ふわりと光を帯びた臣の周囲に、彼女は笑みを浮べていた表情を固くして、微かに身を引いた。
「・・・その石は・・・・・・?」
キラリと、赤く清冽な光を放っているのは、臣の小さい耳を飾るピアス。
まるで害を成す紋章の魔力から、幼い主人を守るように・・・小さな石は燦燦と輝き出した。
「・・・や、止めなさい・・・!・・・その光は・・・きゃあぁ!!」
先ほどまで、冷たく微笑んでいた彼女の顔に、もう余裕の色はない。
赤い光が強さを増した途端、飛び退るように臣たちから離れて、頽折れる様に地面へ座り込む。
「・・・これ、は・・・?」
けれど、止めろと言われても臣にだってわからないのだ。
元々いつから耳に付けていたのかも、あの女将がどうして取り上げなかったのかも、臣には分からない。
あの耳飾に気付いて触れてきたのは、臣の記憶にある限りテッド一人きりだ。
「・・・臣・・・」
「テッド・・・!」
腕の中のテッドが小さく声を漏らした。どうやら、この光のお陰で目が覚めたらしい。
「逃げるんだ、・・・今のうちに・・・早く!」
「で、でも・・・」
臣の身体を押しやるように押すテッドは、立ち上がる気配さえ見えない。
「おれの事は、いいから・・・」
寂しそうに、そう囁くテッドに、臣は動けば悲鳴を上げそうになる体で、テッドの腕を強く引いた。
「臣・・・いいから」
「いやだ・・・。置いていくなんて、できないよ・・・・!」
今にも屑折れそうな身体に苦笑して、テッドも紋章の反動で重い身体をゆっくりと起こす。
「・・・・わかった、逃げよう?・・・一緒にね」
ふらふらと頼りなくも足を動かし、お互いがお互いを支えるようにしながら、眼前に広がる森の中へ足を踏み入れた。
二人の姿が消え、あの光の余韻も無くなった頃・・・・。
「に、逃がさないわ・・・!折角ここまで追い詰めたのだから・・・・!」
ようやく立ち上がった女は、右手を高く翳し、館の爆ぜる音さえ掻き消すような声で叫んだ。
*The past story of OMI.〜06*
「はぁ・・・は・・・・!」
ただ、歩いているだけなのに、身体は重く鼓動が弾んだ。
「もう、少しで・・・川が・・・見えるから」
自分を支えてくれる臣の身体に、テッドは小さく微笑んで頷く。
「・・・・そこで、一度休もうか」
臣だって辛い筈なのに。
一言も辛いなどと口にしない強さに、テッドは今更ながらに関心の目を向けた。
あの強烈な光はもう治まっているものの、その両耳には已然輝きを失わない赤い石が輝いている。
その石からテッドが感じられたのは、所有者を守ろうとする純粋な魔法力だ。
相当高価な魔法石に、誰かがそのような願いを込めて、臣の耳に飾ったのだろう。
あの館の女将・・・そんな訳はない。この石の効力に気付いていたら、有無を言わさず取り上げていただろう。
彼女には、何の変哲もないただの石にしか見えなかったようだ。
では・・・誰が?
臣は両親に売られたと言っていたけれど・・・つまりはそう言うことなのだ。
「・・・あぁ、そうか」
「テッド・・・?」
この場で話し伝えるには時間が無さ過ぎた。
テッドは何でもないと首を振って、先を促しながら軽く後ろを振り返る。
夜の闇に、館の燃える炎は大きく写った。
どれだけ離れても、立ち上る黒い煙と、暗闇を照らす赤い炎は見えるから。
高い木に囲まれた森に紛れても、その方角を見失う事は無い。
「・・・追って、来るかな」
「・・・多分ね」
臣の疑問に短く答えを返して、テッドは頷いた。
輝く光の中で、逃げる事が精一杯だったために姿は見ていないけれど、その魔力は感じられたから。
自分を追う相手もまた、真の紋章持ちなのだろう。
考えながら歩くうち、耳に涼しい音が飛び込んでくる。
さらさらと静かに流れる川の音だ。
「ここなら、・・・少し休めるかな」
何度か臣を手伝って水汲みをしていたお陰で、この辺りの土地感があって助かった。
入り組んだ森の中で、なんとか身を隠す場所ぐらいは探す事が出来るからだ。
大きな岩の陰になる場所で、二人はようやく腰を降ろす。
周りは鬱蒼とした濃い緑の植物が多い茂っていて、月明かりしかない暗闇の中で二人を見つけるのは難しいだろうと思うから。
「・・・大丈夫?」
「ん・・、臣こそ・・・平気?」
全力で走った訳でもないのに、身体は荒い呼吸を止め様とはせず、肩を大きく動かして吸う息は中々治まる気配を見せない。
強がる必要などないのに、臣は小さく苦笑して見せただけで、何も言わなかった。
耐えることになれてしまっているのか。・・・・まだ10にもならない子供が。
「せめて・・・もう少しこっちへおいで?」
夜は冷える北の森だ。汗にまみれた体は、案の定小さく震えていた。
動こうとしない臣の小さな身体を引き寄せて、脚の間に座らせる。
「・・・もっと、時間があれば」
「・・・テッド?」
「いや・・・」
もう少しだけでも、臣に出会うのが早ければ。
誰にも教える気の無かった『秘密』を、こんなにも素直に吐き出せてしまった相手だから。
「・・・臣。やっぱり、おれは君を連れて行けない」
「・・・・・・」
総てを、その命を掠め取る事さえ・・・笑って許されてしまいそうな感覚に陥ってしまう。
今まで犯してきた罪を、臣ならなんともないと笑って受け入れてくれるだろう。
今夜もまた沢山の命を奪った。
館で眠ったまま焼かれた子供達の魂は、微かに痺れている右手が吸い取ってしまったのだ。
『守りたい』と思うものを・・・・・・いや・・・?
「テッド・・・」
テッドが守りたいと・・・微かにでもそう思ったのは臣だけだ。
そのために幾つの命を吸ったかは分からないが、もしかしたら・・・・――――。
ドォン・・・!!
「?!」
直ぐ近くで爆音が鳴り響いた。
館の崩れる音ではない。それよりももっと・・・魔法的な・・・・。
「さぁ・・・出ていらっしゃい。この辺りに居るのは分かっているのよ」
彼女の声に呼応するように、鼻を動かしては辺りを探る見たこともない生物がうろついていた。
「・・・なんだ・・・あれは?!」
テッドも臣も知らない事だが、彼女の持つ『門の紋章』は表の紋章。つまりは入り口だ。
そこを開いて、この世界と違う場所の生物を召還する事ができる。
辺りをうろつくそれらは血の匂いに敏感らしく、奇怪な鼻を動かしては跡を辿って近付いてきた。
「・・・血だ。臣、どこか怪我でも・・・?」
「・・・・・・」
頷きかけて、でも臣は一瞬躊躇うような素振りを見せた。
手首にも傷のようなものはあったが、はっきりと血が流れている訳でもない。
黙っている訳にもいかないと思ったのか、躊躇いながらも、小さく・・・頷いた。
そこで、臣が躊躇った理由がわかる。
あの館は娼館なのだ。そこに住んでいた臣が何を強制させられていたか、分からないほど短く生きてきた訳ではない。
「さぁどこなの?!出ていらっしゃい!!」
足音はもう間近に近付いている。
けれど、この距離で、あの魔物のような生き物たちから逃げ切ることができるとは思えなかった。
水を吸った森独特の濃い空気が、血の匂いを紛らわせてくれるのを願いつつ・・・テッドは小さく目を閉じた。
ここで、果てる訳には行かない。紋章を奪われる訳には・・・いかないのだ。
発動させてしまえば、テッドは助かるだろう。紋章も守れるが・・・生き残るのはテッドだけだ。
「臣・・・一瞬でいい。走れる?」
・・・危険と分かってはいても、腕の中の幼い子供は救いたかった。
突然、殆ど声を出さずに囁かれた声に、臣は何を言われているか分からないようだが、気にせずにテッドは言葉を続ける。
「いや、走ってもらわないと困る。・・・・おれが囮になるから・・・・川まで走って飛び込むんだ」
そこまで言われて、ようやく臣が首を振る。
置いていくのを、ただ一人逃がされることを嫌がるように、強く首を振ってテッドにしがみ付いた。
「大丈夫だから。・・・おれは死なない。死ねない」
臣さえこの場から離れれば、紋章を使うことも出来る。
出来る限りなら頼りたくなかったが、奪われるよりはマシだ。
しがみ付いてきた臣の身体をゆっくりと押しやって、目尻に浮いた涙を指で拭う。
「おれはね。この紋章のことを誤解していた。本当に・・・ついさっきまで」
近しい者の魂を好んで喰らうのは・・・自分が弱く、大切な相手を守れないからだ。紋章の所為ではない。
紋章はせめて、所有者の近くにあるようにと・・・身体から離れたその魂を引き寄せる。
本当に守りたいのなら。
「生と死を司る紋章・・・だから出会った時のように、命を与える事も出来る」
奪うだけの紋章じゃない。守れる力はこの手にあるのだから。
「臣のお陰だよ。・・・もう少し、もう少しだけ・・・人に触れてみようと思う」
逃げるのではなくて、守る為に。
今は、腕の中の小さな命を守る為に。
「多分・・・いや、もう会う事はないと思うけれど・・・・元気でね臣」
「・・・・・・」
大人しく撫でられていたかと思いきや、何かを決意したような瞳で真っ直ぐにテッドを見つめ返してくる榛色の瞳。
僅かな隙間から差し込んだ月光が映り込んで、綺麗な金にも見える瞳に、力が篭る。
「・・・約束」
黙り込んでいた臣が、たった一つ零した言葉はそれだ。
耳元に手が伸びてきて、両耳を飾っていた蒼い石が外される。
「・・・生きて・・・これを僕に、返しに来て」
変わりに嵌められたのは、臣の耳を飾っていたあの赤い石だ。
魔法防御力と魔力増幅効果がずば抜けて高い宝石を、臣はいとも簡単にテッドの耳に飾りなおす。
「テッドに貸してあげるから。あの人の力からはこの石が守ってくれる・・・だから」
最後に、腕いっぱいに力を込めて、テッドの背中にしがみ付く。
「絶対・・・、約束だから」
臣は聡い子供だ。
今この場に残る事の方が足手まといだと分かっているのだろう。
近付いてくる魔物たちの足音と咆哮に注意しつつ、テッドから離れて立ち上がる。
「・・・僕も、待ってるから・・・生きて、また会おうね」
辺りを静かに照らしていた月明かりが、分厚い雲に隠れて一瞬途切れた。
見計らっていたかのようにその隙間から飛び出し、臣の小さな身体は暗闇の中に消えて見えなくなる。
遠くで、激しい水音が上がったと同時に、ざわざわと黒い影がテッドを取り巻き始めた。
「・・・約束の証。預かるよ臣」
次第に熱くなる右手の紋章が熱く痺れて感覚がなくなる。
けれど、耳を飾る石に触れた指先だけは、ひんやりと冷たい感触を感じる事が出来た。
「じいさん」
もう顔も思い出せないくらい、遠い昔のことだけれど。
「・・・守る為に・・・使わせてもらうよ!」
暗闇の中に、更なる暗闇が突如生まれる。
何もかも飲み込んでいく漆黒は、叙序にその容積を拡大し、うろついていた生物たちを包んでいく。
恐れていたその力は、何もかもテッドの思い通りに力を広げて、総てを飲み込んだ。
Next...
⊂謝⊃
お待たせしすぎです臣の過去話第6話(笑)恐らく前の1〜5話を読まないと話がわからなかったかと思いますが!
えぇ俺も書く為に読み返しましたよ・・・恥かしくて笑いがこみ上げる中じっくりとね。(笑)
一応、こことリンクしてますね表のセフィオミのティント編。
色んな所に複線が張ってあって、片付け大変でした・・・_| ̄|●
過去話もいよいよ大詰め!テッドと臣はこれからどうなるのか?!
それはまた、次回をお楽しみにv(笑)
ではでは、読んでくださってありがとうございましたv
斎藤千夏 2005/01/15up!