*契*
「・・・っ・・」
「オミ?」
一定の間隔で聞こえていた後方の足音が突然拍子を崩してセフィリオの耳に届いた。
振り返れば、肩を大きく揺らして荒い呼吸を繰り返すオミの姿が目に入る。
「どうした?もう疲れた?」
「・・・って、貴方のその、底なしの体力と、同じ扱い、しないで下さい・・・!」
セフィリオはへたり込んだオミの傍へと戻り、視線を合わせるよう膝をつく。
心配するような表情に多少安堵はするが、朝方から碌に休憩もせず歩き続けたというのに、顔色一つ変わらない目の前の相手が憎たらしい。
生い茂る木々の合間から見える空はもう色を変え始めて、茜色に染まりきった後はすぐにでも再び辺りを漆黒の闇が覆うだろう。
「そもそも、何で僕ら、こんな所で遭難する羽目になったと思ってるんですか・・・!」
「うん・・・まぁ、それは俺も悪かったかな」
現在地が何処かも良く分からない森の奥深く。
王国軍の侵略情報を聞きつけたシュウに、念の為でも軍を率いて様子を伺うべきと諭されて、軍を一つ率いていたのはつい昨日のことだ。
情報がとどいた場所・・・国境ぎりぎりのとある村近辺まで繰り出しては見たものの、そこにはただ静まり返った穏やかな小さな集落があるだけで、王国軍の影も形も見受けられなかった。
そもそも、国境間近であるというのにこの戦火中、侵略さえ受けている様子もないのは、はっきり言って軍を裂いて侵略しても利用価値がないからだろう。
人里離れたほぼ山の中の奥深くに、よそ者を拒絶するように存在していた村は、都市同盟の領土であってもまるでひとつの国のように自立して孤立していた。
情報は偽りだったとそのまま引き返しても良かったが、オミ達一行は付近への警戒も兼ねてその村を訪れ、どういう理由があっての来訪であるのか、また今後ないとも限らない王国軍侵略の脅威を伝えた。・・・はいいが、全く相手にされなかった。
どころか、オミ達都市同盟も彼らに言わせれば侵略者と同じだという。
王国軍であろうがアルジスタ軍であろうが、彼らには関わりのないものなのだと突っぱねられただけだった。
戦争自体自分達には関係ないことだとオミ達を突っぱねた村であったけれど、とある屋敷の主が帰城する明朝までの宿くらいは提供してくれた。
こちらとしても、大人数で屋敷を占領するわけにもいかないので、一卒兵達は皆村の近く、森の中で夜を過ごすことになった。
そこまではいい。寧ろ、彼らにとっては見ず知らずの、しかも突然現れて軍主とか名乗るオミを含め数人を屋敷内へ招いてくれたことにこそ感謝すべきだろう。
さらに、家主は人の良い笑みを浮かべて、丁寧にもてなしてくれたのだ。感謝しないわけがない。
成り行きとしては無駄足だったが、噂の王国軍の姿も見当たらない。更にこのような立地にある村である以上攻められることもまず無いだろう。報告は根も葉もないただの噂だったのだと結論を出して有難く宿を借りたその夜。
元々短い我慢の限界が切れたセフィリオが暴走して下さった。
「『も』?『俺も』って何ですか年下の一般人殴り飛ばしといて!!」
「そもそも、オミだって悪い。何でああひっつかれて平気な顔してるかな全く」
今回牽き連れてきたのは一卒歩兵一隊と、少数精鋭の武人たち・・・所謂、いつもの顔ぶれな宿星たちだったので、気兼ねなくというより強制的にセフィリオもついてきた。
確かに戦力的にはこれ以上使える人物もいないので、反対意見も一人の冷たい視線を除いてすんなりと受け入れられたのだが、一応軍主としてのオミの傍に立つセフィリオが『友人』の顔をしていたのが悪かったのか。
宿を提供してくれた、見れば見るほどこの村に似つかわしくない豪邸屋敷の主人・・・いや、若いので子息かもしれないが、彼は妙にオミを気に入り常に傍へと置きたがったのだ。
傍に居たがったのではなく。傍に『置きたがった』のだ。
「あの態度も気に入らない。何かにつけてオミを振り回して。何様かと思ったけどね」
「あの・・・あんまり人のこと言えませんから貴方も」
「聞こえないな」
「・・・・・」
オミとしても、常にべったりな彼・・・名前はシュニーと言ったか。
見た目はオミと同じかもう少し上、同年代の少年だったのだけれど、襟足で結ばれた長い銀髪の影は遠い幼馴染を思い出してしまうので妙な違和感は拭えなかった。
そんな彼にまさか、彼の使う主寝室へと手を無理矢理引かれつつ『伴侶となってこの屋敷で共に暮らそう』などと言われてしまったのは流石に驚きを隠せなかったけれども。
その発言に、我慢に我慢を重ねていたセフィリオがついに切れて吹っ飛ばす勢いでぶん殴ったことも。
所詮は後の祭りでしかないが、この現状を思えば何でこんなことにと溜め息を零すぐらい許して欲しいものだ。
「手加減はしたじゃないか」
「あれで!?」
「棍を使わなかっただけ有難いと思うんだね」
「・・・まぁ、そういうことにしておきましょうか」
実際、あの勢いで棍を使われていたら、昏倒どころか重症だ。ある意味命は無いに近い。
身分は高い人物だろうに、ぶん殴られて吹っ飛んだ彼に駆け寄る傍仕えは一人もいなかった。
仕方なく同行していた仲間の一人・・・主に面倒ごとをよく押し付けられるフリックが彼を寝室まで連れて行ったのだが・・・。
何故かそのまま慌てて飛び出してきたと思ったら、そのまま逃げろと叫んでオミの腕を引いた。
気の立っていたセフィリオは真っ先にその腕を払い、オミの腕を引いて胸に抱き止めた・・・瞬間、一瞬にして視界が闇に染められた。
何か、得体の知れないものに身体が包まれる。チクリとした痛みを感じたのは一瞬で、飲み込まれると感じたその途端セフィリオとオミの右手に宿る紋章がそれぞれまばゆい光を零して、弾けた。
身体が吹き飛ばされそうな強い衝撃に飲まれたと理解したが、それがどんな原因で起こってしまったかはわからない。
暗闇が眩しいと感じたのは初めてだ。ぎゅっと目を瞑れば、力強く抱き締めるセフィリオの腕に気付いて、その胸にしがみ付く。
ふ・・・っと、慣れてしまった転移の感覚に似た浮遊感に目を開けば、そのまま地面に落ちて転がった。
結構な高さだったようで数本枝を折りながら落下したオミを待ち構えていたのは、衝撃ではなく柔らかい感触。
咄嗟にセフィリオが庇ってくれたと気付いたが、不自然な体勢のまま人を一人庇うように落ちて怪我一つ無いセフィリオもある意味凄いとは思う。
あのタイミングでどうやって掴んだのかそれも謎だが、彼の手にはしっかりと武器が。こういうところで、オミはまだまだセフィリオには敵わないと気落ちもする。
けれどまぁ、元々の原因が目の前のコレだから、絶対言ってはやらないが。
「うーん・・・。どうやら、何らかの魔法的な力と紋章が反発を起こしたようだね」
「紋章・・・。それで・・・僕らだけ弾かれた?」
「そうらしい」
もしかすれば他の場所に仲間たちも飛ばされている可能性はあるが、今はそれを確認する手立てはない。
ただ森を抜けるための道を探して、朝も空が白じんだ時間から歩き回っているというのに全く外へと抜けられないのだ。
「・・・やられたかな」
「え?何ですか?」
見上げても、生い茂る木に視界を遮られて微かしか見えない空の色を眺めて、セフィリオは小さく苦笑した。
「そろそろ星が見えてもいい時間だ。それで、位置と方角を計っていたんだけれども・・・この場所は閉鎖空間にあるのかもしれない」
「・・・僕にも分かる言葉で説明して下さい」
歩きつかれて獣道にへたり込んだままだったオミを軽く抱えて、傍にあった倒木へと降ろす。
何だか恥ずかしくてくすぐったいし過保護だとは思うけれど、慣れない山歩きに疲れ切った身体には有難かった。
「星の位置がね、おかしいんだよ」
「はぁ・・・?」
「どうやら、僕らは誰かの魔法の中に閉じ込められている・・・みたいだね」
閉じ込められる、と告げられてオミはあのぬるりとした暗闇を思い出す。
何かが身体を這い回るような。
小さな痛みと、違和感に『嫌だ』と感じた瞬間、セフィリオの紋章を引き摺るようにオミの紋章が『ソレ』を拒絶した。
あの暗闇を思い出した途端、ぞわりと身体が震える。
寒くは無い。湿度の高い山の中は寧ろ暑いほどであるのに、身体の震えが治まらない。
「どうした、オミ?」
「や・・・何だろう、なんか・・・変な感じが」
ざわり。
「!」
二人の居る倒木のすぐ後ろ。いや、上か、横か・・・それともそれら全てか。
視線を感じて、セフィリオは棍を構える。
「そういえば。朝から歩いてるのに僕ら以外・・・生き物が居ないよねこの森は」
「そう、でしたっけ・・・?あぁ、でも・・・・鳥も」
泣き声が聞こえないどころか、虫さえ一匹として見なかった。そんなこと普通の森ではありえない。
確かに違うのだ。何かが、この森は。遠くで、小さな笑い声が聞こえる。手招きをするように優しい声で、オミを誘いながら。
「・・・セ、フィリオ」
止まらない震えを抑えるように、自分自身を抱き締めていた腕で、思わず近くに立つセフィリオの服を握り締める。
首筋が、ちりちりと痛む。耳元が熱い。空いた手で無意識に触れるけれども、その肌には何も残らず滑らかなままだ。
くすくす。また声が響く。いや、よく思い出してみれば最初からこの声は聞こえていたのかもしれない。ただ、鳥や虫の鳴き声だと思って気にしていなかっただけで。
笑い声は、オミを知っていた。囁くように、オミの名を笑い声に混じらせて、耳許へと風が届ける。
呼ばれている。何に?分からないけれど、オミは呼び声に耐えるように、セフィリオに縋った。
この腕を離したら、きっともう抗えない。ただ無力のままに、どこかに引き摺られてしまいそうで。
「・・・オミ?気分でも悪い?休ませてあげたいけど・・・ちょっと邪魔が入ったみたいだ。少し、我慢してて」
「・・・う、・・・ん」
珍しく、離れることを躊躇う仕草に、視線も何もかも気にせずに抱き締めてやりたいと思った。
何かに怯えているオミを安心させるよう、抱き締めて。離さなければいいと。
けれど、口から出た言葉は、何時ものようにからかうような軽い口調。
「珍しいね、オミがそんな風に甘えるなんて」
「あ・・甘えてません!・・・もう。僕は、ここに居ますから・・・・」
ゆっくりと、離れるオミの手の温度。夜風に冷えたのか、酷く冷たく感じたのは、ただの気の錯覚か。
セフィリオとて、オミの様子が何かおかしいと気付いていた。けれど、彼らを眺める視線は消えるどころか数を増しているようでもある。そろそろ放って置いていい数ではなくなってきたのだ。
人のような、獣のような。
複数であるのに、たった一つのような。
正体の見えない敵に、セフィリオは棍を構えてオミの傍をゆっくり離れる。
オミは動かなければ、大丈夫だろう。
薄暗く夜に染まり始めた空気に、はっきりとは分からなかったけれど、オミの顔色はいいとは言えなかった。
早く、全てを終わらせて。安全な城まで届けてやりたい。
視線の主まで近付いて、後一歩。くだらないことなのに、何故か気が急いて仕方ない。
ぱきりと、小さな小枝を踏んだ音に、何故かセフィリオは慌てて後ろを振り返った。
何が、きっかけだったのか。それは、わからないけれど。
「・・・・――――オミ?」
振り返ったそこには、オミが腰を降ろしていた倒木も、もちろんその上に座っていたはずのオミも。
何もない、ただの森の風景が鎮座しているだけで。
何もかも忽然と、姿を消していた。
***
息が苦しい。
「・・・っは・・・」
喉の奥に詰まったような空気を吐き出せば、くすりと笑う声が降ってくる。
「・・・なんだ、もう目が覚めた?暗示、効きにくい身体なんだ・・・。僕が分かる?」
耳のすぐ真横で囁かれる声に、身体がびくりと震える。
けれど、視界に映るのは暗闇のみで、自分の輪郭さえ見えやしない。
いや、今は目を開いているのか閉じているのか、それすらもわからない。
「・・・だ・・れ・・・?」
「嫌だな、もう忘れたの?」
冷たい掌が、いとおしむようにオミの前髪を救い上げ、額を撫でる。
開いているつもりの目では何も見えないけれど、流石に睫毛を撫でられて、くすぐったさに目を閉じた。
閉じてさえオミを包むのは、変わらない闇。
力の抜けた身体は、虚空に浮かんでいるようでもあり、背中を何かに支えられているようでもある。
立っているのか座っているのか横になっているのか。それすらも分からないけれど、不思議と身体は揺れない。安定している。
けれど、睫毛に触れた指が掌を交え、頬へと滑り降りて細い首筋に触れた感触には流石に我慢できなくて身を捩ろうとして、愕然とした。
「・・・ぁ・・・」
「・・・流石に、動けはしないみたいだね。なら、問題は無い」
顔が駄目なら、腕・・・せめて手を動かそうとして、けれど反応があったのは指の先程度。物を掴むことすら出来ない握力で何が出来る訳でもない。
何が出来る?いや、何をするために?動く身体で、何をすればいいんだったか、わからない。
「・・そう、別に何もしなくていい。初めてこんな上物見つけたんだ。ただで返すには勿体無いからね」
ゆっくりと顎を撫でられて、そのまま後ろを支えるように持ち上げられ、それは首筋を大きく晒すことになる。
そこは急所だ。掻き斬られれば終わり。普通ならオミのような武人は、いや、例え一般人だとてそう易々と他人に晒したりはしない。
けれど抵抗も無くオミはそこを晒す。声は嬉しげに、言葉を綴った。
「君は、僕のものになるんだ。殺しはしない。・・・人間としての寿命が終わるまで、僕の傍で生きていればいい」
どくどくと、血の流れる音がする。自分の鼓動を聞いているのだと、遠くなる意識の中でオミは思う。
濃い赤。鉄の匂い。それは・・・命の音。
「ここにね、君と離される一瞬前に目印を埋めておいた。呼び声に応えるように・・・必ず傍へ戻るように。暗示をかけて」
晒した首筋を撫でられる。太い血管の上、血の流れを楽しむように触れるその指に、チリっとした痛みは首筋からじわりと、オミの中へ混ざり込んでくる。
この感覚は、覚えがあった。
ジェイド城・・・いや、その前のノースウィンドウで。・・・・そして、ティントで。
飲み込まれかけたオミを救ってくれたのは、誰だったか。抱き締めてくれた、あの腕は。
「ぅ、ぁ、あ!!」
あの時の禍々しさはない。
けれど、身の内に宿る紋章がそれは駄目だと、受け入れることを許してはいけないと抗う。
抗うが故に上回るよう与えられるものがそれを飲み込み、痛みとなってオミを襲った。
「抵抗しないで受け入れて。楽になれる・・・ほら、もう一度聞いてみようか」
じわりと浮いた涙を拭う指先は優しい。
体温は感じられないけれど、オミを害そうとしているものではないと、それはわかった。
相変わらず見える先は闇のみで、役に立たない視界だけれど。肌に降りかかる柔らかな髪は恐らく。白銀色。
「・・・僕が、わかる?」
もう一度、囁かれる問いかけ。今度は考える間も無く、唇から音となって零れ落ちる。
「・・・・シュニー?」
「そうだよ。愛しい伴侶・・・オミ」
オミ。そう、それが自分の名前だったと。そんな当たり前のことさえ、新鮮で、嬉しくて。
首筋に触れた牙が肌を食い破って潜り込んできても、オミは抵抗することさえ忘れて、自分を『オミ』と呼ぶ声に、ただ身を任せた。
***
「オミ!オミ・・・!どこだ!?」
小枝を折った後のセフィリオが立つ森の中は、今までの記憶には無い場所だった。
歩き回って居る場所すら、誰かに見せられていた幻だったというのだろうか。
だったら、何故一晩も歩き回る二人を放置したのか。
今まで、飛ばされてから今の今まで。セフィリオはオミの傍を離れなかった。
夜は冷える森の中だ。嫌がるオミを無理矢理に黙らせて腕に抱き込んで目を閉じた。
眠りはしなかったが、目を閉じているだけでも身体は休まるものだ。腕の中のオミは少し気が抜けたのか眠っていたが、明朝には起こして歩き始めた。
歩く速度の違いで多少身体は離れても、腕を伸ばせば届く範囲で歩き続けた。
「・・・待っていた?」
セフィリオとオミが、離れる瞬間を。
思い出すのは昨夜の屋敷の中だ。何か得体の知れない闇に包まれたあの時、闇は意思を持ってオミを包み込もうとした。
狙いは決まっていたのだ。初めから。
「ただ、オミを狙っていた・・・?」
この現状に追い込まれてしまえば、オミを連れ去った相手が誰なのかは目を閉じていてさえわかる。
屋敷に住むシュニーという少年。彼しかいないだろう。
彼の正体が何であれ、どういった紋章や力が作用しているとはいえ、実際セフィリオにとってそんなことはどうでもいい。
オミを気に入り、傍へ置きたがり、挙句寝室へ引きずり込もうとした暴挙は一発程度殴った程度じゃ収まらない。
そして、この顛末。気を抜いた自分自身も許せないが、自分の元からオミを連れ去ろうなど、よくもまあやってくれた。
「・・・調子に乗り過ぎたこと、後悔させてあげないとね」
幻の森が消えたそこは、セフィリオにとって抜けることなどたやすい小さな森だ。
夜空に浮かぶ星を目印に走り抜ければ、見覚えのある屋根が木々の間から顔を覗かせる。
「セフィリオ!」
「無事だったか。まぁ、お前のことだ。心配はしなかったが・・・オミはどうした」
屋敷の前には、消えた二人の捜索を続けていたのかフリックとビクトールの姿があった。
森を抜けて姿を見せたセフィリオの後に、オミも居るものと思っていたのだろう。
「一緒に消えたから逆に安心していたんだがな。同じ場所に飛ばされたんじゃなかったのか?」
「いや・・・一緒にいたよ。つい、ほんの少し前まではね」
「・・・で、何処に?一体、あの後何があったって言うんだ?」
「それは・・・詳しいことは分からないけれど。・・・人間じゃなさそうだ。いや、『元』人間なのかも知れないけどね」
「は?お前なぁ、俺たちにも意味がわかるように話してくれ」
「飛ばされたのは、オミを飲み込もうとした力に反発したこの紋章のせいだろう。真の紋章・・・ましてやコレに対抗するなんて人間の扱える力じゃない。それに・・・」
結界の中、幻の森を見せて閉じ込め、更にセフィリオの手元から、オミを攫うなど。普通の人間が出来る技ではない。
間違いなく、今の今までオミはセフィリオの傍にいた。
離れる間際、不安そうな顔をしていたのは、何か気付いていたからなのか。今はもう分からないが、オミは何かに怯えていた。セフィリオに縋るほどに。
その手を離したのは、離させたのは間違いも無くセフィリオ自身だ。だからこそ、あの一瞬の茶化した言葉が悔やまれる。どうして、そのまま抱き締めていなかったのかと。
「・・・後悔するのは勝手だけど。助ける気がないのならそこ、邪魔だから」
晴れた月夜に、薄い色素の髪が揺れる。ふわりと身体を撫でたのは、自然で起きたのではない一陣の風。
揺れる木々を背に降り立ったのは、共に隊を組んでいたルック。そしてルックに支えられるように立つ、もう一つの影。
「ルック?・・・と。どうして、ここへ?」
彼女は元々この陣営にいなかったはずだ。いや、元々あまり出歩くことを好む人ではないのに。
「おんしらが呼んだのであろう?・・・いや、呼ばれずとも、来ていたかも知れぬがな」
彼女・・・シエラは渦巻く闇に包まれた屋敷を見上げて、小さく笑う。
暗く染まった空には蒼い月。黒い闇がシエラの紋章に怯えたように、その力を拡散させるように消えていった。
セフィリオが合流する前、屋敷内へと戻れないかフリックと二人掛りで扉を蹴破ろうとしたが、渦巻く闇に阻まれてびくともしなかったのだが。
ここへ、シエラが現れたただそれだけで、闇は消え、今ではだた普通の扉が立ちはだかるばかり。
「・・・な、んだって言うんだ?昨日から・・・これじゃあまるでネクロードの野郎の時と・・・・まさか!?」
城を見上げていたビクトールは、驚いた顔でセフィリオを振り返る。
視線を受けたセフィリオは小さく頷いて、シエラへと向き直った。
「シエラ殿。以前、オミの血はとても珍しいものだと仰っていましたが。・・・具体的に、何がどう珍しいというのです?」
「・・・おんしがそれを尋ねるかえ。もう、わかっておろうに」
セフィリオを一瞥し、笑みを返したシエラは踵を返して屋敷に向き直る。
輝く右手を伸ばせば、閉じられた扉は彼女を迎え入れるように大きく両開きに開かれた。
「あれの血は神子の血。巫女とも、御子とも、意味は同じ。浄化を高め、穢れを祓い・・・純なる魔力を高める神子の血筋」
ふわりと燐光を纏い、屋敷の中へと進み往くシエラは、もう一度セフィリオを振り返り、微笑む。
「だがあれは、自身の力とてその血を使えない。・・・だが、身体を介して、血を介して力を与えて、与えられているのは、おんしだろうに」
「与えて、与えられる・・・力?・・まさか、気の交換も・・・」
思わず、右手に力が篭る。
「あれの血がなせるもの。・・・普通の者に与えたとて、真の紋章持ちの気など、受け取れるものではない。あれの血は特殊・・・我らが求めて止まない、神子の血だからの」
言い切ったシエラの言葉に驚いている暇はなかった。
『あぁああああ―――――――ッ!!!!』
右手の紋章を介して、セフィリオに激痛が走る。
「く・・・オミ・・・!?」
幾度と無く交えた気の気配が紋章を伝わって、セフィリオに届いているのだろう。繋がった遠くで聞こえる悲鳴は、オミの声。
「早く・・・オミ・・・!」
走り込んで館内へ雪崩れ込めば、小さな黒い影が視界を遮るように飛び出してくる。
「邪魔だよ」
凛と響いた声と同時に、背後から強烈な風が吹き荒れた。黒い影はどうやら蝙蝠だったようだが、羽ばたく空間を風で吹き飛ばされた結果耐え切れずに壁へとたたきつけられた。
「うおぉ!?」
「こっちまで吹き飛ばす気かルック?!」
辛うじて吹き飛ばされるのを免れた腐れ縁二人が文句を告げるが、セフィリオもルックも、シエラでさえもその声には無反応で走り抜けていく。
「・・・ったっく、オミのことになると必死だな、あの二人は・・・」
「確かに、早く助けてやらなきゃまずいことになりそうだ。いくぞ、ビクトール」