割が出来てしまっているのも珍しい。
なんの意図があって藤本神父は彼らをそう育てたのか。そしてそれが必要なことだったのか、今となっては確かめようもないけれど、二人にとってこれは当たり前で普通のことなのだ。
これからもきっと二人は双子でありながら兄弟のような関係を崩すことはないだろう。
強かった兄は弟を愛して守ろうとし、弱かった弟は兄を愛して尊敬し頼る。
いつしか成長するにつれてその構図が崩れても、彼らはきっと仲の良い兄弟だった。
そのはずだった。
「兄さん、また授業聞いてなかったろ」
「そ、そんなことねえぜ?」
「わかるよ。口の端…ここ、よだれついてる」
「っ、分かったから、自分で拭ける。いちいち触んな」
唇の端に触れた雪男の指を燐は煩わしいとばかりに避けようと身体をよじる。しかし、言葉と態度で弟の行為を拒否しながらも伸ばされた手を振り払おうとはしない。
中学の頃に比べれば教室にいるだけマシになったものだが、授業態度は相変わらずのようだ。
身体を逃がそうとしつつも逃げない兄を捕まえて、雪男は苦笑しながらも少し強引に唇の端を拭ってやる。
膝の上に広げた美味しい弁当は相変わらず兄の手製で、こんな人気のない穴場を見つけたのは、燐の肩に乗ったクロの手柄だ。時折燐から弁当の中身を貰っては嬉しそうに鳴いている。雪男には、生憎意味は伝わらないが。
「ウマいか。そうか、良かったな!」
顔に擦り寄る黒の頭を、燐の手が優しく撫でる。それにまた心地良さそうに鳴くクロに、雪男は行儀が悪いと分かっていても咥えた箸先をガリッと噛んでしまう。
「何だよ雪男。何かマズイのでもあったか?」
「まさか。相変わらず美味しいよ」
「そうか、良かったな」
同じような会話を繰り返しても、燐の手が雪男に伸びることは…触れることは、ない。
抱き締めただけで弟を殺しかけたあの日を境に。きっと、もう二度とないのだろう。
幼い頃、高熱を出して寝込んでいたその夜、近づいてはダメだと言われていた子供部屋へ燐が様子を見に来てくれた。藤本神父に見つかる前にと雪男の様子を眺めて部屋を出て行こうとした燐を呼び止めたのは雪男だ。
熱による人恋しさに、同じベッドで寝て欲しいと、弟らしい甘えたわがままを言った。
燐は喜んで頷き、小さな身体を同じベッドに並べて寝転がる。
二段ベッドの下は本来燐の寝床だけれども、看病のしやすさから今は雪男が占領していた。
同じ布団の中でくっつきあって眠るのは初めてではなかった。けれど、その日の雪男は本当に苦しそうだったのだろう。眠っていながら燐はそんな雪男を守ろうとした。無意識で、ただ宥めるように抱き締めて。
守ろうとしただけなのだ。それなのに。
「兄さん」
「なんだよ」
「いつもありがとう」
「いきなりキモチ悪ぃなー。どうした?腹いっぱいになって眠くなったか」
「そうかもしれないね。…予冷が鳴るまで、お昼寝しようか」
「おー」
雪男の言葉に生返事を返しながらも、燐の瞼はもう殆ど下がってしまっている。クロも同じように、燐の傍で丸くなってすっかり寝入ってしまっていた。
凭れていた木からずり落ちそうな燐の身体を、雪男は無言のまま抱えて膝の間に降ろす。双子なのに、こういう体勢で包んでしまえば、小柄でもない燐の身体はそれでもすっぽりと雪男の身体に包まれてしまう。
殆ど眠りかけていた燐だったが、包まれた体温にうっすらと目を開けて、小さく囁く。
「雪男、触るな」
「どうして」
「…お前が壊れる」
「壊れないよ。兄さんが僕に触れない分、僕がたくさん触るって約束したじゃないか」
「でも、俺はお前を」
「傷つけたりなんかしない。兄さんは、僕を壊さない。神父さんと特訓もしたじゃないか。壊さないように卵からさ、料理だってその延長であんなにも上手くなったんだし、もう加減だって出来るじゃないか」
「それでも嫌、だ」
「他の人には…触れるくせに」
「…………」
「兄さん。兄さん?」
寝息も聞こえないほど静かに眠り込んでしまった燐からは、もう返事はない。
雪男に触れる燐の身体はどこもかしこも虚脱したように力が抜けきっていて、まるで人形のような身体を…それでも暖かい兄の身体を、雪男はしっかりと抱きしめる。
「どうして、僕だけ触ってくれないの」
燐が兄であろうと、弟の雪男を守ろうとしてくれているのは分かっている。
傷つけたくないからだと言う。壊したくないからだと言う。
とても大切にされているのだと、わかっていても。


「壊れてもいいから…抱き締めて欲しいんだよ、兄さん」







⊂謝⊃

原作をうっすら読み返してみたら、雪男はやたら燐に触ってる(羽交い絞め?)のに燐は悉く誰にも手を伸ばさないんだなあれ雪ちゃん触ってなくね?とそんな妄想から始まりました(今更)
アニメでは殴り飛ばしてましたけどね。
恋人繋ぎって最後ぎゅってああもう早く触れるようになれ燐!そしていちゃいちゃさせろ!
(Pixivより転載)

斎藤千夏* 2011/10/30 脱稿