A*H

Angel Halo 1

Act.1 衝撃





「・・・おら、大人しくしてりゃ痛くしねぇからよ」
「こんな所を一人でフラフラ歩いてる方が悪いんだぜ」

しんと静かな森の中。
生い茂る木々の合間から見え隠れする高く晴れた空は、何処までも青く、吹き抜ける風も心地の良い昼下がり。
涼しげに流れる川の辺で釣糸を下げたまま、彼は一人、静かに目を閉じていた。
眠っている訳ではない。
ただ人の多い街に紛れているより、静かな森の、緩く流れる時間の方が落ち着くからなのだが。
しかしそんな居心地の良い時間も、突然響いた耳障りな声にむなしく掻き消されてしまった。
元々静かな森だからこそ、こんなにも大きく響いたのだろうが、瞑想に近い時間を邪魔された彼は、不機嫌極まりない沈黙のままゆっくりと目を開いた。
「・・・・・・」
閉じていた瞼の下から現れたのは、研磨されたばかりの純粋なアメジスト。彼の機嫌そのままに、鋭い眼光を宿して辺りを写し込む。
「ゃ・・・っ・・!離・・ッ!」
騒ぎの元は、彼が居る川辺からさほど離れていない茂みの中。中年の男二人と、彼らに囲まれている幼い少女の争う声の様だった。
「・・・」
気配を消している訳でもないのに、彼の存在にいまだ誰も気付いていないようなので、面倒事はゴメンだと言うように、いつもの如く無視する気満々だったのだが。
「ぃ・・・や、・・・ッ!」
微かに泣き声の混ざる小さな悲鳴を、今日に限って何故か無視出来なかった。こんな風に絡まれた女を助けた事は過去に何度かあったが、それはその相手を気に入った場合のみの話で。
旅の途中で色々と不便な下の気晴らしに、助けた謝礼代わりの『一夜』を所望するのは当たり前。また、見目良い彼の容姿にそれを断る女も今まで一人とて存在しなかった。
「・・・子供一人助けた所で、何の得にもならないんだが・・・」
垂れていた糸を引き上げて立ち上がり、手近に転がっていた手頃な石を二つ、拾いあげる。
真っ直ぐに立った彼の背は意外に高く、細く痩せて見える身体つきも、袖から覗くしなやかな腕を見れば、服に隠れているだけだと解る。
日に透けても色焼けしない漆黒の髪を風に揺らせて、彼は軽い手振りで狙いを定めるでもなく、男たちに向かって石を投げつけた。
「・・・っぐ!」
「お、おい?どうし・・・がっ・・は!」
投げられた石は的を外すこともなく、綺麗に男たちの頚椎に命中する。例えるならば、恐ろしく切れの良い手刀のようなものだ。豪速の堅い石をまともに食らって、二人はあえなく昏倒した。
「・・・ぁ」
茂みから現れた彼を、少女は涙で潤んだ瞳で見上げた。
白いワンピースタイプのチャイナスカート。下には膝下丈の黒いズボンを身に付けている。
買い物の帰りにでも連れ込まれたのだろうか。地面には数個の果物が袋から飛び出して転がっていた。
髪は短く整えられた薄茶色。木陰から洩れる日に透けて、金に輝いたように見えたのは錯覚か。
だが、それ以上に驚いたのは、整った小さい顔に輝く宝石のような左右に違う瞳の色。
「・・・・・・・・・大丈夫か?」
一見して、普通に・・いや、思わず言葉を失ってしまうほど、希に見かけない綺麗な子供だった。
予想通り幼すぎるが、それでさえ構わないと思うほどに目を奪われる。
少女の方も、突然現れた青年に言葉も忘れて、ただ彼を見上げていた。
声を発しない、身動きすらしない少女の様子に、彼は壊れた人形を思い浮かべる。そして、それでは惜しいと感じてしまう。
動く姿が、その唇から零れる声が聞きたいと思った。だから、近寄って再度声をかけてみる。
「・・・怪我は?」
「ぁ、だ、大丈夫・・・。助けてくれたの、ですか?」
少し言葉が足りない気もするが、内容は伝わった。
予想より少し低めか。だが、予測していた声よりも不思議と耳に心地良い。
彼は頷いて、少女の前に膝を付く。近付いたついでによくよく顔を眺めてみたが、やはり今までに見たことも無いような美少女だった。
白磁の肌は、高まった鼓動の所為か薄い桃色。宝石の瞳を飾る睫も長く、微かに浮いた涙がまた瞳の色を鮮やかに見せていて。
「・・・」
今度は、彼が黙り込む番だった。
少女趣味など・・・ロリコンなどとは数々の女を相手にしてきた彼にとって死んでも思われたくも無い誤解だが、今まで出会った誰よりも、確かにこの子は美しい。
きっと暖かく柔らかいだろうその肌に触れてみたいと思った。透けるような髪をシーツに広げて、汗に濡らしながら。
誰よりも無垢で純粋な存在だからこそ、逆に穢してみたくなるのが男というものだ。
小さな身体を腕に抱けばどんな反応を返すのか。あの柔らかい肌はどんなに甘いだろうか。衝動のままに貫けばどんな声を上げて鳴くのだろうか。
「あ、の・・・?」
黙り込んだ彼を伺うように首を傾げて、少女は彼の思考を中断させる。
「・・・何?」
どういう手段を使えば、この少女を手に入れられるのか。あらゆる口説きの手口を考えている素振りなど全く感じさせずに、彼は冷たく一言だけ返す。
けれど、その声に怯えた様子もなく、少女はふわりと笑みを浮べた。
「・・・あ、ありがとう。助けて、くれた・・・」
「・・・っ」
勘違いだと思いたい。こんな子供に、彼の鼓動が大きく揺れた・・・など。
だが、透き通るような暖かいその笑顔に、彼は無意識で少女の頬に触れていた。
触れられたことに驚く表情も、土に汚れた頬も、指に感じる暖かい肌も紛れもなく人間のもの。
けれどまるで空から落ちてきた天使の子供のようで。
・・・手を離せば、このまま消えてしまいそうで。
「・・・ぁ、あの」
「礼。貰うよ」
少女の返答も待たずに、触れた頬から細い顎へと手の平を滑らせる。
唇に触れた柔らかい感触に、無理強いなどと・・・ようやく自分らしからぬ行動だと気付くが、一度触れ合ってしまえはもう止まらなかった。
唇が触れ合うだけではこの衝動は治まらない。擦って、開かせて、もっと奥まで欲しかった。
抵抗すらしない相手に気を良くして、服に手をかけようとした所で・・・これでは自分も先程の男達と変わらないと思い直す。
通りすがりの関係で終らせたくなかった。一夜限りなどもっての他だ。
彼女の心を手に入れるならば、ここで行為に及ぶのは得策ではないだろう。
「・・・」
甘過ぎる口付けをなんとか離せば、呆然と見上げてくる彼女の瞳と視線が交わる。
驚きも何も感じられない表情に、少し不安を覚えたが。
「大丈夫?」
「・・・・!!!」
そう、彼が軽く声をかけた瞬間、少女の顔が音を立てたように真っ赤に染まった。
この反応は悪い反応ではないだろう。心の中で静かに北叟笑んで、彼は出来るだけ優しい声で言葉を紡いだ。
「驚かせたなら、ごめん。でも僕は君を」
「坊っちゃ〜ん!何処にいらっしゃるのですか〜!!グレミオは戻りましたよ〜!ゼロ坊っちゃん〜!!」
「・・・脅かそうとした訳でもなくただ」
「ぼーっちゃーん!!また!!またこのグレミオを置いて行かれるのですか―――?!!」
「・・・本気で君を」
「いいですよ!いいですとも!!!また追いかけて追いついて見せますとも!!このグレミオ、いついかなる時でも坊ちゃんのお傍を離れたりは致しませんよ!!だから何処にいらっしゃるのですかゼロ坊ちゃーん!!!」
「・・・・・・・・・・・ちょっとごめんね」
掴んでいた腕を離して、溜息と共に振り返る。ぱきりと小枝を踏んで立ち上がった物音で気付いたグレミオが、嬉しそうな顔で声を張り上げ・・・
「あ、ぼっちゃ」
「煩い暫く黙ってろ」
「・・・・はい」
・・・ようとしたが、主人に睨まれてあえなく黙り込んだ。
彼は、お節介過ぎる従者に小さく溜息を零しながら、少女の方を振り返る。
「・・・全く。ごめんね中断し・・・あれ?」
けれど、そこに居たはずの彼女の姿は、もう何処にもなかった。
「・・・・・な・・」
まるで幻か何かの様に掻き消えた少女。だが、地面に倒れたままの男たちに、あの姿が夢でも幻でもなかったことを教えられる。それよりもまず、唇に残る温かな温度と感触まで偽物だったとは思いたくない。
「・・・あの。誰かをお探しですか?」
立ち尽くす彼の元へ辿り着いたグレミオが、小さな声で問い掛けてきた。黙ってろと言っても聞きやしない。だがもうこれもいつものことなので、彼は諦めて首を振る。
「お前が邪魔さえしなければ・・。あぁ、もういい。宿に戻る」
「えーと、白い服を着た小さな子なら先程あちらに走って行かれましたけど」
「もういいと・・・何だって?」
こちらに向かって走ってきたグレミオだからこそ見ていたのだろうが、それでも彼に何も気付かれずに後ろを走り去ったと言うのか。
彼とて伊達に修羅場を潜り抜けて来た訳ではない。ましてや目を離してさえ後ろに意識を集中していたというのに逃げられてしまうとは。
「・・・何なんだあの子は」
「え?え?何かあったんですか?・・・ってうわぁどうしましょう人が倒れて居ますよ坊ちゃん!!」
「放っておけ。・・・それと呼び方を改めろと何度言えばわかるんだお前は」
「あ・・・!も、申し訳ございません、ゼロ様」
片膝をついて謝罪を述べる従者を前に、彼――ゼロは小さく溜息を零した。
思い出すのは、ほんの一瞬出会っただけの少女の面影。
今までの好みとはかなり違うが、どうしてか唇に残った感触が忘れられない。
「・・・あっちだと言ったな?」
「は?え、さっきの小さい子ですか?ええそうですけどもの凄い速さでしたよ。いくら坊ちゃんでも追いつけるか・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・スミマセン」
川辺に残したままだった竿をグレミオに引き渡し、脱ぎ捨てていたマントを羽織る。薄く日が暮れ始めた空を見上げて、ゼロは少女が走り去った方へと足を向けた。
「先に宿へ戻っていろ。僕も後から戻る」
「は、え?ぼ、いえゼロ様!?」
「朝には戻る。・・・いいか、ついて来るなよ」
最後に釘を刺してから、軽く地面を蹴った。スピードに乗った足は素早く動き、微かな人の気配を追いかける。
今ならまだ間に合うかもしれない。
この森近くの街を探せば、また会えるかも知れないと。
ただ名前だけでもいい。
彼女に繋がる確かなものが欲しかった。
名前を聞きそびれたのも、ベッドへと誘うことに躊躇いを感じたのも。
たった一人の少女相手に、ここまで心を躍らせるのも。
「・・・僕らしくない」
少しだけ、自嘲気味に笑みが漏れた。

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Act.2 捕獲




垂らした糸が、軽く水面に沈んだ。
「・・・ふぅ」
もう、何度目の溜息だろう。
いつもなら、釣りをしている時だけは何を考える事もなく、無心になれるというのに。
寝る時も、食事の時も、夜街ですれ違う綺麗な女を見ても、この今の時間でさえも。
何をしていても思い浮かぶのはあの時の記憶。柔らかく、甘い・・・唇の感触。自分の指が無意識に唇を辿るのは、果てさて一体何度目か。
街の中、村の中、留まった先の宿の中・・・。関係無いと思いつつ、視線の先でいつも探している少女の面影。
ここに居るはずがないと解っていても、脳裏に焼き付いた彼女を消すことが出来ない。
「・・・はぁ」
「今ので百個到達ですよ坊ちゃん」
「・・・何がだ」
「溜息を吐いた数だけ減るって言うでしょ。『幸せの数』・・・おめでとうとは言えませんねぇ」
人気のない桟橋に座り込んで釣り糸を垂れる主人の横で、傍迷惑に・・いや甲斐甲斐しくも付き添っていた従者グレミオが小さく笑って見せた。
「・・・幸せ、ねぇ・・・」
ぼんやりと答えを返すゼロに、今までのような威勢はない。いつもならグレミオの一声に鋭い返答を返す彼なのに、今ではこんな風に反応が鈍いのだ。
遠くを見つめる目はぼんやりと、ただ遠い記憶の相手へだけ向けられている。
腑抜けてしまった主人の姿に寂しさを感じたのか、グレミオは仕入れたばかりの情報で元気付けようと、声を高めて語り始めた。
「そうですそうです坊ちゃん!グレミオ凄い情報を入手して来ましたよ!ここの宿屋で聞いたんですけど、この辺りでまた戦争が起こっているようですね」
「ふーん・・・」
だが、予想に反して反応は薄い。
負けじとグレミオも拳を握って語り出す。
「ええとですね!それだけじゃなくて!坊ちゃんと同じように、新都市同盟を率いている軍主様は『真の紋章』を宿した小さな少年だとか!それも飛び切り可愛いそうなんですよ!」
「・・・いくら可愛くても男だろ」
「まぁ、坊ちゃんが捜されている方ではありえないのですけれども!なんだか、ほら、運命を感じませんか??」
「何で。」
「こんな狭い土地で!たいした時間も置かないまま、再び真の紋章が絡んだ戦争ですよ!これで坊ちゃんとその軍主様が手を取り合って時代を動かすなんてほらもうまるで物語のようなお話!!」
「・・・・・・」
キラキラと星が舞うような顔で語られても、どうしようもない。この何処か螺子が飛んだような従者は、自分に一体何を求めているのだろうか。というかその戦争と軍主に、ゼロと何の関わりがあるというのだ。
出来る事なら、ゼロはもう戦争の渦中へと飛び出すような真似はしたくなかったのだが、彼は今、まさに戦争真っ只中のこの土地から離れられないでいる。
そして、今向かっているのは懐かしき我が故郷。この地に留まる理由を『里帰り』だと自分自身にさえ言い聞かせていないと、更に落ち込みそうなので。
・・・けれども、グレッグミンスターに戻るならば、グレミオの話ではないが、その新しい軍主様とやらが噂を聞きつけて助力を乞いに来る可能性は無きにしも非ずなのだ。
というか、確率九五%で会いに来るだろう。過去の英雄の力を欲しがって。
そこまで考えたら、あの少女に会えずに落ち込んだままだった気分が尚更悪くなった。彼女に会う為だけに、この辺りの土地から移動できずにいるというのに。また、邪魔が入るのかと思うと鬱憤晴らしに右手が暴発しそうだ。
「・・・あれ?お気に召しませんでした?」
「・・・僕は一人になりたいんだ。邪魔する位ならあっちで人払いでもしていろ。それが嫌なら宿に戻って寝ておけ」
「えぇ何ですかそれグレミオはいつでも坊ちゃんのお傍に」
「煩い邪魔だ。夢は起きながら見るものじゃない。空想妄想はその辺りにしてさっさと行け!」
「人使い荒いですよぉぼっちゃ」
「呼び方。」
「・・・ゼロ様。見張り、行ってきます」
「あぁ」
背中に影を背負ったまま、しずしずと歩いていく姿を横目で見送って、少しだけグレミオの言葉を思い出した。
知らなかった訳ではない。この大地が再び戦火に包まれようとしている事を。先に立ち寄った町・・・少女と出会った森の近く、ラダトの街で、その程度の噂は聞いていた。
真の紋章を宿した、赤い胴着を着た幼い少年。そして、かつての英雄の養い子。
似たような境遇に親近感を持たない訳ではないが、今の彼には関係のないことだ。
「・・・あぁそういえば」
この村に辿り着いた時、それらしい子供を見かけた。
赤い胴着を着て、肩には黄色い布を巻いていたか。憧れる軍主と同じ服を母親に作って貰ったそうだが、それでもどうしてゼロをその軍主と勘違いしたようだった。
数日前に聞いた声よりも高い、小さな子供の・・・・
「うわああサンゾクだ―――!!!」
そうそうこんな悲鳴で・・・・・悲鳴?
「・・・何だ?」
響いた悲鳴に、ゼロも辺りを見回した。今のは確かにあの子供に何かあっての叫び声だろう。・・・が、これもまたゼロには全く関係もない。一瞬釣竿を引き上げようと思ったが、助ける義理もない子供を助けて何の益がある?
再びゆっくりとした独りきりの時間で、少女の体温を思い出そうと、目を閉じた。
だが、現実はそうそう甘くはない。
「こ、コウくん!?な、何が・・・!!」
「・・・・・!!」
「わ、わかりました!私は彼らの後を追います!スミマセンけれどもこの奥に私の主人がいらっしゃいますので呼んで来て頂けないでしょうか・・・!?」
「・・・・・見張りの意味がないだろう・・・」
元々グレミオの声はでかい。遠くまで響く声音だからなのか、ただ単に元々煩いだけなのか、彼の声は離れていても良く響いて耳に届く。
だが、ゼロは彼に『人払いしろ』と言った訳で、『誰かを通せ』とは言っていない。
今から来るだろうその誰かから逃げようにも、残念ながらここには切り立った崖と彼の居る桟橋しかないのだ。逃げる場所も隠れる場所さえありはしない。
「面倒だな・・・・無視するか」
誰が話し掛けてきても、答えなければいいのだ。聞こえていないように寝たフリでもしていれば、諦めて帰ってくれるだろう。ゼロは釣り竿を握り直して、静かに目を閉じる。
後ろに感じる気配は複数。どうやら一人ではないらしい。まばらに聞こえる足音に人数を読み取って、四人かと小さく溜息を零す。
「・・・どうやら、正解のようだな」
少しだけ笑い声を含んだ、聞き覚えのある声。
最後に聞いたのはいつだったか。目を閉じたまま記憶の中を捜していると、もうひとりも笑いながら囁いた。
「グレミオが居たんだ。その奥に居るのはコイツに決まっているだろう。・・・なぁゼロ。狸寝入りは通用しないぞ」
「・・・・・」
まさか、顔見知りとは。そしてまたこの腐れ縁か。・・・というかどうしてグレミオは気が付かなかったんだ?
「え・・・『ゼロ』?って、あの、トランの英雄の・・・・?!」
懐かしい声に混ざって、女の子の声も響く。普段ならば速攻で振り返っているだろうが、今日は確かめるまでもない。あの二人がいると言う事は、この少女も恐らく先程グレミオが話していた軍の関係者なのだろう。
風の噂で、腐れ縁が都市同盟に傭兵隊を作ったと聞いたことがある。その同盟国が強国ハイランドに狙われている今、彼ら自身もこの戦いに挑まない訳がない。
「そうさ。ゼロ・マクドール。先の戦争で勝利したその夜に行方不明になったって噂の英雄さ」
「・・・フリック」
そういう紹介の仕方は嫌いだった。低い声で窘めるが、相手もオトナになったようだ。挑発には乗ってこない。
「聞こえてたんだろう最初から。無視するなよ。お前に会いたいと言っていた奴、連れてきたんだが」
「・・・生憎僕は会いたくない。留まるつもりもない旅の途中なんだ。邪魔はしないでくれ」
「挨拶ぐらいいいじゃねぇか。・・・どうしても、会いたいって言うんでな。お前がこの辺りに居るって噂を聞いて、わざわざ城から訪ねて来たんだしよ」
「だからと言って、僕がその相手と会わなきゃいけない義務はないだろう・・・?」
英雄は営業職でも何でもない。そもそもその『英雄』なんて呼び方が気に入らない。振り返って怒鳴ってやろうと思ったが、フリックの隣に居る女の子がまだ歳若い様子を見て叫ぶのはやめた。身長はフリックの胸辺りか。内巻きに巻いた濃茶の髪が、元気そうに笑う小さな顔を包んでいて、可愛い子だと思った。
だが、違う。普通に可愛い女相手にも、比べてしまうのはあの日出会ったの奇跡の面影。
「やっぱり!ねぇねぇ凄いねえ会えるなんて!ほら隠れてないで!挨拶、しなきゃ!」
彼女に呼ばれて、ビクトールの影からおずおずと顔を出した子供がいた。丁度フリックの影になって顔まで良く見えないが、着ている衣服で誰かと解る。
「・・・へぇ、その子が軍主様・・・?まだ子供じゃないか」
「お前だってガキ・・・いや、体格ではお前に負けるが、軍主としてはお前より優秀だぞ」
そういうビクトールの影に隠れたままの子供と比べられて、少しむっとする。
彼は彼なりに(たとえ周りに認められなくても)軍主であるよう相当努力していたのだ。
それを、ただ人と会うだけで怯えるような子供に劣ると言われたのだ。やはり腹は立つ。
「この僕の何処が劣るって・・・」
その時、立ち上がったゼロの視界を邪魔していたと気付いたフリックがそっと道を譲る。ビクトールの腰にそっと掴まっているとはいえ、その少年とゼロの間には何もない。
真っ直ぐに見えたその顔に・・・・その髪に、その瞳に。
「・・・君は」
驚いた。
だが、それ以上に嬉しさがこみ上げる。もう会えないと半ば諦めかけていた時の、この再会は偶然で奇跡。
まさに運命だ。
もう、他の三人など目には映らない。ただ、目の前に居るひどく透明な子供に向けて、自然と足が動いた。
近寄ってそのまま、あの日と同じ頬をゆっくりと撫でる。
「わ、」
「・・・逢いたかった。とても、君に」
屈まなければ目線が揃わないほど、少年の背は低い。
身体もあの日見たままに細く、とても少年のものとは。
「・・・・あれ?」
『少年の』・・・・・・・・ものとは思えない。
「なんだお前ら知り合いだったのか?」
「いや違う。違うけど・・・ビクトール。この子は、『新都市同盟の軍主』・・・で、間違いないな?」
「あ?・・・あぁ、そうだが?」
「見た目は幼いけどな。このナナミの義弟で、今年十四になる。意外に足が早くて力も強い」
「義弟・・・弟。十四・・・。それで、間違いだと思いたいんだが、この子は・・・・」
言葉を切ったゼロの表情に、フリックが堪らず後ろを向いて吹き出した。引き攣り笑いを堪えながら、ゼロの問いに答えたのはビクトールだったが。
「あ、あぁ。訊きたい事はわかるぞ。アーティは・・・正真正銘、『男』だ」
「・・・・男」
絶世の美少女が。
絶世の美少年の間違いだったとは。
いやだが誰が彼を剥いて確かめたというのだ。胸がないのはまだ幼い為に発育が未熟だからと言う事にしておいて、ゼロは再び彼女・・・・アーティの瞳を覗き込んだ。
ゼロのことを覚えているのか忘れているのか、ただ少し照れたような困ったような顔で、それでもゼロから目を離さない。
「最初誰にだって間違われるんだよな。見た目がこうで、動作が幼いから、大抵の奴は騙される」
「ただ人見知りなだけよ!仲良くなれば、人一倍懐くんだから!」
懐くんだから。
そうなのか。じゃあまずは仲良くなる所からスタートだな、と勝手に決定。
目標を落とすにはまず周りから、と言う事で義姉らしい少女に話し掛ける。
「・・・そうなの?じゃあ今のこれは僕を警戒してるだけ?」
「・・・いーえ?あれれ、もう随分懐いてるみたい。初めて会った人には触られると逃げるのに・・・大人しいし」
「まぁ、憧れてたからなぁお前に。見た目だけは誰にも誉められる奴だし、その所為か?」
「あのな・・・」
げらげらと笑うのは、ビクトールだ。聡い彼にも、ゼロの内心はまだ読まれていないらしい。
というか彼らの軍のリーダーを今すぐにでも掻っ攫おうとしているなどと読まれてもらっては大変なのだが。
「でも、会いに来てくれて嬉しいよ。僕も君のことは噂で訊いていて気になっていたんだ。・・・よろしく、アーティ」
先程グレミオに言った言葉と一八〇度切り替えた言葉を並べて、その小さい体を引き寄せる。そしてそのまま、さもトラン流の挨拶だと言う様に、頬にキスを送った。
「!」
誰にも気付かれていないが、さり気なく、自分の頬もアーティの唇に触れさせて。
近いうちにこの柔らかい唇を割り開き、もっと深くまで貪ってみたいなどと考えている素振りなど全く見せずに、・・・ゼロは爽やかに微笑んだ。
ゼロの笑顔を受けて、幼い軍主も慌てて口を開く。
「あ。僕も、会いたくて!えと・・・」
呼び方に困っているのか。
問い掛けるような視線に、ゼロはアーティの柔らかい髪を撫で梳きながら、その小さな耳に囁く。
「・・・『ゼロ』で良いよ。君にならそう呼ばれて構わない」
「ん、ゼ、ロ・・・『ゼロ』?」
何度か確かめるように呟いてみてから、これでいいかというように視線を上げる。
物怖じしない子だと思った。人見知りどころか、興味のあるものから目を離さない、まるで本当に小さな子供だ。
だからこそ、雰囲気を崩さず優しい声音で話し掛ける。
「そう、呼んでみて」
「ゼロ。・・・・ゼロ!」
合格を貰えた事が嬉しかったのか何なのか。
アーティは突然零れそうな笑顔を浮べて、地面に膝を付いていたゼロの首へと飛びついてきた。
押し倒される体勢になりながらも慌てて抱き止めて気付いた。その体重のなんと軽いこと。そして・・・。
「ゼロ!僕ね、会いたかったの!ずっと、ナナミちゃんと本読んでね、みんなからお話聞いてね、ゼロに!」
・・・・その殺人的な笑顔を無邪気にゼロへと向けて微笑む。
「・・・・は」
真っ白に、思考が停止した。
「あ、落ちたな。」
「ゼロにも効くとはな。・・・なんつー効果だ」
「ゼロさん、仲間になってくれるかなぁ?」
外野が好き勝手言っていたがそれさえ全く気にならない。膝の上に座ったアーティは幼いとか子供だとか男だとかそんなものを全て吹き飛ばす勢いで。
「また会えると思ってなかったから!あの時の、ゼロだって思わなくて。逃げちゃって、ごめんなさい。でも・・・初めて会った時の、また、してくれるかな・・・?ええと」
ゼロの首にしがみ付いたままだったアーティはそのまま目を閉じて。
ちゅっと。
「あ。」
「うわ・・・」
「あら♪」
 じれったい速度でゆっくりと離れて、もう一度アーティの瞳がゼロを写し込んだ。
蒼く清らかな右目と、柔らかい湖畔のような碧の左目。
「・・・・こう、だった?びっくりしたけど、すっごく格好よくて。僕、ずっと忘れられなかったんだ」
「・・・・」
驚いた。という他になかった。
意味も知らずのキスだろうけれど、確かに唇は触れ合ったのだ。何度もなぞった記憶の通りに柔らかく暖かいその唇が、今自分の唇に。
「あれ?ゼロ?・・・違う?」
硬直したまま身動き出来なかったゼロの頬を、アーティの手の平が包む。アーティの右手が頬に触れた時、身体を支える為に地面に付いていた右手がチリッと焼けた。
紋章が反応している。アーティに触れられる事に歓喜を覚えるように。それに気付いているのか気付いていないのか、アーティは驚いたままのゼロへ何度も触れてくる、誘うようなその仕草。一体何処で覚えたのやら。・・・いやきっと何も解っていないのだろうけれど。
好みに仕込めば、きっと相当な手練になれるだろう。
「あぁ・・いや。でももう少し長くしないと・・・わからないよ」
目覚めのキスで、思考停止から漸く戻って来られたゼロは、人当たりの良さそうな笑顔で微笑んでみせながら、それでも後ろに見えるのは黒い悪魔の尻尾。
純粋培養らしい天使の子供に、イケナイコトを吹き込もうと虎視眈々だ。
この際外野が邪魔だが無視すればなんてことはない。支えている腕はちょうどアーティの細い腰の辺り。引き寄せるにはもってこい。何も知らないアーティは警戒心もなく、言われた通りに頷いた。
「そっか。じゃあもう一回・・・・」
「ぼぼぼぼぼっちゃ――――ん!!!た、たた大変ですコウ君が攫われました!!」
突然の悲鳴に、アーティはびくっと肩を震わせて振り返る。当たり前だが続きはない。
あの柔らかい唇はお預けらしい。・・・立ち上がったアーティと共にゼロも立ち上がり、息急き駆け込んでくる従者に冷たい視線を送っておく。
「・・・何度邪魔すれば気が済むんだグレミオ」
「それ所じゃないんですって!コウ君が!」
「あぁ、それ俺らの計画だから気にしなくても良いぞ」
「へ?計画?」
「奥に居るゼロに会うにはグレミオが邪魔だったからさ。コウの提案でちょっと脅かして、退いて貰おうと思ってな」
「あぁ!なんだ良かった!あの人たちも仲間なのですね!・・・あれ?ところでもの凄く見覚えがある方々なのですけれども・・・どちら様でしたっけ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・グレミオあのな」
どうやら本気で気付いていなかったらしい。グレミオにとってゼロ以外はどうでもいいのかただ単に記憶力低下気味なのか果てさてそれは置いておいて。
「・・あれ?でも、バナーに来たのはわたし達だけだよ?」
ふと、先程のグレミオの言葉を反芻していたナナミが声を上げる。確かに、噂程度の情報だったので、『会えたら奇跡』のような気分で出てきただけなのだ。
会いたがっていた当人とその義姉ナナミと、保護者兼護衛兼ゼロ探索隊としてフリックとビクトールが。
「ではあの方々は?確かに連れていかれちゃいましたよコウくん。私の目の前で荷物のように軽々と」
「・・・・何か、言ってなかったかそいつら」
「ええとそうですね。『このガキ返して欲しけりゃ一万ポッチ用意しな』とかなんとか」
「!」
びくりと、アーティが顔を上げた。
誰も気付いていなかったが、歩き出した彼の手には、いつのまにやら一対のトンファーが握られていて。
「それって、まさか・・コウくん」
「・・・そうだろうな」
息を飲んだナナミと、それに答えたフリック。お互い気の毒な目でグレミオを見つめている。
「え?え?何ですか?またグレミオに解らないナイショ話ですか?もーやだなぁ言いふらしたりしませんよぉ坊ちゃんだっていいオトナだし誰が好きだの惚れただの言いふらされても痛くも痒くもないでしょうにー」
が、全然解ってない当人は快く過去の過ちを暴露だ。当時の被害者ゼロは報復を固く心に誓う。というかあの頃グレミオに言いふらされた誰それが好きとかいう噂の所為で恋愛不信に陥ったのではなかっただろうか。んでもって女は身体だけの関係だと割り切ってしまったのも・・そう全てはこの色々足りてない従者の所為らしい。
「・・・そうかお前か犯人は。後で覚悟してろ。・・・っと、アーティ何処へ・・・・って、早いな」
突然走り出した背中に声をかけても、その足は止まらない。どころかあっという間に点だ。
消えてしまった背中に、怒鳴ったのはフリック。
「あぁもうまた逃がした!何で捕まえてなかったんだ!?」
「いやほらゼロと絡んでたしなぁ捕まえとくのも野暮だろ」
「追いかけるの大変なんだぞあの方向音痴を!何処に行くか解ったものじゃないし、あの足の速さについて行けるのはスタリオンぐらいだ!」
いつも飛び出してしまったアーティを追いかけるのは彼の役目なのだろう。ちょっと涙目だ。
「スタリオン・・・?」
懐かしい名前がまたも飛び出してきたので、ゼロはおやと顔を向けた。走ったことはある。三年前だが、あの時点では追いつけた。そうして、右手の紋章はアーティを求めている。アーティが宿す光を。
「・・・じゃあ、僕に任せて。あの子の紋章の感覚は掴んだ」
その言葉と同時に、地面に転がしておいた棍を軽く蹴り上げて手に掴む。その瞬間に身体はもう走り出していた。
「なんだか・・・いつも追いかけているような気がするな」
小さくて、まだ何も知らない無垢な天使を。
性別なんて気にしない。出会えたのだからそれでいい。
こんなに欲しいと思ったのは、初めてに近い快感だ。
「さて・・・どうやって、この地上に堕としていこうか」
天上に舞う天使を、この手の中に捕まえる為に。
その頃。
消えたリーダー&元リーダーの背中を見送ってから。
「どうすっかなぁアレ。・・・完全に惚れたな」
「元からゼロに協力させようと、そのつもりで連れてきた奴が何を言う」
「でもね、凄い見栄えのいいカップルになると思わない!?帰ったらメグちゃんとかニナちゃんとか、あ、テンガにも報告しないと!」
「「・・・・・」」
もの凄くハイテンションなナナミを遠目に眺めて、フリックとビクトールはあの噂の真実を知る。
旗揚げしたばかりの貧乏軍の資金がどこから溢れてくるかとかいうそういう噂だ。
夜な夜な城の秘密の場所で、行われていると言われている幻の祭典。ついでに客は女ばかり(稀に男も含む)。
「次の本の内容とタイトルは決まりよ!・・・知りたい?」
「い、いや別に」
「いいからいいから聞いてよ!あの天使のように可愛いわたしの弟アーティエは、本当に本当は天使ってお話で、あの格好良かったトランの英雄ゼロさんは、本当は悪魔だったって事にして」
「ええ?!坊ちゃんって悪魔だったんですか?!道理でいつも冷酷無比な殺戮を・・・」
「・・・そういう『設定』で、って事なんだけど。本当なの?」
「あのですねぇ聞いて下さいよ実は・・・」
グレミオから仕入れたネタをまた更に利用するつもりか必死でメモを取るナナミ。偶然後ろを通ったフリックがついつい見てまった秘密メモの紙面には、大きくこう書かれていたとか。

 

ゼロ×アーティエ
天使と悪魔のお話♪
タイトル『天使のわっか』

 

「・・・っていうかコウを助けに行かんでいいのか俺らは」
誰も聞いていないビクトールの呟きとほぼ同時に、遠くの森から、事件解決の紋章魔法爆発音が鳴り響いた。

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