01.解ってるから言わないで
太陽は相変わらず照り付けているのに、暑いだけの少し前と比べれば、髪を揺らす風が涼しくて心地良かった。
隣には、セフィリオ。
一応、護衛として一緒に旅をしてくれているのだけれども、僕らは所謂・・・お互いを好きな関係で。
ちらりと横を盗み見た僕に気付かず、空を見上げながらセフィリオは何かを呟いた。
「・・・もっと寒くなれば、それはそれで楽しいかもな」
「はぁ?何言ってるんですか?」
返事が返ってくるとは思ってなかったんだろう。
食べかけのパンを口に銜えつつ、セフィリオの身体が僕の肩に寄りかかった。
「・・・ちょっと」
「うん?」
「・・・重いです」
「うん」
暑い気候の地域では、こうやってくっつかれること事態が嫌で良く撥ね付けていたけれど。
木陰の下、涼しい風の中では特に抵抗する理由もなくて、ただ小さく文句だけ呟いてみた。
・・・そしたら、調子に乗られてしまった。
「って、今度は何ですか!?」
「食休みついでに、少し昼寝しないか?」
口では最もな理由を吐きながら、セフィリオは飄々と僕の膝の上に頭を乗せる。
流石に、少し慌てた。
「あのですね!一応、ここは道のど真ん中で、誰が通るか分からないんですよ?そんな所でこのまま寝れる訳が・・・」
「通らないよ」
「・・・何処から来るんですかその自信は・・・」
・・・どれだけ口で説明してもわからないんだったこの人は。
呆れたように深い溜め息を零した僕の首を、伸ばしてきたセフィリオの腕が引き寄せた。
膝にセフィリオを乗せたまま引き寄せられたから、少し苦しい体勢ではあるんだけれども。
「っちょ、何ですか、苦し・・・」
「好きだよ」
「・・・ッ」
突然の言葉に、咄嗟に文句の続きを吐けなかった。
一瞬理解に遅れて、体裁も忘れて戸惑った僕は、覗き込んでくる蒼の瞳に耐え切れなくて、慌てて目をそらす。
「・・・、も、離してください・・・!」
少し切実な声になってしまったけれど、珍しく素直に離してくれた腕にホッとして、妙に高鳴りだした動機を隠すように身体を離した。
あぁ、暑い。いや・・・熱いんだ。
涼しい風はいっそ冷たいほどでもあるのに。
火照る頬を冷ましてはくれない。
「ん?オミは?」
「・・・し、知りません・・・っ」
慌てて逃げた僕の動揺を気付いていながら、セフィリオは何でもないように僕に返事を求めてくる。
・・・こういうところが、意地が悪くて嫌いなのに。
僕はどうしてか、膝に乗せたままのセフィリオの頭を退けようとは思わなかった。
「そう。嬉しいよ」
「何も言ってませんから!」
それが、先程の返事だと思われるとは思わなかったけれど。
さっきより熱くなった頬を隠すことも忘れて、僕は怒鳴る。
けれど、やっぱり、触れるセフィリオの肌から逃げようとは思わない僕の身体。
・・・言葉には恥ずかしくて出来ないけれど、なんとなく、伝わって欲しい僕の気持ち。
まさかそれを感じ取ったわけじゃないと思う。
「好きだよ」
熱い頬に伸ばされた手が、そっと撫でながら・・・今度は囁くように、思いを込めて囁かれた。
何度も何度も。もうこっちが受け止めきれないほど、セフィリオは僕に心をくれる。言葉で、身体で。愛してると。
素直に返せればいいんだろうけれど。
それはまだ出来ない僕の甘えを、それでもセフィリオは笑って許してくれるから。
「・・・そうですか・・・!」
受け取るだけ受け取って、僕は目を反らす。
疑う余地もないほどに心をくれるセフィリオが、そんな返事でも嬉しそうに笑ってくれるから。
もう少しだけ、逃げさせてもらおう。
2007/09/01 up
02.伝わってくる体温
静まり返った、街の夜。
旅の途中で立ち寄った街は比較的栄えた街であったらしく、昼間の賑わいはそれはもう大変なものだったのに。
夜の帳が覆いつくした空気には、その喧騒さえ忘れてしまいそうなほど静かで穏やかな気配しか残っていない。
唐突に目が覚めた。
安宿でいいと言ったのに、一国の王がそれじゃ示しが合わないと無理矢理連れて行かれそうになった高級宿を全力で拒否して、なんとか中の上程度まで粘って飛び込んだ宿。
普通に旅人たちが利用する程度の宿ではあったけれども、内装も綺麗で文句なんてあろうはずもなかった。
真っ白いシーツからは陽を吸い込んだ良い匂いがしたし、食事も満足のいくもので。
各部屋に用意されている小さな湯殿で身体を綺麗にすれば、当然のように伸びてきた腕に抱き締められて・・・相変わらず何も身に着けないままベッドに潜っていたらしい。
そんな熱い空気を逃がすためか。寝入る前までは閉じていた窓も何故か少し開けられていて、そこから忍び込んできた空気に小さく身体が震えた。
寒さに温もりを求めて手を動かせば、隣に暖かな熱源を見つけて、擦り寄る。
「・・・ん」
人の体温がこんなにも心地良いなんて、知らなかった。
いや、義姉や親代わりであった老師とは幾度も同じ床に付いたこともあったが、触れ合う他人の肌にこんなにも安堵するなどとは知らなかったのだ。
擦り寄れば、とくとくと穏やかな音が響いてくる。
伝わってくる体温と共に、穏やかなこの音がまた浮き上がりかけていた意識を深く沈めていく。
寝入りかけたその時、唐突に自分を呼ぶ声が聞こえた。
「・・・オミ」
後悔の混じった、苦しそうな声。
擦り寄った身体を抱き締められて、我慢できないように何度も何度も、僕の名前を繰り返すセフィリオ。
「オミ・・・オミ・・・」
普段、起きている時は大抵俺様で、誰よりも強くて世間慣れしてるせいか、振り回されてばかりの僕だけれど。
そんなセフィリオにも、誰にも見せない弱さがあることを、知っていた。
「ごめん・・・」
何度となく訊いた言葉。
「・・・ありがとう」
何度となく、受けた感謝。
外見が強い分、中に秘めた弱さは本当に見つけにくい。けれども、夜、誰もが寝静まった暗闇の中、セフィリオはたまにこんな風に痛みを露にする時がある。
後悔しているのだろうか。
今のこの、現状を。
全てを犠牲に、手放して、二人世界を生き続けることを。
それは、僕らが出会ってしまったことを後悔しているように思える。
出会わなければよかった?それは、本当に後悔なのかと。
確かに、セフィリオと出逢っていなければ、今の自分はないだろう。
今と同じように旅をしていただろうとは思うけれども、隣にいるのはセフィリオじゃなくて、ナナミやジョウイだと思うから。
いや、もしかしたら一人旅だったかもしれない。
それ以上に、生きていないかもしれない。
もし、セフィリオがいなければ。出逢っていなければ。自分はこんなにも『生』にしがみ付こうとはしなかっただろうと思う。
年を取ることを放棄して、世界の全てに反発して、ただ二人で時を流れるように生きる。
時代が流れて、この世界に取り残されても、今隣にいる温もりは消えない。
それが現実。・・・『もしも』じゃない、本当の真実。
自分は後悔などしていない。まして、出会ったことに感謝しているのに。
「・・・オミ?」
声に出さなかった分、身体に現れてしまったらしい。
思わず抱き締めてしまったセフィリオの腰から、今更だけども力を抜くことも出来なくて、ただじっと押し付けた胸から鼓動を聞いていた。
多分、目が覚めていると気付かれている。
けれど、無理に起こそうとはしないだろうと、それも知っているから。
ただ黙って抱き締めていた腕をとられた時は少し驚いたけれども。
続いて手の甲に触れた唇の感触に、伝わってくる想いに。
見られているとわかっていても、少しだけ唇が緩むのを抑え切れなかった。
2007/10/09 up
03.それでもキミは許してくれる
幾ら心を通わせた相手だって、気恥ずかしいものは恥ずかしい。
ある意味、触れ合うどころか言葉を交わすことさえなかった空白の十年がある限り、余計に。
側に居て、触れてくれることは本当に嬉しいことだけれど、それより人目を気にしてしまう僕は別に悪くはないと思う。
ここは旅の途中。
立ち寄った町の、賑わう市場を、旅に必要なものが売られていないかと眺めて歩いていた。
「・・・セフィリオ」
「ん?どうしたのオミ。可愛い顔が強張ってるよ。歩くの疲れた?どこかで少し休もうか?」
セフィリオはどこまでが本気かわからないような甘い言葉から、果てに過剰な接触を好んではべたべたと触れてくるけれど。
実のところ、僕の方からセフィリオに触れたり、心を言葉にして表すことは滅多にといって良いほど、ない。
抱き寄せられた腕を拒むことは少なくなったとは思うけれども、それでも人前では差恥が先立って、どうしても強く拒んでしまう。
「いえそうじゃなくて。・・・放してくれませんか」
隣を歩くセフィリオは、どこまでも楽しそうな笑顔を撒き散らしつつ、自然な手付きで僕の腰を抱き寄せて歩く。
周りから視線を受けても何処吹く風で、男同士のそんな光景に集まる視線が痛いと感じるのはどうやら僕だけらしい。
「駄目だって。オミ、自分の立場の自覚ある?護衛が離れるわけにはいかないよ」
「でも!だからと言ってこんな体勢で歩くことないですよね!?」
「わからないよ。どこで何が起きるのか誰も予測なんかできないしね。それに・・・」
ちらりと周りを見渡して、苦笑したセフィリオは僕らに集まる視線にやっと気付いたのか、それとも気付いていたけれど無視している中に何かを見つけたのか小さく苦笑する。
「オミは無自覚だから。この手を放したらすぐ何処かへ連れて行かれそうで怖くてそんなことできないよ」
「・・・はぁ」
ということは、後者で僕の護衛という立場上、気になる視線を感じたということか。
奇異の目で見られているこの現状以外にどんな視線を感じたのやら、僕にはわからないけれど。
僕らはこれでも、立場的には『主人』とその『護衛』だ。
ただ、僕が位の高い貴族というわけではなくて、一国の『王』であるのだけれど。
職務責任で警戒中なら、仕方ないとは思う。長年の城内引きこもりをしていた僕よりは、その間ずっと前線に居たというセフィリオの方が危機を察知するのもわからなくもないから。
ぼんやりと、回る腕に硬直していた身体から力が抜ける。
色を含まない接触であるなら、別に問題はないだろうと溜息を吐いた。その瞬間。
「愛してる、オミ」
柔らかく暖かいものがこめかみに押し当てられ、すぐ離れたけれども余韻に響いた音までは消せない。
硬直し、途端上がる顔の温度をごまかすことが出来ず、差恥に浮き上がる涙に慌ててセフィリオの腕から逃れる。
「な、何するんですか!」
「別にいつもしてることじゃないか」
「視線を気にして下さいよ!恥ずかしくないんですか?!」
「隠すことじゃないし。牽制にもなる。・・・そんなに嫌がられると、余計煽る気もするけど・・・」
「何が言いたいのかわかりませんけど、こんなことされるなら余計に近寄れません。触らないで下さい」
「寂しいこと言わないで。俺はただオミが好きだって言いたかっただけで・・・」
「だ、からって・・・人前では止めて下さいってもう何度目ですか・・・!もうセフィリオなんて知らない・・・!」
そう言い切ってしまえば、セフィリオは伸ばした腕を諦めたように下げてくれた。
どんな顔をしているのかセフィリオを置いて早足で歩き出した僕には分からないけれど、それでもきっと少し困ったように笑っているのだと思う。
立場的には『主人』とその『護衛』であれども、僕らは確かにお互いを好き合っているし、それを疑うことはないけれど。
セフィリオがもし僕に対して僕のような態度を取るとしたら、きっと僕は傷ついてしまうだろう。
寂しいと、悲しいと感じるに違いない。
「・・・分かった悪かった。もうしないから怒らないでよオミ。愛しているのは本当だよ」
「・・・・」
「オミ、好きだよ」
「・・・・」
「愛してるから、嫌わないで」
こんな時、気持ちを言葉に出来ない素直になれない自分がとてつもなく嫌な存在に思えてしまうのに、セフィリオはそれでもそんな僕を好きだという。
嫌われることに怯えている僕が不安にならないように、優しく笑いながら『愛している』と、言ってくれる。
意地を張り過ぎて可愛くないことはわかっているけれども、性格的に人前ではどうしようもないのだ。
そんな僕を理解してくれているセフィリオにはまだ少しだけ甘えるとして、人前での態度はしばらくこのままでいよう。
だから、僕は返事を返さないまま、セフィリオを振り向くこともしないで、ひとり前を歩く。
だけど、せめて。
二人きりの時には。
2009/03/25 up
04.自惚れそうになるのが恐いから素直になんてなれないよ…
まだ大丈夫だろうと余裕を持って森の中を歩いていた僕らの頭上が、急激に暗くなり始めた。
そこから急いだけれど、辿り着いた街の中は誰一人で歩いているわけでもなく、一晩の宿を探すのも苦労しそうな静けさだった。
山間の、辺境とはいえ結構広い街であったから、探せば見つかるかもしれないと、薄暗い場所を避け、灯かりにつられて近寄ればそこは『夜の街』だった。
隣であからさまに失敗したと顔を歪めているセフィリオに、庇われるよう壁に挟まれたのは突然のことで驚いたけれども、僕らを良客だと見極めたらしい女性の波に飲まれたのはほんの一瞬の出来事だった。
「・・・うん、でも宿を探してるところだから」
セフィリオは自分の宿へと誘う女性たちへ柔らかく拒否の言葉を紡いでいるけれど、誰一人諦めようとしない。
ちらりと顔を見上げれば、確かにセフィリオの顔は良い方であると思うし、紋章の呪いがなければきっと背も高く成長していたに違いない。
けれど、どう見たって十代の僕たちを客として引き込もうとするところは、この土地柄なのかもしれない。
山を越える旅人のための街だとはいえ、そう頻繁に客があるわけでもないのだろう。
引く手数多のこの現状を見て、ふっと遠い過去のことを思い出す。
誰にだって、忘れたいほど辛い過去はあるものだ。
僕の中にも幾つかあるけれど、最もなものは物心付いた頃からの記憶だろうか。
あの頃の僕は、目の前の彼女たちと同じ立場に立っていたのだ。
僕には、客を選ぶ自由などありはしなかったけれど。
こんな綺麗な服などもってのほかだったし、優しく扱う客なんてほとんどいなかった。
「だから、僕らは相手出来ないよ。客にはなれない。だから離して欲しいんだけど」
これが男相手なら殴り倒していただろうセフィリオも、流石に女性には手をあげたりはしない。
「・・・・」
柔らかく拒否し続けるセフィリオの背中を眺めて、僕は少し不安になった。
幾ら商売女だからだと言って、相手は綺麗で柔らかい女の子たちだ。それに比べて、十年前よりも細くなってしまった自分の身体の貧弱さに、セフィリオはいつか愛想を尽かすのではないかと。
セフィリオに問えば、そんなのはいらぬ不安だと笑われてしまいそうだけれど、不安は、消えない。
セフィリオだけじゃなく、僕に対しても誘い言葉をかけてくる女の子はいる。いくらセフィリオに庇われていようとも、周りを囲まれてしまえば逃げ道はない。
けれど、セフィリオを誘う女性たちほど、僕へ声をかける女の子たちは強引ではなかった。
たまに手や、伸ばした髪に触れられて、微笑む女の子たちはきっと気付いてしまった。
僕とセフィリオが唯の旅人じゃなくて、連れ添い合う間柄なのだと。その証拠に、それ以上の誘い言葉をかけてこなくなったから。
たぶんきっと、この子達はまだここに来て日が浅いのかもしれない。まだ、きっと。嫌々ながらに、この仕事をしているのかもしれない。
こんな職を選んでしまわなければ生きていけないほど貧しそうな街ではないのに、手っ取り早く儲けようとした結果がこんな形に歪んでしまったのだろうか。
この場所自体は存在する理由があるのだろうし、こういう場があるなら働く人手もいるだろう。けれどそれが、望んでなのか、無理やりなのか、仕方なくなのか。
無理やりや仕方なくこの場で働く彼女たちに、何か出来ることはないのだろうか。
自分の『王』としての責任と、国としての見直しが必要かなと少々遠い目で考える。
そこへセフィリオの視線を感じて目を上げれば、何か言いたげな目で見つめられた。
いい加減、セフィリオも疲れているらしい。逃げ道はないかと視線を彷徨わせれば、先ほどの女の子たちが固まって、波を抜け出る道を示してくれた。
セフィリオに伝えようと伸ばした腕は、一瞬空を切る。
視線を合わせて気を緩ませていたためか、一層強く引かれた腕に引き摺られてしまったらしい。
けれど、問題はそこじゃない。
勢いに任せてセフィリオの腕を引いた女性に突き飛ばされた少女から悲鳴が漏れたからだ。
セフィリオに伸ばすはずだった腕をそのままその少女に伸ばして、抱き止めた。
「・・・大丈夫?」
こくんと、涙の浮かんだ目が上へ向けられる。
年の頃は、十台もまだ前半だろう。何が理由でこんな場所に居るのか分からないが、まだ幼いと言ってもいいほどの少女が負うべき仕事でもないはずだ。
痛ましさに涙を指先で拭って、頬を撫でる。それでも、少女が笑ってくれたから、安心させたくて、僕も笑みを返した。
「・・・なんと言うか、オミ。流石だ」
見ていたのか、先ほどに比べて静かになった周りと同じように、セフィリオは苦笑を浮かべた。
抱きとめていた少女の知り合いなのか、先ほど僕の髪に触れ、逃げ道を示してくれた女の子が僕から彼女を受け取りながら、そっと背後を促す。
「何を言ってるんですか。・・・今のうちに行きましょう」
逃がしたことを見咎められれば、きっとこの少女たちも危ないだろうに。
それでも僕はセフィリオの手を引いて促した。流石、細く開いた道に目ざとく気付いて、セフィリオは風のように走り出す。
僕も足を引っ張らないように必死で走るけれど、長年の怠惰は昔のように身体を軽くしてはくれない。それでも、追いかけてくる女性たちを撒くことは容易かった。
あの街へ足を向けた森に逆戻りしてしまったけれど、もうこれは仕方がない。
なんとか休める場所を探して、二人腰を降ろす。
なんだか疲れてしまった。あの街の在り方について、城で宰相を務めているシュウへと報告を纏めなければと思いつつも、身体が休息を欲しがっている。
閉じそうになる目を何とか必死で開いていれば、突然腕を引かれて、セフィリオの脚の間へ挟みこまれるように抱きしめられた。寄せた身体から香るのは、先ほどの女性たちの匂いだろうか。わかってはいるけれども、知らない女の人の香りに身を硬くした僕を逃がさないように、セフィリオは抱きしめる腕の力を強くする。
「どうしたんですか・・・セフィリオ?」
何も返事はない。代わりに、抱きしめた僕の肩に顔を埋めて、離さないように拘束が強くなる。
いつでも、自信満々で、明け透けもなく僕を好きだと伝えてくるセフィリオ。
初めはその強引さに流されて、気が付いたら僕もセフィリオに気持ちを返していて、だから、言わなくても、言われなくても分かっているつもりだ。
でも、本当にそれは永遠に続くものなのか。僕らが互いを思う気持ちは、両方の想いが同じであるからこそ幸せなのであって、もし、片方が薄れてしまったら?
「セフィリオ」
今はこうやって抱きしめてくれる腕が、他の人へ向けられるかもしれない。
その時、僕はどうするのか、どんな行動を取ってしまうのか、自分でも分からない。
きっと、僕の気持ちは変らない。
セフィリオが誰を好きになろうとも、きっと僕はセフィリオを好きなままなのだろう。
けれど、不安は残ってしまうのだ。
愛されていると分かっているけれど、どうしても素直に言い返してあげられないのは、きっとそんな不安があるからだ。
返事を返さない僕へ何度でも、答えを聞きたがって囁いてくれる愛の言葉に安堵するからだ。
少しずるいかなとも、思う。
気持ちを貰うだけ貰って、素直に返せない僕をそれでも好きだと言ってくれるセフィリオ。
「・・・今日はこのまま抱きしめさせて」
それでも僕は言葉を返せずに、ただ、セフィリオの腕を受け入れるしか、返事を返すことは出来ないのだ。
2009/03/25 up
05.一回しか言わないからな!
数日前に立ち寄った街から離れて、また僕らは違う町へとやってきた。目的は市庁舎だ。城と繋ぎを取るために安全な手段を求めれば、やはり定期的な報告書を纏めている市庁舎に向かうのが最も手っ取り早い。ここには、国に勤める兵士たちが居るからだ。
僕が国王だと知らない兵士たちに無理を通すことは、流石に出来ない。だから、普段は隠している徽章をきっちり着込んで貰って、セフィリオの名前を盾に手紙の郵送を認めて貰った。
報告書や嘆願書に紛れ込ませると言っても、僕の手紙は確実にシュウへ届けなければならない。一般兵には分からなくとも、城にさえ届けば確実に宰相まで届けられる押印と言うものは存在する。その内、最も重要視される押印・・・王印を持たされていたので、問題はなさそうだ。
「ところで、貴方はセフィリオ様の・・・?」
「・・・『様』・・・あ、いえ・・・僕は、その」
しまった。セフィリオの名前を使うのは良いが、確かにそうすれば関係を問われるのは当たり前だろう。
ここで真実を話しても恐らく問題はないだろうけれど、やはり自ら名乗るのは戸惑われた。
「・・・いえ。詮索が過ぎましたね。あの方のお名前はよく耳にしております。今は極秘任務中だとか。まさかあんなにお若い方とは思いませんでしたが・・・どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
手紙を送ったという証明まで受け取って、待遇の良さにセフィリオの名前の使い所を今後改めなければと考える。
「あの若さで、戦火を潜り抜けた宰相殿に認められた。我々は平和なアルジスタを愛してはおりますが、この国を守るために強くなる鍛錬は欠かせません。あの方は、我々兵士の憧れの的なのですよ」
「・・・そう、なんですか」
思わず、苦笑が漏れてしまう。戦火。確かにそうかもしれない。それにセフィリオはその歴史に刻む戦火を二度も潜り抜けてきたのだから。
用事も終わったのだからと辞去しようとすれば、穏やかな兵士は頭を下げて、僕に告げる。
「・・・ずっと、お側に居てあげて下さい。噂には、彼の方は強さだけの冷徹な武人だとお聞きしておりました。まして人などではない強さだと。・・・けれど、ひと目お目見えして考えは変りました。彼は人だ。強くとも、弱い人です」
「・・・あの」
「過去は本当に噂通りだったのかもしれない。けれど貴方へ穏やかな笑みを向けるあの方が、そんな人間には思えないのです。貴方のお陰で、憧れは消えそうにもありません」
にこりと、喰えない笑顔を浮かべた兵士に僕も苦笑で笑い返しつつ、小さく頷いた。
辞した部屋の扉の前で、退屈そうにしているセフィリオは、確かにちらちらと兵士たちの視線を受けている。
この若さでとは言われても・・・実年齢はほぼ倍だ。きっと、あの兵士より年上だろう。それはもう、仕方ない。
「セフィリオ?終わりましたよ」
声をかければ、先ほどの無表情から一変笑顔に摩り替えて、僕の荷物をさっさと持って歩き出してしまう。
早くここから出たくて仕方がないとでも言うように歩くセフィリオの背中を眺めて、笑ってしまった。
「・・・何だか、違和感あるな」
「オミがそんな格好をしているからだよ」
奇異の視線が途切れない。僕らの関係を、先の兵士のように見極められなくて戸惑っているのだろう。それよりも、僕より偉い立場だと思われているセフィリオがいたたまれなさそうで笑ってしまうのだ。本当に、地位や名誉を与えられても、それをいらないと言ってしまうのがセフィリオの本質だ。くすぐったくて仕方がないのかもしれない。
「だって動きやすいんです」
衣服のことに関しては僕だって文句を言いたい。
動きやすい僕の服と比べてあんなひらひら纏わり付く長衣を着ていながらなんであんなに軽やかに棍で舞えるのか。今度じっくり問いただしてみようと思う。
「・・・早く出よう」
やっぱり、思った通りに居心地が悪いのか、セフィリオはそんなことを言う。
あの日から。・・・花街に迷い込んでしまったあの夜から、少しだけセフィリオの様子がおかしかった。
いや、それは、十年振りに出逢ったあの日から予兆は出ていたのかもしれない。僕らの立場は変ったけれど、内面は変っていないと思っていても、セフィリオは僕を無意識で庇おうとする。守ろうとする。
人の、視線からさえ。
「何ですか?僕、こういう所も見て回りたくて城を出たんですけど」
意地悪だと思うかもしれないけれど、そう告げてみれば、迷うような素振りを見せた後、やはり擦れ違った兵士が僕の方に視線を向けた途端、さりげなく遮りつつ首を振る。
「・・・また機会があるよ」
「・・・そうですね」
何をそんなに不安なのか。ぎゅっと手の平を握って、僕はセフィリオへ声をかける。
「セフィリオ」
「ん?」
「・・・ちょっと、人の居ない場所、行きましょうか」
一瞬、セフィリオが固まった。何を想像したか、僕の言い方も悪かったとは思うけど、軽く睨めば慌てて空咳で誤魔化してくる。
「別にそんな意味はないですからね」
「真顔できっぱりと言わなくてもいいじゃないか・・・」
それでもセフィリオは僕の腕を引いて町を抜け、静かな空の下、広い草原へと連れてきてくれた。
「突然どうしたの?そういう意味がないなら余計に」
「・・・あのですね。セフィリオみたいに四六時中そんなこと考えてませんから普通」
もう一度睨むけれど、その視線をまた嬉しそうに受け止めるセフィリオがわからない。
「何を笑ってるんですか?」
「・・・いや、うん。ごめん」
もう一度、今度は視線から逃げるように仰向けに寝転がる。それでも手を差し出されて、他人の目がない場所で僕は素直に握り返してしまった。
「で、結局どうして?」
握った手に指を絡められて、咄嗟に逃げたくなったけれど、強く握られてまたそれも叶わない。視線だけで寝転がるように促されて、仕方なくセフィリオとは互い違いに視線を合わせて寝転がった。
「勘違いだったら、すみません。でもセフィリオ、何だか人目に疲れているような気がして」
セフィリオは沈黙している。僕はセフィリオを見ていても、セフィリオの視線は空へ向けられているから。
けれど、きっとこれは勘違いじゃ、ない。
「昔ほど、戦いに慣れているわけじゃないですし、僕が気付かない危険とか、気を張ってくれているのは良くわかります。でも、少し、気を張りすぎかな、とも思うんです」
柔らかな、風が髪を混ぜる。
「セフィリオ、知ってますよね?僕は、それほど、弱くも脆くもない。立場を考えたら、素直に守られていろとまた怒るかもしれませんけど、僕はセフィリオにとって、後ろで守られるだけの存在じゃ嫌なんです」
置いて行かれた十年前。伸ばされた手を跳ね除けたのは僕だけれど、守られる立場になりたかったわけじゃない。
「守られる後ろではなくて、セフィリオ。わかりますか?
僕だって男だ。大切な人なら守りたい。せめて同じ目線で、隣に立って居たい・・・・この意味、伝わりますよね」
戻りたかった。出逢った頃に。
王ではなかった、唯の『オミ』であった頃に。
「そうだ。そうだね。何を怯えていたんだろうか、俺は」
空へ向けられていた視線が、苦笑して、そのまま何時もの強気は笑顔へすり替わっていく。
自信の溢れた、意地の悪そうな、セフィリオの笑み。
「オミ。今の気持ち。言葉で、聞かせて」
「・・・嫌です」
「照れないで。俺だって不安な時もある。オミのこと、確かに過保護に守り過ぎていたね。だから、俺が安心するためにも言葉が欲しい」
意地悪だ、と思う。掴まれた手の、指が・・・絡む。
「俺も言うから。・・・オミも聞かせて」
改めて、誓うように。僕らは声を重ねて、紡ぐ。
「この世で誰よりも、貴方だけを」
愛しています
2009/03/25 up