*決戦前夜*
青白い東の空から昇り行く太陽に照らされて、深い闇夜は身を潜めるように西の空へと逃げていく。
それでも、手元の書類を眺めるには、まだ暗過ぎた。
揺れる蝋燭の光に文字を透かし、幾ら考えても抜け道がない戦いに自然と眉が寄る。
「・・・・どうしたものか」
決戦は、今日。準備は全て整っている。整ってはいるが、一つだけどうしてもいい策が思い浮かばない。
ルルノイエの城にさえ辿り着ければ、後は勢いに任せるしかないのだが、辿り着くまでがとてつもなく険しいのだ。
何せ、あちらこちらから呼び戻された軍兵全てが、ルルノイエに集中している。これはこれで徹底的に叩く機会でもあるのだけれど、集められた力は強い。
幾つかの軍は、こちらの軍でもなんとか押し返せるだろう。皇王であるジョウイが表に出てくる事は、恐らくない。
『皇』として、彼が守らなければならないのは『城』だからだ。『兵』ではない。
そして、その皇王こそ、我々の軍主が倒さなければならない相手なのだから。
「・・・・なんと皮肉な運命か」
ただ、幼馴染を取り返さんが為、戦っていたオミに残されたのは、その幼馴染を倒す事。それ以外に残された道はない。
歴史も、それを望んでいる。・・・いや、歴史と言うよりは、これが、真の紋章の呪いなのだろうか。
歴史が大きく動く戦の中心には、必ず絡んでくる大きな力。
人間が扱うには巨大すぎるその力を手に入れる為に、紋章が、所有者へ与える試練なのか。
しかし、その過酷な運命に、まだ子供のオミを立たせたのは、紛れも無く彼自身で・・・。
初めは戸惑いながらも、最後にオミはそれを受け入れた。
予想以上に上に立つ者としての器を備えていたオミに、満足こそすれ非難は殆ど感じなかった。
「・・・それも『運命』だったというのか。いや、・・・考えても、無駄な事だ」
一つ、溜息を零したと同時に、後ろで纏めていた髪がぱらりと落ちた。
鬱陶しいが、構っている余裕も、今の彼にはない。
何かを諦めたように数枚のカードを取り出し、地図と見比べ、遂には3枚に絞り込んだ絵札を軽く切って机に並べ置く。
これが、人の手の届かない大きな力で起こっている戦争ならば、神頼みも少しは役に立つだろう。
自分の運命を決定する一枚を選ぼうと手を伸ばした・・・その時。
「・・・シュウ兄さん」
軽いノックの音。シュウは考え込んでいた頭を上げ、声の主に部屋へ入るよう促した。
「・・・アップルか。どうした?休まないのか」
「・・・休まなければならないのは、分かっています。でも・・・とてもじゃないですけど眠れる気分ではなくて・・・」
同じ星の元に集まった宿星・・・仲間が二人、突然欠けたばかりなのだ。
そんな大きな哀しみの直後、最後の戦いを迎えることになった。・・・動揺するのも無理はない。
シュウは伸ばしかけた腕を止め、そのまま机に手をついて立ち上がる。
押し込められるように詰められた本棚のほんの一角にある小瓶とグラスを取って、小さく微笑みながら一つをアップルに差し出した。
「少し、飲むか?」
普段、あまり笑わないシュウだからこそ、アップルはその杯を断れなかった。
正直、酒にでも頼らなければ、とても眠れる心地ではない。
「・・・・いただきます」
狂皇子と呼ばれたルカ=ブライトを迎え撃つ戦いでも、こんなに緊張はしなかった。
分かっているからだ。これが最後の戦いになるだろうと。後にも先にも、ここで全ての決着がつくのだと。
「・・・ナナミさん、キバ将軍。・・・惜しい人を無くしました。突然過ぎて、『嘘だ』としか、思えないくらい・・・あっけなく・・・」
注がれた少し辛い酒に、身体が火照るのを感じながら、アップルは心の奥に燻っていた思いを打ちあける。
シュウは、同じように少しずつ酒を煽りながら、黙ってアップルの声を聞いていた。
「・・・・・・」
「人の命って、なんて儚いものなんでしょう。・・・シュウ兄さんが軍師としての誘いを断り続けた理由も・・・苦しいからですよね」
少しの判断ミスで、多くの命が散っていく。けれど、策を深く読めば読むほど相手を罠に誘き寄せ、それでもまた沢山の人間が死ぬのだ。
「・・・私は、まだこの手で人を殺したことはありません。でも、『言葉』では何人もの人を殺してきました」
それは、軍師としての定めかも知れないが。
苦しくない訳が無い。
いくつもの後悔と、罪悪感と、使命感と。自分が足りないと思い知った時の、懺悔。
そして、何度経験しても慣れない、人が死んでいく、その光景。
「でも、私は・・・私たちは、ここで立ち止まる訳にはいかないんです」
失ったものは戻らない。
だから、失った二人の為に、せめてもの餞にでも、勝利を掴まなくてはならない。
「こんなに急に作戦を決行だなんて・・・それは驚きましたけど。・・・オミさんが泣いてもいないのに、私たちばかりがいつまでも泣いてたら駄目ですよね」
これは、強がりではない。ある種の決心だ。
少し目尻に浮かんだ涙を拭って、アップルは聞きたかった核心を尋ねた。
「シュウ兄さん。答えられなくても答えてください。・・・この戦いに、私たちは勝てるのでしょうか」
答えに、確証などないだろう。けれども、アップルは返される言葉を予測していた。
「・・・・『勝てる』、じゃない。この戦いは必ず―――」
「『勝たなくては』、ですか?」
言葉尻を奪われて、シュウは少し驚いた顔をする。けれど、アップルは笑うばかりだ。
「流石はマッシュ先生の教え子ですね。私も、そう言いたかったんです」
敵軍には、同じ知識を知る者もいるけれど。
「『勝てない戦は無い』のでしょう?・・・ねぇ、シュウ兄さん」
「・・・・あぁ、そうだな。忘れる所だった」
戦いに賭けるのは、己自身。軍を動かす軍師が『敗北』を怖がってどうする。
「・・・あぁ、『負け』はしない。必ずだ」
「はい!・・・私はこの戦いのために、少しだけ仮眠を取ります。シュウ兄さんもちゃんと休んで下さいね」
御馳走様でしたとグラスを置いて、出て行きかけたアップルを、ふとシュウが呼び止めた。
「戻る前に、どれでもいい。一枚選んでくれないか」
指し示されたのは、シュウには似つかわしくない、占い用のカード。
きちんと並べられた3枚は、何を意味しているのかアップルには分からない。
「では、これを・・・」
「何と書いてある?」
裏返して、その面に描かれた赤い模様と、たったひとつの文字。
「・・・『火』。それだけです」
「・・・そうか」
シュウは、その答えに何を満足したのか、小さく笑みを浮べた。アップルが気付いて問う前に、その悲しげな笑みは消えていたが。
「・・・引き止めて悪かったな。もう、部屋に戻って休め」
「・・・はい。シュウ兄さんも・・・。お休みなさい」
「あぁ、お休み」
パタンと、静かに扉は閉じられる。・・・音のない、一人きりの部屋で、シュウはふと窓から空を見上げた。
この戦いの、結末は誰にも分からない。けれど。
「『敗北』は、ありえない」
ただ一つの悩み。解決策は見つかった。・・・こうまでして負けたくない自分に少し笑いが零れる。
「シルバーバーグの血を受け継ぐ貴方にも、私の策は決して負けはしない」
薄く差し込む日の光。
決戦まで、もう残るは数時間。
-----***-----
同時刻。トラン共和国首都・グレッグミンスター。
灯りのついていない暗い町の中で、たった一つだけ灯る小さな蝋燭の光。
美しい建物が並ぶこの町の中でも、特に際立って目を引く館の、一室の窓辺から零れている光だ。
「・・・・・・」
自分の部屋なのに感じるこの小さな違和感はきっと、いつも傍に居たい人が近くにいないから。
ビッキーにバナーまで飛ばして貰ったので随分と早い時間には家へ戻れたが、旅装束を解いても身を清めて休む姿勢を取ってみても、今夜は到底眠れそうに無かった。
それだけではない。何かがざわついている。張り詰めた空気というのか、何かが起ころうとしている。
戦いの中に身を置いていた者しかわからない、緊迫した空気。
それはまるで嵐の前の静けさというべきか。
いずれは狂うその嵐の中心に、オミが居る事は間違いないだろう。
「・・・・離れるんじゃなかったかな」
今頃、オミは何をしているのだろうか。
姉という、たった一人の肉親を失って、まだ一日も経っていない。
泣いている?・・・いや。
「・・・泣けずに苦しんでいる。・・・オミ」
その心は、言葉より素直だ。
セフィリオの紋章を通じて伝わるオミの心に、どうしようもない痛みが消えもせず、何度もその傷の存在を認識させられる。
心の全て、苦しみを押さえ込まず、溢れるままに泣く事が出来れば・・・どんなに楽になれるだろう。
けれど、オミは泣かない。・・・ひとりでは絶対に泣けない。
人前では、それ以上に涙を堪える。まるで、泣く事を知らないみたいに、どうすれば良いのか困った顔で苦笑しながら。
今、傍にいて、抱き締めてやれたら。
・・・オミは泣くだろうか。それとも、突放すだろうか。
苦しむ姿は見たくない。・・・だから、せめて傷を癒す涙を流して欲しかった。
と、突然右手が少し熱くなる。
「・・・ん?」
同時に、窓の外に何かを感じた。立ち上がって近寄れば、白み始めた東の空にぼんやりと何かが見えた。
「・・・近付いてくる?」
それは、一見するなら光。けれど、眩しいほどに輝いている訳でもない。・・・見覚えのあるその光は。
「・・・魂?」
誰の・・・と考える前に、窓をすり抜けて部屋に入り込んだ光は、ぼんやりと人の形を取っていく。
見覚えがある、その姿。
「・・・・ナナミ?」
『・・・・』
こくりと頷く、その姿。
肉体を離れたばかりだからだろうか。ぼんやりとしながらもその姿ははっきりと目に映る。
「どうして、ここへ?・・・その姿で近付かない方がいい。・・・何が起こるか分からないから」
紋章は、ナナミの魂に反応している。欲しがっている魂『オミ』の姉・・・近しい者だから、余計に。
「人の魂の輪から、はみ出してはいけない。・・・君は普通の人間として、また生まれてこなくてはならない魂なんだ」
拒絶の意思を示すと、ナナミはそれでもセフィリオに近付いて、首を振る。
「・・・・それとも、僕に何か・・・?」
そう問い掛けた時に、ナナミはふわりと笑って、何かを差し出した。
思わず手を伸ばして受け取ると、それは柔らかい布となってセフィリオの手の平に収まる。
「・・・・これは」
『守って、あげて』
声が、音ではなく言葉として、頭に直接聞こえてくる。
『・・・もう、あの子は・・・もたない』
「もたない?・・・もうすぐ、オミは死ぬって言うのか」
手の平に握った布には、見覚えがあった。オミがいつも身につけていた肩布だ。
これを見たのは、血に塗れてナナミの胸に巻いてあったものが最後。
『・・・だから、守ってあげて』
わたしの変わりに。
ふわりと、流れた空気にナナミの姿も歪む。
『まだ、・・・早い。こっちへ来させては、ダメ・・・。・・・死なせたり、しないで』
それは、祈るような願い。
身体を離れて、自分が死んだのだと分かっているだろうに、その表情に映るのは弟の心配ばかり。
セフィリオに伝えた言葉に満足したのか、ふわりと、その形を崩して小さな光の玉になる。
「・・・さようならナナミ。・・・また、どこかで君が生まれたら、その時は」
オミと一緒に、会いに行くから。
セフィリオの返事に満足そうに輝いて、光は天井を貫くようにすり抜け、消えた。
「・・・頼まれなくても、守るよ。オミは・・・俺のものだからね」
誰にも渡しはしない。空へだって、返すものか。
戻ったばかりの自分の家だけれど、今自分がいるべき場所はここではない。
「オミ」
守りたい人の、隣なのだから。
-----***-----
「・・・まだ・・・、まだだ・・・」
右腕を襲う倦怠感に苛まれながらも、降ろしたままの髪を揺らして起き上がる。
東の空は、もう上った太陽に白く眩く輝くばかりだ。
「・・・君も、見ているのかな」
この白い空を。穢れを知らない空気を。
ハイランドの空は、少し白くて、暗い。冷たい空気が辺りを覆っているからだろうが、暗い空はあまり、好きじゃない。
キシリと軋むベッドから抜け出れば、肌寒いような感覚に襲われる。
そろそろ秋は終わりを告げる季節になった。
「・・・ん・・・」
「・・・起きたのかい。・・・ジル」
「・・・えぇ。・・・おはようございます、ジョウイ様」
殆ど衣服を纏っていない裸体をシーツに沈めたまま、ジルはジョウイの方へ微笑みを贈る。
儀式の後、倒れたジョウイの部屋へジルが訪れていた。ジョウイが目を覚ますまで、誰にも見つからなかったのは奇跡だろう。
看病をしつつ、ジルはジョウイが何か大きな哀しみを抱えていることに気付いた。
そっと尋ねてみれば、親友の姉、幼馴染をひとり、失ったかもしれないと、深く深く沈んでいた。
腕を差し伸べれば、躊躇いながらも、縋る体。
もう血は見たく無いと、ジョウイはジルの腕の中で泣いた。
ジルは・・・ジョウイが誰を見ているのか全て分かっていながら、その腕でジョウイを抱きしめた。
「・・・こんな形で・・・君を抱きたくはなかった」
「・・・」
「分かっているのか?君の父上と兄上を殺したのは、この僕なんだよ・・・?」
「・・・知っています」
「・・・僕の目的は、この国を栄えさせることではないということも?」
「・・・えぇ」
ジルは全て知っている。
ジョウイの望みは、たたひとつきりだ。
誰よりも、なによりも、優先させるべきは・・・過去何度か会ったことのある、あのオミと言う少年なのだということも。
「・・・それでも、私は」
貴方の傍に居たかった。
幼い頃キャロの別荘で、オミと楽しそうに遊んでいるジョウイに、ふっと目が止まった事が始まり。
成長した彼を、馬車から眺め見て、心が痛んだのも、また恋の始まり。
三度目、四度目と出会って・・・想い人がまさか、自分の夫となるとは思いもよらなかった。
例え、彼の望む未来の為の、手駒のひとつだったとしても。それでも・・・。
「・・・貴方に愛して欲しかった。たとえそれが一夜の夢でも・・・私はこんなにも嬉しいのです」
涙の跡が残る頬を柔らかく緩めて、ジルは微笑む。
「・・・・・・」
・・・そんな綺麗な笑顔に、ジョウイは静かに背を向けた。
見れる訳が無い。目を背けることしか出来なかった。
嘘でも、『愛してる』と言ってやれば、どれだけ喜ぶかわかっていながら。
「・・・ごめん」
少し微笑み返すだけで、どれだけ彼女が救われるか、わかっていながら。
それでも、ジョウイには出来なかった。これ以上、・・・彼女を駒の様に弄ぶべきではないと。
・・・もう、自分の元から離さなければ。
いつまでここに縛り付けても、彼女に幸せは訪れない。
自分がここにいる以上、ジルの幸せは、ここにはない。
「・・・ジョウイ・・・」
苦しそうに名前を呼ぶ彼女は、怒っているだろうか。それとも、泣いているのだろうか。
一度も振り返れないまま、ジョウイはその部屋を後にした。
ざっと身支度を整えたジョウイを待っていたのは、斥候からの知らせ。
遂に、最後の戦いが始まるのだ。
「・・・終わりにしよう。もう、何もかも」
守りたいものの一つは、もう失ってしまった。
自分の選んだ道は、間違いだったのかもしれない。・・・もう過去には戻れないけれど。
「・・・もうすぐ、終る」
紋章に蝕まれた身体は、もう限界に近い。
獣の紋章を抑える為に、力を使い過ぎたのだろう。
「・・・あと、少しでいい」
立ち並ぶ兵の前に姿を現して、腰に下げた剣を勢い良く引き抜く。
「・・・戦え!ハイランドの栄光の為に!!」
心の無い叫び声は、それでも、ハイランドの兵士達を大きく奮い立たせた。
-----***-----
「・・・っ・・・」
差し込む光に、突然意識が戻った。
ナナミの部屋を照らす、窓から差し込んだ眩しい朝の日。
夜が、明けたのだ。
そして、戦いが始まる。行かなければ。
「・・・行ってくるね、ナナミ」
ゆっくりと立ち上がって、オミは部屋を後にする。
ここまで来たのなら、走り抜けなければ。
背負うものは、自分ひとりだけの願いではないのだから。
軍主として、その願いを叶える為に、戦わなければ。
「・・・ごめんね」
例え、その為に自分が朽ちようとも。
聞こえはしないだろう相手に小さく謝って、オミは大広間へと足を進めた。
NEXT
⊂謝⊃
お久し振りデス、ゲームストーリー!!いや本当に。ええと何ヶ月振りですか連載始めるのは(笑)
お待たせしてしまって申し訳御座いません・・・!!
って、待っててくれた方は一体どれだけいるのやら(笑)
それなのに、絡みも何も無く暗いムードでの開始でスミマセン!(笑)
出来るだけ早い間隔で続きを仕上げて行きたいと思っております!が、あくまで予定は未定(笑)
・・・のんびりとお待ち下さいませv(笑)
ではでは、読んで下さりありがとうございましたv
斎藤千夏 2005/04/17 up!