*A Beautiful Lover*
2
寛ぐ場所を移して、台所。
グレミオらしく、全てがきちんと整えてある様子を見て取って少し申し訳なく思う。
彼ほどの腕など無いのに、マクドール家の台所を使うことに対しての負い目を少し感じてしまうオミだ。
「ねぇ、何を作るの?」
器具の位置や保存してある食材を調べて歩き回るオミの背中にセフィリオの声が振り降りる。
期待の篭った声に苦笑しつつ、軽く振り返ってオミも言葉を返した。
「期待はしないで下さいね。・・・とは言っても、あるもので作ろうと思いますからあんまり凝ったものは出来ませんよ。それとも、何か希望でもあるんですか?」
「んー・・・そうだね。提案ならあるよ。グレミオから預かってたんだ」
畳んであるグレミオのエプロンの上に重ねてあった数枚の紙を、オミに向かって差し出した。
受け取ったそれを見て、オミは驚くしかない。
「こ、これグレミオさんの・・・!」
「レシピだね。前にオミが欲しがってたから。話したらあっさり書いてくれたよ」
別にグレミオは料理人でもなんでもないが腕の立つ一介の主夫だ。料理人の味とは違い、守るべき境などない。
「『私の味でよければ』って、本人も嬉しそうだったけどね」
「あ、ありがとうございます」
料理の上手い人は城にも沢山いるが、グレミオのような暖かい味を出せる人はそうなかなかいない。
オミも下手の横好きとはいえ、人からは美味しいと言って貰える腕だ。だが、いつもグレミオの味には驚かされてきた。
「オミの手料理なら何でもいいから。悩んだら、その中から作ってみるのもいいんじゃないかな」
ついでにとグレミオのエプロンを差し出して、オミに渡す。
借りた衣服を汚す訳には行かないので、後で洗濯しますからと小さく謝ってそれを借りた。
「足りない物は無い?今ならまだ買いに行けるよ」
「ちょっと待って下さい、ええと」
ぱらぱらとレシピを捲って、目当ての物を捜す。
材料にあまり拘らず、それでいて美味しいグレミオの料理といえば、真っ先に思いつくのがあれだ。
「でも、一品だけじゃ寂しいからサラダでも添えますか。・・・そうですね、足りないのは新鮮な野菜と果物くらいかな」
保存のきく根菜等はしっかりと蓄えられていたので、オミが作ろうと広げたレシピに足りない物は無い。
ただ、鮮度重視のものはあまり置いていなかった。買い物に行くためにオミは身につけたエプロンを外そうと手を後ろへと伸ばすが、セフィリオの手がそれを止める。
「なんですか?」
「・・・二人で行くのも良いけどね。買い物があるなら俺が行って来るよ。オミは留守番してて」
「え・・・?あ、でも」
「何を買って来れば良いかだけ書いて貰えると助かるよ。ほら、早くしないと市閉まっちゃうよ?」
「あ、は、はい・・・!」
オミの書いたメモを片手に、普段着そのままふらりと出かけていったセフィリオは何故か異様に上機嫌だ。
確かにオミはあまり人込みが得意ではないし、グレッグミンスターほどの夕刻市などできれば近づきたくはなかったけれど。
特にセフィリオと一緒になんて歩こうものなら、向けられる視線が痛いほどに数を増す。
彼と一緒に歩いていても好奇の視線を集めない人物は、昔からセフィリオを暮らしている三人くらいだろう。
それでも、セフィリオ一人で視線を集めてしまうから、周りに誰がいようとあまり差はないのかもしれないけれども。
「・・・なんで平気なんだろ、セフィリオ」
買い物に出て貰っている間オミは一先ず洗濯!っと起き出したままのセフィリオの部屋へと足を進めながら、大混雑してそうな市の様子を思い浮かべて小さく苦笑を漏らした。
-----***-----
オミの予想通り、夕食の買い物にごった返す市場では大混乱が起きていた。
「な、なんでいるの?!噂じゃ旅に出たままって・・・!」
「私は旅からは戻ってきたらしいけど、隣国に留まったままトランには滅多に帰らないって訊いたわよ?!」
「こんな場所で会うなんて〜!もっとキレイな格好してこれば良かった〜!」
「でも、こんな間近で見れるなんて・・・!嫌々ながらのお使いだったけど、今日はお母さんに感謝しなくちゃ!!」
普通なら、人が通ろうと思えばぶつかって当たり前の市場の細い道を、セフィリオはメモに目を通しながら誰ともぶつからずに通り抜けていく。
彼がそう気を使ってる訳ではなく、セフィリオが歩く度に周りの人が避けて通るのだ。
すれ違い様に間近から何度も視線を送られても、セフィリオ自身は全く興味がないと言うかのように微塵にも反応しなかった。
「あ、ねえちょっと訊いていいかな」
とはいっても、セフィリオ自身もあまり夕食の買い物などには慣れていないので、捜している売り場の場所がわからない。
セフィリオが登場した騒ぎに気付かずに、道端でお喋りに興じていた数人の女性の塊に向かって、何の気なしにセフィリオは声を掛ける。
「・・・きゃ!」
「・・・あぁ、後ろから失礼。驚かせたなら謝るよ。ごめんね?」
「い、いいいえ!!な、何とも無いですから謝られることなんて・・・!」
顔を真っ赤にして俯く女性に苦笑して、それでも用事をさっさと済ませようと持っていたメモを見せる。
「買い物慣れてなくてさ。久し振りに来たものだから、売り場が分からないんだ。これ、売ってる場所知ってる?」
寄って集ってメモを覗き込んだ女性陣は、あれはあっちでこっちが美味しくてでもあっちがお得でとか細かい主婦情報をも一気に教えてくれた。
「・・・待って待って。出来れば一つずつ教えてくれるとありがたいんだけどね」
何時もの赤い長衣を着ていないセフィリオはある意味珍しく、そういう楽な私服姿でふらりと町に出てくることなど滅多に無い。
買い物といえば彼以外の誰かが出てくるのが当たり前で、『久し振り』の言葉通り、彼にとっては幼少の頃グレミオと共に来た思い出程度しかないだろう。
少し困惑気味のセフィリオを促すように、まだまだ年若い新妻達は、丁寧に買い物に付き合ってくれた。
「・・・あの、どうしてお買い物なんて?」
「グレミオさん、お体でも壊されたんですか?」
まだまだ台所を守り始めたばかりの彼女達にとって、マクドール家の主夫・グレミオは何でも教えてくれる大先生なのだが、彼の主であるはずのセフィリオが現れたことに彼女達は疑問を感じたらしい。
新鮮でいい香りのする果物を手に取って選びながら、セフィリオは違うよと小さく笑みを零した。
「グレミオは留守なだけ。ただ、僕の大切な人が僕のために料理してくれるって言うから。今日はそのお使いなんだ」
「・・・・・大切な、人?」
「そうだよ。誰よりも大切な僕の恋人。それじゃあ僕はこれで。・・・今日は付き合ってくれてありがとうね」
「・・・・・・恋人・・・」
多少脚色しているような気がしないでもないが、セリフと付属で付いてきた幸せそうなセフィリオの笑みに、言葉を失う女性続出だ。
衝撃的事実には大ダメージを受けたが、向けられた笑顔はそうそう簡単に見れるものではない。
ほんの三年前はこの世の不幸を全て背負ったような雰囲気を醸し出していた彼が、正反対の様にここまで柔らかく微笑むようになったのは、紛れも無くその恋人のお陰なのだろうけれど。
「・・・ざんねーん。でも、幸せそうね」
既婚済みの彼女達ではあるけれども、愛する人と結婚しても憧れる気持ちはなくならなかったようで。
セフィリオの『恋人』とやらに軽い羨望を感じつつも、消えて行くセフィリオの背中を眺める人々の視線は減ることは無かった。
その視線の一切に振り返らぬままに、頼まれた物を全て揃えたセフィリオは家路へと急ぐ。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい。早かったですね。混んでませんでした?」
大切な恋人は何をしていたのか、肘まで捲くられた袖から覗く腕は水に濡れていて。長めの髪は少し邪魔なのか、肩あたりで緩く一つに結んでいる。
濡れた手を身につけたエプロンで軽く拭きながら、荷物を受け取りにぱたぱたと入り口まで走り寄って来るオミを、セフィリオは半ば無意識で抱き締めていた。
「ゎ・・?!」
荷物を受け取ろうと手を伸ばした態勢のまま突然腕の中に閉じ込められて、オミは驚いたように小さな声を上げる。
腕の中に収まってしまう見かけ以上に華奢な体を抱き込んだまま、セフィリオは耳元でそっと囁いた。
「・・・なんだかいいね、こういうの」
「・・・??」
セフィリオが何を言っているのか、オミには分からなかったけれど。
軽くこめかみと頬に触れた唇に警戒したように身体が固くなるが、セフィリオはそれ以上は何もしようとはせずあっさりとオミを離してくれた。
「・・・セフィリオ?」
「ん?」
いつもなら、オミに怒鳴られて嫌々触れるのを制限してくれるセフィリオが、何も言わないオミに触れて来ないのは妙な違和感を感じてしまうのだ。
何か不満があった訳じゃない。オミの前でだけ彼は自分を隠そうとしないから。
不満があるならあるで、正面から何か訴えてくるのが普通だ。
けれど今のセフィリオは何かを我慢しているようには思えない。あれほど欲求に即急なセフィリオだからこそ、極僅かな接触であそこまで機嫌が良いのは逆に不気味なのだ。
先の扉の前で、セフィリオがオミにそう声を掛ける。
「オミー?食事の支度、しないの?」
「あ、は・・・はい。今行きますから」
普段纏わり付かれて鬱陶しいとしか感じなかったセフィリオの体温が。ほんの少し離れただけで物足りなく感じてしまって、オミは小さく苦笑を浮べた。
「・・・馬鹿だ、僕」
思っていた以上に、オミはセフィリオに依存していたのだろう。そして、欲していたのだ。
なくなって初めて気付くのも間抜けだが、嫌がりながらも触れてくる手を待ち望んでいたのはオミの方だったのかもしれない。
セフィリオはもう、触れなくても良いと思っているのだろうか。もう、手を伸ばしては来ないのだろうか。
そんな複雑な気持ちのまま、オミは呼ばれるままに台所へと戻った。
買ってきたものを机に並べて、これで良かったのかと確認を取るセフィリオはどこまでも自然なのだけれども。
「・・・ありがとうございます」
一度感じた不安は安堵に緩んだ心に重く、少しだけ・・・その優しさが辛かった。