A*H

Angel Halo 0 −Eden−

* Eden 2 *






「アーティ」
バサリと翼を羽ばたかせて降りてきたゼロを、満面の笑みで向かえる小さな子供。
「ゼロ・・・!」
転びそうになるほどの勢いでゼロの元へと駆けて来る姿は、本当に小さな美しい天使の子供にしか見えないが。
アーティエと名乗った子供が纏うのは、何ものにも染まらない漆黒の衣。けれど、黒衣が包む肌はゼロの絹衣にも負けないほど透明に透き通っていて、露出の多い衣服からちらちらとその肌を覗かせている。
天より降り立ったゼロの傍に近寄るまでに、やはりというか足を縺れさせて転びかけるが、同時に背中の小さな黒羽を動かして、崩れかけたバランスをどうにか持ち直した。
ゼロも咄嗟に差し出してしまった腕を慌てて引いて、無事な様子のアーティエに安心したように微笑む。
「・・・良かった、また会えたね」
「うん、僕、ずっとここにいる・・から!また会いに来てくれる・・・?」
「・・・何度でも」
初めて会った時、この小さな子供が悪魔の子だとは到底信じられなかったゼロだが、一定距離から近付こうとしないアーティエを見ているうちにそれは本当のことなのだと思い知らされた。
近付かないのではない。近付けないのだ。
アーティエのような小さな悪魔がゼロのような上級天使に触れられでもすれば、その身体は跡形もなく溶けて消えてしまうだろう。
それを本能で感じているのか、ゼロから腕一本程度の距離を保ちつつも傍に近寄って、腰を降ろす。
「何度でも?また、ずっとここで待ってれば、来てくれるの?」
「・・・僕だって、アーティに会いたい。君さえ嫌でなければ、僕もずっとここにいようか」
「ほんと・・・っ?本当に、一緒にいてくれる?」
アーティエは本当に生まれたての子供そのものだった。どうしてそんな子供がこの場所に居るのか、ゼロにも皆目見当がつかないが、好奇心は旺盛で、興味のあるものから決して目を離そうとしない。
嬉しければ光が溢れるように笑うし、悲しければ顔を歪めて涙を浮かべる。
色鮮やかな感情の昂ぶりと同じように、背中の小さな羽も小刻みに動いて音を立てた。
「・・・あぁ。本当に」
そうだったら、いいなと。
ゼロは、少し寂しそうな笑顔を浮かべて、微笑んだ。
その柔らかな髪に触れたくて、けれどそれは駄目だと自身に言い聞かせ、両手を地面に固定する。
そんなゼロの心中を知ってか知らずか、罪作りな笑顔を浮かべたまま、とても嬉しそうにアーティエも微笑んだ。
もう何度目になるのか、この逢瀬は誰にも秘密の二人だけの時間となっていた。
何をするでもない。ただ、湖の辺に座って話をするだけ。
天界や魔界と違い、日の浮き沈みする間の世界でお互いの顔が見えなくなるまで、毎日の様に二人は他愛もない話に時間を使い続けていた。
他に、何も望まない。
いや、望むことが罪なほど、この逢瀬こそが幸せ。
ただ、二人だけのこの時間だけが何時の間にか、総てに幻滅していたゼロにとって変えがたいものとなっていたのだ。
「・・・そんな、まさか」
生い茂る森の木々の中で、小さな呟きが響く。
会話に夢中の二人は、その影にも声にも気付かない。
「・・・天界を裏切るなんて、まさか・・・君が」
ショックを隠し切れない、震える声で呟いた後、声の主はその場から姿を消した。
「・・・あ、大きな鳥!凄い、真っ白ー!」
「・・・あぁ、本当に」
天界の入り口となる太陽に影を作る純白の鳥は、二人の視界を奪うように光の方へと飛んでいく。
「あ、でも・・・ゼロも綺麗な大きな鳥、みたいだったの。・・・でも、天使・・・なんだよね?」
「・・・そうだよ。確かに、珍しいかもしれないけれど」
容姿が異端なのは、何も悪魔に見えないアーティエだけではない。
ゼロ自身も、身に纏う衣が闇ならば。背に生えた翼が漆黒ならば、それはそれは美しい悪魔となっていただろう。
光をも透かす事のない漆黒の髪。そして見る者を魅了する紫電の瞳。二つとも天界には存在しない闇の色だ。
初めて会った時、アーティエがゼロに天使かどうか確認を取ったのは、背の翼を見てもその存在が疑わしいからだろう。身体もその身に宿す力も、確かに得難き偉大な力だが、異端であることに変わりない。
「・・・アーティが闇に生きる悪魔で在るように、僕も天に縛られて動けない御使いの一人なんだ。・・これだけは、変わらない事実なんだよ」
上級天使と言えど、所詮神の手駒。
次代と言われようと、次の討伐命令が下れば、真っ先にゼロはアーティエの仲間を滅する存在となる。
勿論それはアーティエの存在をも例外ではない。
「・・・ゼロ?」
「・・・この世界は、誰の物でもないのにね」
間の世界を独占しようとしているのは何も、悪魔だけではない。天界の天使達も、神に命じられるままこの地を手に入れようと侵略を続けている。
光で在ろうが闇で在ろうが。お互いが干渉できるこの世界にとってはどちらも侵略者に変わりはないのに。
何かの理由にかこつけて、己の力の為に侵略する。
結局は、同じことなのだ。
「正義なんて・・・結局何処にもないんだろう」
正義などという言葉も一体どこから生まれてきたのか。
神が『正義』で魔が『悪』だと。それは、ただ天使として世界を眺めた結果に過ぎない。
誰しも、上の言いなりでしかないこの世界で、己自身の力で何かを考え、行動する者は極端に少なかった。
それは、この世界に何も目的がないからだ。
神も魔王も同じ力量を持つ者同士で、世界をかけた壮大な遊戯をしているだけに過ぎないように思えてくる。
持て余した、長すぎる時間を過ごす為に。
そんな二人にとって、天使も悪魔も、自我を持たない遊戯の駒でしかないのだろう。
・・・・けれどゼロは。
「でも、僕は、救われた。・・・気付かせて、くれた」
こんな曖昧な世界で、己の望みとして、ただ一つの真実を見つけることが出来た。
「・・・愛してる、アーティエ」
「・・・ゼロ」
これを幸せと言うのだろう。
きっと二人は、この世界の誰よりも。
出遭えた事全てが幸せだと。これ以上、望みなどない。
・・・・『触れたい』などと、傲慢な望みなど・・・。





***





「・・・それは、事実なのですか?」
「はい・・・」
光溢れる聖堂。
極薄の柔らかな天鵝絨を何重にも折り重ね、その向こうから、静かで美しい声が、聖堂に跪くルックの頭上に降り注ぐ。
ここは神の間。
総てを司る『聖域』の御座す場所。
「けれど、あなたの口から聞くとは思いませんでしたよ」
小さな笑みを含んだような声が、鈴を鳴らすように音を立ててルックを包み込む。
「あなたほど、あの子を愛している者はいないでしょうに・・・」
神の声に、思わずルックの頬が染まる。けれど、その表情はすぐに消え、代わりに泣き出してしまいそうに崩れてしまった。
「僕だって・・・!見てしまったものを、総て記憶から抹消してしまいたい位なのですから・・・っ!」
聖堂で声を荒げるなどと、冷静な時ならば絶対にありえなかっただろう。
それでも神はルックに戒めを与えることもなく、ただ行き場を失った愛だけを受け取って、柔らかく話し掛けた。
「・・・私としても、あの子を失う訳にはいかないのです。ルック、一つ頼まれてくれますか・・・?」
直々の神の声を聞くとあって、微かに浮かべていた涙を拭い去る。一瞬でいつもの冷静な表情に戻ったルックは、深く頭を下げて言葉を続けた。
「何なりと。我等が主、レックナート様」
天鵝絨の向こうで、再び鈴を鳴らすような音が響いた。





***





「今回という今回は一緒に来て貰う。逃げられると思わないことだ」
自室から出てきたところを突然捕えられ、抵抗する間もなくゼロは囚われの身となった。
それも、誰よりも気が合う仲間と思っていたルックに。
今の今まで、ルックだけはゼロの地位に怯えて特別視することもなく、対等に渡り合っていたと思っていたのだが。
「全く。こんな大袈裟な軍勢まで牽いて来て・・・今から魔界まで戦争でも仕掛けに行くのか?」
ゼロ一人を捕らえる為にルックの率いた軍勢は、確かに今から魔界に攻めると言ってもおかしくないほどだ。
同じ上級天使とはいえ、ルックの階級は第三階級・座天使。上級三隊の内、最も低い地位になる。
地位の階級はゼロの方が二段上というだけなのだが、熾天使と座天使。『ゼロ』と比べた時に限り、その実力の差は天と地にも及ぶ。
一人きりで、この軍勢と渡り合えるほどの力を、ゼロは確かに持っていた。
「・・・こんな大軍を連れて来なくても、君相手に抵抗はしないよ。連れて行く所があるのなら、何処へでも連れて行けば良いさ」
力はあるが、それを仲間に向けて使おうなどとは、微塵にも思う訳がない。
それを分かっていながら、それでもルックは部下にあたる者達を引き連れてきたのだ。
「・・・連行される自覚があるの?」
「生憎、身に覚えは途方もなく有るもので・・・」
この現状を茶化せるほど余裕に振舞うゼロは、確かに抵抗することもなく断罪の間までルックの隣を歩いてついて来た。どんな罪に問われようとも、ましてや今の地位を剥奪されようとも、ゼロにとっては大したことではないのかもしれない。
実際、ゼロが何かに執着を見せたことはないのだ。
今更罰と乗じて何を奪ったとしても、苦痛など全く感じないのだろう。
「・・・ゼロ、私の愛しい子供。あなたが呼ばれた理由、わかっていますね?」
「あんな大軍まで使ってね・・・。僕に自ら反逆者になれ、とでも?」
神の御声を前にしても、ゼロは跪くどころか畏まることもしない。けれど、神もそれを当然の様に受け入れて、反抗的なゼロの言葉に微笑んで返す。
「いいえ、まさか・・・。あなたをまだ天界から放す訳には行かないのです」
「・・・罪状は?」
「言わなければわかりませんか?『悪魔と通じた罪』。子供とはいえ、惑わされてはなりません。あなたの身は穢れを許されない尊き身体なのですよ」
その神の言葉に、ゼロは呆れたように笑った。
「僕の身体が穢れていない?・・・あれだけの悪魔を、この手で殺した僕が?」
「・・・聖戦でのあなたの働きは素晴らしかった。・・・だからこそ、私はあなたを手放したくないのです」
「・・・・・」
聖域である神にここまで言わせしめる存在でありながら、ゼロ自身は余り嬉しくもないような様子で、ただ静かに神の玉座の方を真っ直ぐ見つめる。
何を奪われても平気だと、ましてや天界追放になっても構わないと思っていたゼロ。
「あなたの中に居るあの悪魔を、地に返しておやりなさい」
だが、続けられた言葉を聞いた途端、頭が真っ白に染まったような気がした。
「・・・それは、どういう・・・」
意味だ、と問いかけになる前に言葉が途切れる。
けれども、神はゼロの言葉を正確に理解して、足りない言葉を補った。
「逢瀬を重ねているという悪魔の存在ごと、総てを『なかったこと』にするのです。今、あなたがここに呼び出されたということも」
道理で、傍聴席に誰もいない理由がわかった。
断罪の間で裁かれる天使は、総て他の天使の目の前で罪状を告げられ、判決を下されてきたのに。
直々に神が降りてくることも珍しければ、この場にルックとゼロしか居ないということも、総ては。
「あなたの為なのですよ」
「・・・僕の為、だと・・・!?関係のない子供を殺すことよりも、僕をこの地位に縛り付けることが神の正義だとでも言うつもりか?!!」
激昂したゼロの身体を、突然鎖が締め上げる。この断罪の場で抵抗する者の為に用意されていた拘束具。
羽にまで絡みつくそれは暴れば暴れるほど身体に食い込み、痛みを与える。
「自分で手を下すのならば、今まで通り自由を与えようと思っていました。・・・けれど、その気はないようですね」
「当たり前だ!それに、与えられた自由など本当の自由じゃない!」
「・・・考えは改められませんか?」
「・・・本気で愛した者をこの手で殺せだと?いや、それでなくともあの子に手出しをしてみろ。僕は全力であなたの敵に廻る」
天使の急所とも言える羽を縛り付けられて痛みを感じているだろうに、ゼロは全く表情を歪めないまま真っ直ぐに神の御座す玉座を射抜く。怒りを込めた紫電の眼差しはとてつもなく鋭いもので、並の天使ならその視線だけで息の根を止められていただろう。
「・・・っ」
実際この場に控えるルックもゼロの威圧に堪えられず、綺麗な顔を歪めつつ、引き摺られないよう障壁で身を庇っている程だ。
「・・・残念です。そして悲しいですね・・・。あなたになら、私の総てを渡しても大丈夫だと期待していたのだけれど」
睨み続けるゼロの視線を受けつつも平然とした声で、無慈悲に神が声を上げる。
「無知とは時に残酷で、そして罪なのです」
ゼロの立っている地面が沈み、鎖に繋がれたままの身体は地面へと吸い込まれていく。
「一切の光が届かない永劫の間で、暫く己を悔い改めなさい。あなたが感じた愛など・・・所詮は紛い物に過ぎないのだと、知りなさい」
「・・神とは何だ?あなたに僕を裁く権利が何処にある?」
「愛しているからですよ。愛しい子供達・・・。あなたが私の本当の愛に気付く頃には、総ての元凶もこの世界から消えていることでしょう」
「ッ、アーティエには手を出すな・・・っ!!!手を出すのなら、僕は、本気で・・・――――!!!」
総てを告げる前に、ゼロの身体は天界の底深くへと閉じ込められてしまった。
『永劫の間』と呼ばれる程の部屋だ。
幾ら天使の命が長いとはいえ、この部屋の落とされて、まともに戻って来た者など一人としていなかったという・・・地獄のような部屋なのだ。
「・・・ゼロ」
ルックは、ゼロが怒りを露にするところなど初めて目の当たりにした所為か、半ば呆然とゼロの消えてしまった床を見つめていた。
「ルック。・・・後の準備は出来ていますか?」
神直々の頼まれごとは、まだ終ってはいない。
けれど、これが本当に正しいのか、これが本当に自分の望む結果を生み出すのか。
「・・・はい」
何もわからないまま、ただ問い掛けられるままにルックは深く頭を下げた。




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